第10話

 友里たち三人が火の手の和らいだ所についた頃には、もう衣服は煤や灰によって汚れ切っていた。


「ゴホッ、ゴホッ」


 母は、咳き込むと石畳の上に崩れるように座り込む。

 するりと、あれだけしっかりと握られていた手首は、あっさりと解放され、空いた優子の両の手は彼女自身の口元に当てられた。


「母さん!」


 勇介はぎょっとして母の背をさする。

 石畳は火に炙られてほんのりと熱を帯びている。しかし、火傷をするほどでもない。


「大、丈夫だか、ら。」


 優子は咳き込みながら、必死にそう言う。

 勇介は母を睨むと、


「何が『大丈夫』だ!」


 と、冷たく言い放つ。

 優子は、何も答えなかった。数秒咳き込むと、治ったのか、ゆっくりと立ち上がる。


__隣町まで、あと5キロ。


 ◇◆◇


 火の弱いところをしばらく歩いていると、数十メートルほど先に十字路に座り込んだ二人が女性、三人が男性の五人の団体が目に入る。

 目は全員黒か、茶色。吸血鬼ではないらしい。

 優子は、それを確認すると、その団体に声をかけた。


「すいません。そちらは大丈夫ですか?」


 優子がそう声をかけると、その団体の中でも一番背の高い男性が、


「申し訳ない。何か、包帯がわりになるものを持っていないか?」


 と聞いてきた。




 どうやら、五人は指定避難所だった公民館から逃げてきたらしい。

 公民館に着いた途端、吸血鬼の襲撃にあったらしく、公民館から脱出するときに二人ほどがガラスで手を怪我したらしい。

 近くにあった水道で傷口を洗浄することはできたものの、傷口を覆えるものがなくて困っていたらしい。

 看護師である優子が手当をすると、背の高い男性が深々と頭を下げ、


「本当にありがとう。なんとかここまで逃げてこれたのだが、二人の怪我が辛そうで、本当に困っていた。助かった。俺は会社員の杉田すぎた 礼司れいじだ。」


「秋田勇介です。」

「秋田友里です。」

「あ、二人の母の、秋田優子です。」


 友里は淡々とそれを言うと、ふと、ある事に気が付いた。

 友里は背の高い男性、杉田に質問をする。


「五人ともあまり灰をかぶっていないようですが、どっちからきたのですか?」


 杉田は、「ん?」と良くわからないという表情をしたあと、友里たちがやってきた所とはちょうど反対側の通路を指差し、「あそこの道からだな。」と答える。

 よく見ると、そこの道はコンクリートの建物が多いせいか、あまり火がまわっていないようだ。


 友里は、あたりを軽く見渡す。

 何の為にあるのか、いまひとつ製作者の意図の読めない水道が、先ほど来た道の端にある。

 左右の道は、先ほど三人が通ってきたような、木造住宅の多い地形。特に、右の道は火の勢いが強くなっているのか、所々建物が倒壊している。


 友里は、ある可能性を思いつく。


 つかつかと、水道のそばによると、蛇口を思いっきりひねる。

 火に温められたせいか、生ぬるい水が出てくる。


 友里は、それを思いっきり被った。


 バシャリ。


 乾いたコンクリートに生暖かい水が黒くシミを作り、広がっていく。


「母さん。右の道へ行こう。」


 驚く母の左手を掴むと、右の道を指差す。五人と勇介も意味がわからないという表情をしている。

 勇介は、少し考えると、やがて、同じことに気がついたらしい。座り込んでいた石畳から立ち上がり、友里と同じように、水をかぶり、そのついでと言わんばかりに、ポッケからハンカチを取り出すと、それも濡らした。


「よくわからないが、そっちは火が強いしやめておいたほうがいいんじゃあないか?」


 首をかしげる杉田がそう聞くと、ずぶ濡れの友里は、


「火が強いからこっちに行きたいのです。」


 と答えた。


 ◇◆◇


 吸血鬼と遭遇しないためには、どうしたらいいのか。

 友里は、公民館から逃げてきたという五人を見て、考えていた。


 公民館周辺は、高いビルや、コンクリートでできた施設が多く存在している。当然、マンションなども多く存在する。

 にんげんの多いところに逃げるのは、自殺行為。けれども、周りは火の海で、周囲の様子が全く違って見えてきている。


 そして、ふと、あることに気がついた。



 周りがよく見えないのは、吸血鬼も同じなのでは?と。



 それを思考の種として、芽や根を出していくと、吸血鬼も、土俵は人間と同じ、いや、もしかしたらそれ以下の可能性もあるということに気がついた。


 吸血鬼だって、死ぬときには、死ぬ。

 2代目以降は死んでも死なないらしい灰になって復活するが、それだって、死んでいる。

 当然、体に火がついたら、熱いだろう。煙を吸えば、苦しいだろう。


 この火災は、なんのためにのか?


 人間を、家の外に追い出すためだろう。


 追い出した後は?


 避難命令を聞いて、指定避難所に逃げようとするだろう。

 そして、そこに集まった人間を襲う。


 そこで、この火災の意味は終わりか?


 いや。違う。

 なんとか吸血鬼の襲撃から逃れた私たちをパニックに陥らせ、冷静な判断をさせないことにも、逃げれる場所を限定させるのにも有効活用できるだろう。


 吸血鬼にのみ、地の利があるか?


 違う……とは言い切れないもの、そうだとも言えない。

 人間よりも丈夫な彼らは、この火災の中でもある程度自由に動けるだろうが、積極的に火の海にダイブしようとはしないだろう。


 なら、それを逆手に取ればいい。


 吸血鬼だって、火事であたりが火の海であるところなんて、行きたいとは思わないし、行こうとしないだろう。そんなことをしなくても、火の弱いところにいれば、火事から逃げてきた人間を襲うことができるのだから。


 実際、火の多いこちらに逃げてきた杉田ら五人組は無事にここに逃げて来れている。


 火の薄いところにいるはずの吸血鬼を避けるには、


 そう考えていけば、ありがたいことに、この火災は、吸血鬼基準ではあるが

 火の多いところに逃げれば、その限りではない可能性もあるが、生き残れる可能性は、火事の危険も加味しても数パーセントは上がる。……かもしれない。


 なら、上げれば良い。その数パーセントを。


 今動かないことは、確率が動かないのではなく、下がっていく一方だ。


 煙によって、火災によって、この五人を追ってくる吸血鬼によって。


 水を被った友里は、ポケットの中から取り出したピンク色のハンカチを口に当てる。


 だから、進まなければならない。

 前へ。前へ。

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