第5話
夏のある日、僕は旧友達と飲み屋街にいた。
土曜の夜という事で、界隈は賑わっていた。次は何処の店へ行くか、立ち止まってみんなで決めている時だった。
僕はふと、辺りを歩いている人達を見た。こうして何気なくその時の空気や賑わいを一瞬見渡すと、自分が此処にいるという実感が沸き、妙な高揚感を覚える。
坂になっている向こう側の道路を見た。
向こうから、二人組が坂を下って歩いてくる。
一人はスタイルの良い長身の男性で、モデルかと思う程だ。隣にいるのはやや小柄で、同じくスタイルが良いのであろう細身の女性だ。
女性のファッションが、ちょっと目を引いた。流行の同じ服を着ている他の女性達と違い、すっきりとしたファッションだが鮮やかなオレンジ色のチュチュを取り入れていた。
椎名さんがロリータファッションも好きだと云っていて、ロリータアイテムを少し覚えていたので目を引いたのかもしれない。
その二人組が街頭の下を通った瞬間、顔が見えた。椎名さんだった。隣にいるのは恋人だろうか。
それより、僕達のいる方向へ向かってくる。恋人と一緒ならば、挨拶も控えた方がいいと思い、顔を背けた。
椎名さん達が丁度僕達の横を通り過ぎるかと思った時、椎名さんだけが小路に入っていった。「水を買ってきます」自動販売機に向かったようだ。そういえば椎名さんはいつでも薬を飲めるように、ミネラルウォーターを持っていると云っていた。
その間、椎名さんの恋人と思われる男性が携帯電話を取り出していた。椎名さんがこの場にいないのをいい事に、その男性の顔を見ようと思った。
携帯電話を扱っている左手の薬指に、指輪が光った。ペアリングだろうか。椎名さんが戻ってきた。
「すいません、水を持っていないと不安で。行きましょうか」
敬語を使っている。
○
次の月曜日、隣の職場にレイアウト変更が入り、僕達のいる職場も対象になるかもしれないので、通常業務は午後から始まる事になった。
この時間で普段出来ない仕事をしよう。
椎名さんは、いつもは手が回らない細かい事務仕事までやっている。他の人はほぼお喋りに時間を費やしているのに、彼女は根が真面目なのだろう。僕も余裕があったので、椎名さんに話しかけた。
「先週の土曜日、飲みに行ったら椎名さんを見かけたよ。男性と一緒だったから声をかけなかったけれど」
椎名さんはその男性を、友達だと言った。今日は時間に余裕があるせいか、気が緩んでいるのだろう。いつもなら踏み込まない質問までしてしまった。
「そうなんだ、実は結構近くで見かけてね、彼の指輪も見えたよ。ペアリングとか?」
「違うよ、あの人は結婚してるよ。奥さんも、私たちが時々一緒にいるのを知っているよ」
一瞬、理解に苦しんだ。
「それはいわゆる……不倫をしているの?」僕が真面目な顔で聞くと椎名さんは驚いた顔でこう返した。
「えっ何を云っているの、違うよ。友達だよ」彼女は僕をからかっている訳ではなく、本気で云っている。
あの男性とは二人でも会うし、他の友達を交えて飲みに行く事もあるらしい。これが彼女の世界なのだろう、そうして納得するしかなかった。
○
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