第28話
算数の授業。
友里は、国語と変わらず、ノートも教科書も出さずに本を読んでいた。
タイトルは、『オペラ座の怪人』。
すでに英語版で読んだことがあったが、日本語訳の仕方が独特で、脳内の英語版との読み比べを楽しんでいた。
美咲はそんな友里を苦い顔で見つめていた。
ノートに文字を書くどころか、筆箱すら開いていない友里。
____せめて、読んでいる本が算数に関わりのある本ならいいのに……。
三十分ほど授業を行ったところで、美咲は口を開く。
「では、いつものように百マス計算プリントを配ります。できた人から手を上げてください。」
児童のええー、という声が教室に響く。
けれども、一人だけ、楽しそうに
「先生、早く配ってください!」
という男の子がいる。
それは、友里の隣の席の男子、
彼は、算数が得意だった。
百マス計算では誰にも負けたことがないし、みんなが難しいと言う問題でも解ける自信があった。
本を読んでいた友里も流石に本に栞を挟み、筆箱から鉛筆を取り出す。
「初め。」
先生がそう言うが早いか、光國はマスに数字を埋めていく。
かけ算九九のプリントだった。
0の列から埋めていき、70マスほど数字を書き入れたところで、隣の席から鉛筆を置く音。
「終わりました。」
手を挙げたのは、友里だった。
____嘘だ。全部埋まっているわけがない!どっか間違えているんだ!
一瞬気をとられかけたが、はっと我に帰り、プリントに数字を書き入れていく。
光國は数分とたたずに手を挙げた。
結果は、十分とたたずに理解できた。
先生の「隣の人と交換して、丸付けをしてください。」という指示で光國は友里のプリントを手に取る。
早いスピードで書いたとは思えない、綺麗な数字。
そして、正しい答え。
____そんなわけない!どこか、きっと、どこか間違えているはず!!
必死に答えのプリントと友里の答案用紙を見比べるが、間違いはどこにも見当たらない。
そんな光國に、友里はプリントを返す。
急いで書いたために、つぶれた数字の群れ。その中に、赤いペンで一つだけ、たった一つだけばつ印がついている。
「一問、ミスしてたよ。」
そんな、短い言葉が聞こえたとき、光國のプライドはズタズタに切り裂かれた。
◇◆◇
教室の子供たちは、もうすでに友里におそれを抱き出していた。
まともに授業を受けない、受け答えも悪い、何を考えているのかわからない転校生。
人気者で頭の良い光國を泣かせた張本人。
授業が終わったあとに、美咲先生に呼び出されていたりもした。
そんな友里に友達はできなかった。
いや、できなかった、ではない。
友里に、作る気がなかった。
きっと、これが正しい。
◇◆◇
美咲先生に呼び出された友里は、教員棟の一階、職員室で話を聞き流していた。
曰く、友里には協調性がない。
曰く、友里にはやる気がない。
そんなことを何度も言われ、「聞いていますか?」と聞かれたときだけ「聞いています。」と答える。
____本を、読みたい。
「……だから、皆とは仲良くしなくちゃいけないんです!貴女の親御さんは何をしているのですか!」
____うるさい。
「聞いていますか?貴女の親御さんは一体何をしているのですか!?」
____やめて。思い出させないで。
友里の脳裏に父と兄の死に顔が映る。小さくなっていく母の背中が映る。
「聞いていますか?友里さん。答えてください。」
美咲が友里の肩に手を置く。
その瞬間、友里の中で、何かが音を立てて切れた。
友里は、美咲の手をはたき落とす。
「はっ?」
呆然と声を漏らす美咲を、友里は睨み付けて言う。
「美咲先生。貴女は一体、わたしの何を知っているのですか?どんな意図で質問をしているのですか?何を望んでいるのですか?」
友里の変貌に、美咲は口をポカンとあける。
友里は声を荒げることなく、しかし、確かに怒りを込めて、言葉を続ける。
「謝罪を望んでいるのならしましょう。『美咲先生、申し訳ありませんでした。』これで良いのですよね?他には何を望んでいるのですか?」
「し、質問に答えてください。何で逆ギレしているのですか。」
美咲は、ひきつりそうな顔を必死に押さえて、言う。友里は、奥歯を噛み締めてから答える。
「答えましょう。わたしの両親と兄は今、地面の下で眠っています。数日前に父と母の遺体が見つかったらしく、わたしが病院にいる間に葬儀が終わってしまいました。……帰って良いですか?本を読みたい。」
友里の目に殺意に近い何かが宿る。
美咲は「ひっ!?」と口許から空気を吐き出す。
何も答えなくなった美咲を放置し、友里はピンクのランドセルを掴むと、職員室の外へと出ていく。
周りの教員は、ただ何も言えずに、友里の行動を見つめる他なかった。
そんな状況を、光國とその取り巻き数人は、見ていた。
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