ブラッディマリーの激情

桜田 門外

Hey Ho Let’s Go

 いつになるか分からないけど、どうしても叶えたい夢がある。

 この熱意は誰かに伝わるだろうか。


 最後の曲を弾き終えた時、

「今日は、これで終わりでいいよ」

 そう言われて時計を見ると、針は12時4分を指した。

 店の中にはまだ何人か客が居座っているが、今日も相変わらず客が少ない。

 今、大人気のサスペンスドラマの影響だろうか。皆んなドラマを見るために、仕事が終わったらそのまま家に帰ってしまう。


 今日は誰が居ただろうと見渡すと、カウンター席には、常連の老人が座っている。このバー、といっても安酒場のような店だが、開店当時からの馴染みらしい。今日はいつもの友達は来ていないみたいだ。

 そして、そのすぐ奥には無精髭を生やしたもの静かな男性。彼もこの店の常連だ。

 奥のテーブル席には、何やら楽しそうに話している若いカップル。

 そして、長い時間近くのテーブル席で俺のピアノの演奏を見つめていた女性。初めて見る客だ。


 ピアノから離れいつものようにジントニックを注文すると、後ろから話しかけられた。

「いつからここで弾いてるの? 」

 俺のピアノを見つめていた女性だ。

「あっ、ピアノですか? 」

「うん」

「えっと、半年くらい前からです」

「ふーん。他に仕事は? 」

「いいえ、その日暮らしです」

 真面目に答えたつもりだが、彼女は何故か笑った。

 俺よりも一回りくらい年上だろうか。しかしその顔の裏には少し子供っぽさが見えた。


 ジントニックが出来たようなので、それを受け取り、いつものカウンター席に座ろうとしたところ、彼女は言った。

「ここ座りなよ」

 彼女は向かいの席を指差した。

「いいんですか? 」

「もちろん」

 席に座り、ジントニックを一口飲んだ。彼女の方を見たら、何故か外方を向いてしまった。いや、どこか店内を見回している様子だ。

「ここの店、なんかいい雰囲気よね」

「そうですね」

「あのピアノとか、窓から見える鍵の形のネオンとか、あそこの誰のか分かんないサインとか、汚いトイレとか、なんか好きだわ」

 確かに、この店は雰囲気はいいがトイレが汚い。多分、世界で7番目ぐらいにトイレが汚い店だろう。

「あのトイレの汚さは、店長の拘りらしいですよ」

「どういうこと? 」

「さぁ、僕にも分かりません。『うちの自慢はトイレだ! 』って豪語してました」

「なんだそれ」

「あと、向こうの鍵屋さんは、そこに座ってるお爺さんと友達なんですよ」

「へー」

「今日は来てませんけど、いつも仲良く飲んでますよ」

「お店閉まってるのに、看板は光ってるんだね」

 彼女は独りで笑った。


 すると彼女は突然、目を凝らす様に老人の方を見た。

「あれ、あのお爺さん何飲んでるんだろう? 緑のストローみたいなの刺さってるけど」

「あぁ、あれはブラッディマリーですよ。トマトジュースで割ったお酒で、セロリを刺して飲むんですよ」

「あー、あれがブラッディマリーか。お酒にセロリっておかしくない? 飲んだ事ある? 」

「ありますよ、美味しいですよ」

 そう言うと、彼女は暫く考え込み、ふと立ち上がった。

「よし! 注文して来よ」

 そして、先程から飲んでいた、おそらく酒のような飲み物を一気に飲み干し、カウンターへ向かった。

 少しした後、彼女はブラッディマリー片手に戻ってきた。

「貰ってきたよ」

 そう言って彼女は満足そうな顔で席に着いた。

 グラスを口へ運び、ゴクッと一口飲んだ後、彼女は一瞬死んだ魚の様な顔をした。

「私、トマト嫌いなんだよね」

 ん?

「じゃあ、何で頼んだんですか? 」

「ただ、飲みたかったからだよ」

 ジョージ・マロリーみたいな事言ってるけど、多分この人、トマトジュースが入ってる事知らなかったんだろうな。というか、人の話をあんまりきいてないんだな。

 彼女はグラスを置き、どこか遠くを見つめなんとも言えない顔をしていた。


 暫く流れているラジオを聴いていたが、俺は沈黙に耐えられなくなり、口火を切った。

「そういえば、お仕事は何をされているんですか? 」

「仕事探し中」

 彼女は口角に皺を寄せてそう言った。

「えっ」

 彼女は続ける。

「私バンドやってたの。ロックバンド。15年以上やってたんだけど、もう年齢も年齢だし、年寄りがロックンロールの舞台に上がっちゃダメでしょ」

 セロリを齧りながらそう言った。

 彼女がいくつなのかは知らないが、まだ年ではないだろう。というかその前に、気になることを言った。


 ロックンロール。


 それは俺が長年憧れている夢だ。1年前、5年間勤めた会社を辞めたのもロックの道に進みたいと思ったからだ。会社勤めがバカらしく感じたのだ。

「そんなことないですよ。もうやめちゃったんですか? バンド」

「ええ、ついこの間ね」

 彼女の瞼は少し悲しそうだった。

 勿体ない、と言おうと思ったが止めた。

 その代わりに「今、僕はロックミュージシャン目指してるんです」と言ってみた。

 すると彼女は、またなんとも言えない顔をした。

「どうしてロックミュージシャンになりたいの? ロックミュージシャンって言っても中々大変だよ? ゆっくり落ち着く場所も無ければ、出世の見込みも無いし」

「大変なのは勿論分かってます、でも最近やっと一歩踏み出せたんです」

 彼女は、少し納得のいかない様な表情で「そう」と言った。

「その事を知ったここの店長が応援してくれて、生活出来るようになるまではここでバイトしてろって、言ってくれたんです。店長も大のロック好きで、話し始めると止まらないんですよ」

 こちらは笑って言ったが、彼女は無言で頷いた。

「私のバンドは全然売れなくて、物凄くひもじい思いをしたのよ。大好きだったタバコも吸えなくて、公園に拾いに言ってまで吸ってたわ」

「ハハッ」

 笑ってみたが、彼女は笑ってなかった。笑う場所を間違えた。

 しかし、彼女は気にせず続けた。

「バンドについて考えていたとき、たまたま『荒野の七人』って映画を見たの。その中で知ったの。カウボーイは農民に勝てないって。」

 正直、何を言っているのかよく分からなかったが、頷いてみた。

 ずっと楽しそうに話していた、奥の若いカップルもいつからか静かになっていた。

「それで私はタバコも止めて、バンドも辞めた。正直、バンドで生活を始めたころは、会社勤めはバカだと思ってた。ロックじゃないって。でも、そうじゃないって気づいた。私はただギターの弾き方を知っていただけ。バカは私だったって」

「僕なんかギターの弾き方すら知らないですよ」

 そう言うと、彼女の表情が変わった気がした。

「『ラモーンズ』や『クラッシュ』に憧れてても、ピアノの弾き方しか知らないんです。最近、ギターの練習始めたんでけど、中々上手くならないんですよね。でも、これこそロックじゃないですか?ピアノしか弾けないのにロックの道に進むって」

 彼女は俺の顔をじっと見つめた後、こう言った。

「そうね」

 彼女の顔がふと笑顔に変わった。

「ギターの弾き方を知らなくても、カウボーイが農民には勝てなくても、お酒にセロリが刺さってても、この店のトイレが汚くても、全部ロックね」


 それこそロックよね。彼女の顔がそう言った。


「まぁ、別に夢を追いかける事を否定してる訳じゃないから、頑張って」

 彼女は手のひらを返した様にそう言い「トイレに行ってくる」と店の奥に向かった。

 そんな彼女の後ろ姿を見ながら、今後の彼女について考えた。ちゃんと仕事は見つかるだろうか、あの汚いトイレに行っちゃったけど大丈夫だろうか。

 そんな事を考えながら少しの間待っていると、ある事に気がついた。

「ブラッディマリーがない」

 思わず笑ってしまった。思い返してみるとあれから彼女は一口も口をつけていなかった。

 案の定、彼女は空のグラスを持って戻ってきたが、俺は見て見ぬ振りをした。

「じゃあ、もういい時間だから解散にしましょ」

 彼女は、時計を指差してそう言った。

 少しの間だったが楽しい時間だった。

 俺は、彼女と共にバーを出た。

 外はいつもの見慣れた景色だが、今日は何故か新鮮に感じた。

「じゃあね、今日は楽しかったよ」

 そう言いながら、彼女はポケットをガサゴソと漁っていた。

「あぁ、あと、ロックでもピアノ弾いてる曲って結構あるわよ」


 そう言って彼女は、咥えたタバコに火をつけ立ち去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラッディマリーの激情 桜田 門外 @bananapage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ