第48話

 友里の生活は、少しずつ、ほんの少しずつだけ変わっていった。


 学校に行き、帰る前に弓道場に寄り、たまに図書館に行き、帰る。


 代わり映えのない生活を一週間ほど繰り返し、ある日、サイクルに亀裂が入った。


「秋田さん。ちょっと待ってください。」


 ふと、美咲先生が帰ろうとしてランドセルを背負っていた友里に声をかけてきた。


 友里はちらりと顔を上げる。美咲先生の表情は固く、友里に対する怒りが浮かんでいた。


「秋田さん、あなたは由紀ゆきちゃんの筆箱をとったらしいですね。何で、そんなことをしたのですか?」

「筆箱?」

「しらばっくれないでください。」


 教室に、美咲先生の大声が響く。周囲の視線が一斉に友里と美咲に集まる。

 美咲先生は目をきつく細めて、友里を睨み付ける。


「由紀ちゃん、泣いていましたよ。何でそんなひどいことをしたのですか。」

「……」


 友里は黙ってランドセルの中身を漁る。

 筆箱らしきものは入っていない。というよりも、友里はそもそも筆箱を持ってきていなかった。


「ないですよ?」

「ぐすっ、美咲先生、友里ちゃんは、わたしの筆箱をゴミ箱に捨てたの。」


 涙を浮かべた由紀が先生に言う。

 周囲の同情の視線が由紀の方へと集まり、それに対するように友里へ冷たい視線が集まる。


 美咲は由紀の頭を撫でると、友里へと詰問する。


「秋田さん、何で、そんなことをしたのですか!」

「………森田もりた 由紀さん、何がしたいの?」


 友里は、由紀に呆れたような視線を向ける。

 由紀は、小さく生んで大きく育てる「ひっ」という声をあげた。美咲先生が由紀を自らの後ろに隠す。


 美咲先生は大きな声で友里に言う。


「私の質問に答えてください!」

「……何もしていないのに、何故したのか問われても困ります。」


 声をあらげず、決して大きな声も出さず、友里は答える。


 周囲の視線に怒りが宿る。


 友里は回りを見渡した。

 ランドセルを背負っているにも関わらず、帰らずに友里と美咲のやりとりを見つめる児童たち野次馬


 その中に光國止めてくれる人はいない。もう帰ってしまったらしい。友里は思わずため息をついた。


「嘘をつかないでよ!」

「……何が嘘だと思うの?」

「話をそらさないで下さい。秋田さん、泥棒は犯罪ですよ。」


 軽く目眩を感じられるようなやり取り。


「……何故?」


 友里は理解できない。

 美咲もまた、友里を理解できなかった。


 美咲は一呼吸置くと、友里に言う。


「由紀ちゃんに謝ってください。」


 美咲の後ろにいた由紀がうんうんと頷く。理解できない友里は美咲に質問する。


「何をですか?」

「わからないのですか!?」

「……わからないから聞いているのですが。」


 ____ダメだ。話が通じない。


 友里は頭を押さえ、目をきつく閉じる。そして、考える。


 ____これは、国語の問題だ。そう思え。出てきた言葉ヒントは何だ?登場人物由紀と美咲の感情は?


「____さん、秋田さん!!聞いていますか!」

「お母さんが買ってきてくれた筆箱なのに……ぐすっ」


 怒る先生。涙ぐむ由紀。そして、友里へと降り注ぐ周囲の冷たい視線。


「ああ。なるほど。わかった、わかった。」


 友里は誰に言うでもなくそう呟くと、黒板へと歩み寄る。

 美咲と由紀はポカンとした様子でそれを見守る。


 友里はチョークを掴んだ。そして、


 カツッ、カツッ、カツッ、カツッ


 高い音を立てながら、黒板に白い文字を書いていく。


 黒板に書いた文字は、『美咲先生』『森田由紀』『秋田友里』の三種類の文字。


 友里は説明を口にしながら、黒板に文字を書き入れていく。


「まず、先生の要求は、由紀への謝罪。由紀の要求も私からの謝罪。それに対して、私は何故二人がその要求をしてくるのかが理解できなかった。」


「ちょ、秋田さん、あなたは何をしているのですか!」


 我に帰り、そう質問してくる美咲。


「現状の説明です。さて、次に、何故二人が私に対して謝罪を要求してきたのか。それは、由紀の筆箱が私によってゴミ箱に捨てられたと考えたから。____森田由紀、あなたは何で私があなたの筆箱をゴミ箱に捨てたと考えたの?」


 美咲に対して短く答えた後、友里は由紀に対して質問する。

 由紀は少しだけたじろいだあと、質問に答える。


「だって、友里ちゃんが急に私の筆箱とったから……」

何時いつ何処どこでですか?」

「え?あ、今日のお昼休み、廊下で……」

「昼休みには図書室にいたのですが、見間違いでは?」

「嘘つかないでよ!まいかちゃんもたつきくんも見たって言ってたもん!!見たよね、二人とも!」


 由紀は後ろの野次馬たちにそう聞く。指名された二人は、「見たよ!」と答える。

 友里はそれを聞いたあとに口を開く。


「私が五時間目が始まる直前まで図書室に居たことは、今は居ませんが、同じクラスの青木光國と図書室の司書の松盛さんが見ています。ついでに、図書室の前の防犯カメラを見れば、昼休みにずっと図書室の中にいたことがわかると思います。」


 それを聞いた由紀は顔をひきつらせる。

 友里はついでと言わんばかりに言葉を発する。


「捨てられたと主張する筆箱ですが、もしかして、黄色い熊のプリントされた、布の筆箱ですか?」

「う、うん。」


 思わず頷く由紀。

 それに対して友里は止めを刺す。


「それ、一昨日、あなたの友達からもらったものなのでは?……そろそろ、帰りますね。」


 友里は黒板の文字を消して、引き留めようとする美咲先生の音を無視して、家に帰っていった。

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