第49話

____この感情は、何だろう。焦っている?困っている?怒っている?


 教室から離れた友里は、道端に捨てられた空き缶を睨みながら早足で帰り道を歩く。


 溢れる感情の正体がわからない。

 この感情を誰かに伝えたくて、仕方がない。


 ふと足を止めて前を見れば、そこは工事現場。


 気がつけば、友里は遠回りをしていたようだ。


 ◇◆◇


「____そりゃ、災難だったな。だからお前はそんなにイラついていたのか。」


 工事現場のそばにある公園のベンチ。

 友里と名無しはそこに座って話をしていた。


「イラつく……。なるほど、それか。」


 名無しの言葉を聞いた友里は、小さな声で呟く。

 名無しはその呟きを聞き逃さなかった。


「友里、語彙力はあるのに、自分の感情はわからないのか。」

「……語彙力は勝手に身に付くもの。言葉を知っていても、混じりあった感情は言いあらわせない。」

「受験生に喧嘩を売るような発言だな。……まあ、あれだ。感情はわかった方が良いぞ。流されちゃダメだが、理解できなければそれはそのままストレスになるだけだからな。」


 名無しはそう言うと、冷たい缶コーヒーを煽る。

 友里は、公園のゴミ箱を見つめる。溢れかえったゴミ箱からは名無しが飲んでいるものと同じ空き缶がいくつかはみ出ている。


「友里、話はそれだけか?」

「うん。ありがとう、名無しさん。」


 友里は名無しに礼を言うと、ベンチから降りる。

 そして、歩き去る……前に。


「友里、この町に着た吸血鬼だが、簡単に言えば、頭のネジが吹っ飛んだドS野郎だ。組織にも属さず、個人ソロ殺し喰事をしている。会っても厄介なこと以外何も起こらないぞ。」


 名無しが友里に念を押した。

 友里は、数秒足を止め、そして、名無しに背を向けたまま言う。


「ありがとう。大丈夫、関わる気はないよ。」

「そうか。ついでに、渡すものがある。良ければ受け取ってくれ。」


 名無しは、そう言って一枚の紙切れを友里の方へと放り投げた。


 ◇◆◇


 家に帰った友里は、ベッドに寝転んで一枚の紙切れを見つめていた。


 内容は、既に覚えている。数字の位置も、文字の癖も、インクの染みも、紙質も、再現しろと言われれば即座に作業ができるくらいには覚えている。


 しかし、友里は飽きもせずに一辺が十センチ程度の紙切れを見つめていた。


____名無しさんの、連絡先。


 電話番号と携帯電話の番号、そして住所だけが書き込まれた、素っ気ない紙切れ。


 友里はそれを右手でなぞる。


____この感情を言い表すならば、『嬉しい』かな。


 友里はベッドの上で寝返りをうつ。


 結局、叔母の由紀子が晩御飯の用意を終えるまで、友里はその紙片を眺め続けていた。

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