第19話

 僕には、一人の妹がいる。

 5歳も年が離れた、小さな妹だ。


 逆に言えば、僕は妹より5歳も年上だ。


 けれども、僕は妹のような才能は持ち合わせていない。


 だって、彼女は『天才』だから。




「すっげぇな、勇介。お前、また全国テストで100位いないかよ。」


 僕の成績をのぞきこんだ知り合い友人が明るい声をかけてくる。


____違う。100位なのだ。

「うん。ちょっと頑張ったから。」


だよな、お前。」


 ふと、知り合い友人がそんなことを言う。僕は思わず言い返してしまう。


「いや、違う。天才じゃない。」

「おっ、おう……。」


 あまりの気迫に、少しだけ驚いたような友人。

 それくらい、否定したくなるのだ。を知っているのなら。



 僕が妹の才能に気がついたのは、僕が8歳で彼女が3歳くらいの時だった。

 いつものように、本を読んでいた彼女が、ふと、僕の方を見て、こう言った。


「兄さん。漢字辞書と英和辞典を貸して。」


 彼女が読んでいたのは、僕が戯れに貸した英語版の白雪姫。

 とりあえず2冊とも辞書を渡したあと、しばらく放置。きっと、英語の文法についてを聞きに来るだろうと予想をしていたが、僕の予想ははるかに裏切られた。


 一時間ほどたったあと、彼女は2冊の辞書と一冊の本を持ってこちらに来て、言った。


「兄さん、ありがとう。読めた。」


 と。


 なんの冗談だと思った。

 取り敢えず、意味が今一つわからなかった僕は、手元にある紙に英文を書き、見せた。


『Can you understand English?』


 それを見た友里は、その文字の下に小さく、


『Yes.But a little.』


 と書く。


 次に、声に出して聞く。


「Can you understand English?」

「……わからない。」


 ここで、僕はやっと理解できた。

 彼女は、英和辞典と漢字辞書を使うことで、


「漢字辞書を使ったのは、英和辞典の漢字を読むためか?」

「うん。あと、少しだけ意味がわからない言葉があったから、それも調べた。」


 先ほど書いたが、当時、妹は3歳だ。

 僕が3歳の時に読めるかと考えれば、「無理だ」と言わざるをえない。


 もし仮に、僕が天才だったとしたら、彼女を、妹をなんと表現すればいいのだろう。


 だから、僕は天才じゃない。



 でも、妹も万能ではない。

 保育園で孤立してしまった彼女を目撃したのは、両手両足の指では数えきれない。


 他者とは違う考えに価値観。


 大人のそれよりも遥かに深い思考。


 学者ですら思い付かないような発想。


 他者とは圧倒的に違う存在。



 正に『天才』。




 僕のそれは、ギリギリ人と関わることを許された才能だった。


 彼女は、人との関わり方を身に付けられなければ、白雪姫のように、継母世間に疎まれて何処かへ追いやられてしまうだろう。

 その時に助けてくれる七人の小人協力者は、きっと、現れない。


 教えなくては。僕の経験5年間を。

 僕が彼女に勝っているのは、経験だけだから。




 だから。




 だから。





 だから、僕は、妹の命を、救おうとした。

 女の手刀が振り下ろされるよりも先に、妹を、友里を突き飛ばす。


 彼女の才能は、もはや『希望』だから。


 僕が生き残るよりも、良いから。


 僕が、彼女の、兄だから。



 腹部に凄まじい熱と違和感を感じる。

 悲鳴が上がるかと思ったが、声ひとつ出せなかった。


 痛みは、不思議と感じない。


 ただただ、熱と力を失っていくような感覚だけが体を支配している。


 チャイナドレスの女のヒステリックな金切り声が鼓膜を震わせる。


 ふと、妹が、見えた。


 半開きの口に、驚愕で見開かれた瞳。


 彼女と英語の発音を練習していたときの光景が、一瞬だけ脳裏に映る。

 途中から、父さんや母さんも参加していたっけ。



 ____僕は、幸せだった。


 そんな、彼女の様子が僕の網膜にうつりこみ、


 意識は、


 白濁して、


 消えていった。

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