第9話

 隣町の下里町しもさとちょうに向かう事を決めた友里たちは、火事で倒壊した建物を避けながら、足を進めていた。

 周りは、見覚えの『あった』街並み。

 美しかった木造建築の家々は火に舐られ、涼しい木陰を提供してくれた街路樹は煙で燻され、石畳には熱による膨張のせいかヒビが入ってしまっている。


 友里たちにも、影響は及んでいた。


「ゴホッ、ゴホッ!」


 母の優子が咳き込む。勇介と友里の手を握る優子は、両手が塞がっているため、口元を覆えないのだ。

 ハンカチを通しても、入ってくる酸素はひどく熱い。


「……母さん。俺の手を離して。」


 勇介は、短くそう言う。

 優子は何も答えない。手も、握ったままだ。


「母さん!」


 勇介は声を荒げる。

 優子は、手を握ったまま、


「あと少しで、火のない所に行くから。そこまでは。」


 と、答えにならない答えを言う。


 __隣町まで、あと6キロ。


 ◇◆◇


 時間をかけて、進む。すすむ。


 足は、止めない。止められない。


 できるだけ早く、できるだけ遠く。ここから、離れなければ。


 火が近い。煙がひどい。


 熱い空気に、煙に、思わず咳き込んでしまった。


 ああ。友里や勇介には、辛いだろう。ここは。


「……母さん。俺の手を離して。」


 ごめんね、勇介。そうするわけにはいかないの。ここで離れ離れになったら、二度と会えないでしょう?

 ……わかっている。これは、私のわがままなの。それだけは、絶対に嫌なの。


 __ふと、庄司の、夫のことが頭によぎった。


『行って。』


 短い、あの言葉。

 あまり喋らない、あの人らしい、言葉。


 無理だとはわかっていても、もう一度だけ、もう一度だけ会いたい。


「母さん!」


 勇介の言葉で、我にかえる。


 ああ。そうだ。私は、守らなければいけない。この二人を。



「あと少しで、火のない所に行くから。そこまでは。」





 守らなければいけない。愛おしい、我が子を。



 たとえ、この身に変えようとも。



 この二人を。

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