2人だけの永遠

千ヶ谷結城

2人だけの永遠

「それでは、いってらっしゃい!」


 私と彼を乗せたゴンドラがぐんぐんと上っていく。

 彼が『二人きりになろう』と観覧車に乗ったものの、いざ二人きりになると話題に困ってしまう。

 景色がいいと評判の観覧車だが、互いに俯いているため、景色に目がいかない。

 この場合、どちらが先に口を開けばいいのか。

 頂上につくまでこの状況は耐えられない。

 耐えられないのであれば、私から口を開くべきなのか。


「あ、のさ……」


 彼が先に口を開き、私は俯かせていた顔を上げる。

 彼の声は強張っていて、緊張しているのがよく分かった。

 そんな彼に応えようと、私も口を開く。


「……うん」


 掠れた。

 せっかく彼が声をかけてくれたのに、私はそんな気持ちを無駄にしてしまった。

 しかし、彼はそんなことを考える余裕すらないほどに緊張している様子だった。

 次が続かない。

 彼が話を切り出してくれたはいいが、彼も私も特に話題を持っている訳ではないのだ。


「……ごめん、何にも話せない」


 不意に彼が謝った。

 その事実がちゃんと受け止められなかった。

 ただただ何故という疑問だけが取り残された。


「あ、謝る必要ないじゃん……。私だって、何にも、話せてないもん……」


 自分で何を言っているのか分からなくなりそうだ。

 単純にここからの景色を楽しめればよかったのだが。


「――景色が、売り、らしいね。ここの……観覧車」


 懸命に彼が話してくれる。

 今度こそ、『うん』だけで済ませない。


「そうだね……」


 また、やらかした。

 これは緊張からではない。

 だんだんと高くなってきているのだ。

 景色、ね……。

 下を見ることさえ、ままならない。

 正直なことを言うと、私は高所恐怖症なのだ。


「た、高い、ね……」


 首すらも動かせないでいると、彼が声をかけてくれた。


「大丈夫? 顔色、悪いけど」


 俯いている私の顔を彼は覗き込んだ。

 急に顔を見られ、私は心臓を跳ねさせた。

 彼の目には赤くなった私の顔が映っている。

 高所恐怖症なんて恥ずかしいこと、観覧車に乗ってから言ったら笑われる。

 変なプライドが、自身の顔を上げることを拒んでいた。


「な、なんでもないよ! ほっ、ほら! 景色が、すごいっ……」


 無理して外を見た途端、めまいがした。

 やっぱり、ダメ……。こんな姿、彼には見せたくない。笑われちゃう……。

 顔を覆っていると、急にゴンドラが傾いた。


「わっ……!」

「きゃっ……」


 彼の顔が私の目の前にあった。

 一瞬だけ、何が起こったのか把握しきれなかった。

 ゴンドラは未だぐらぐらと揺れている。

 私は必死に揺れに耐える。

 しかし、揺れよりも眼前の彼に意識がいき、瞬きすらできない。

 彼もこの状況をどうしたらよいか分からないようだった。

 彼は窓ガラスに手をつき、両腕で私を囲むように自分を支えていた。

 いわゆる、壁ドン。


「えーっと……、これは、その……」


 私が何か言えば、彼は救われるのかな。

 変な方向に思考が向き、異常なことを口走る。


「何を、したかったの?」


 まるで風俗のお姉さんだった。

 自分ではそう思ったが、彼に余裕はなさそうだった。


「きっと高い所が苦手なんだと思って……。隣に、座ろうと……」


 語尾ははっきりしないが、優しさは伝わった。

 そうか。

 彼は私の高所恐怖症を笑うことなく、安心させようとしてくれたのだ。

 私は彼のしたいことを理解すると、ゆっくりと場所を空けた。

 それに気づき、彼はスペースに収まった。


「こ、怖いなら、さ」


 会話を繋ごうと必死になる彼を受け止め、次にくる言葉を待ち続けた。


「俺が壁になるよ」


 そう言って、彼は私を抱いた。

 ちょうど私の目は彼の肩で隠れ、外の景色が全く見えなかった。

 高所からの景色を見る時とはまた違った緊張感が私を占領していった。


「苦しんでる姿なんて、見たく、ないよ……」


 彼の少し泣きそうな声が、耳のすぐ横で響いた。

 ふわっと息がかかり、肩に力が入った。

 彼は積極的に私を抱いたりキスをしたりする人ではない。

 私を守るために無茶をしてくれていると思うと、胸が狭くなった。


「……このまま、で」


 彼の肩に顔を埋めたまま、私は呟いた。

 まだ高所は怖かった。

 しかしそれ以上に彼の匂いを嗅いでいたかった。

 私の声がしっかり届いたのか、彼は唸るように返事をした。

 店員に見送られてから既に10分が経ち、頂上が近づいていた。

 この観覧車が頂上に到着したとき、カップルが口づけを交わすと永遠に結ばれるというジンクスがある。

 それを教えてくれたのは彼だった。


「もうすぐ頂上だよ……」


 まだ私を心配してくれているのが声音から分かる。

 ゆっくりと近づくにつれ、抱きしめる力が強くなっていく。

 痛いわけではなかったが、少しだけ息苦しかった。

 しかし強くなるだけ私を守ろうと意識してくれているのは伝わった。


「……ねぇ?」


 まだ外の景色は見ることができずに彼の肩で言った。


「……キス、しようよ」


 自分からキスなど言う柄ではなかったが、今は雰囲気に任せた。

 彼はこんな私を冷やかさないと思ったので、私は信じた。


「ジンクスになんて任せなくても、俺らは永遠に一緒だよ」


 彼はそんなことを言いながら私を自分から離した。

 外の景色が目に入る。

 寒気が戻ってくる。

 怖くなって目を瞑った。

 冷や汗が溢れるようにでてくる。

 ふと、気づくと自分の唇に何かが当たっているのが分かった。

 しかし、瞼を上げることはできなかった。

 目で確かめる必要もなかったのかもしれない。

 彼は私に口づけをしたのだ。

 外の景色が見えたときより緊張が解れていく。

 彼がしてくれるキスにはこんな効果があったのか。

 今更ながらに、私は彼の大切さに気付いた。


「もう、怖くない?」


 彼が口を離し、私を心配してくれる。


「うん、大丈夫みたい」


 私は無意識に安堵した声を出した。

 視界には彼とその向こうに見える広い広い海が見えた。

 その景色だけは永遠に忘れないと思った。


「あ……」


 気づいたときには既に頂上を越していた。

 キスをしている間に達したのだろう。

 私の漏らした声で彼も気づいたのか、同じような声を漏らした。


「ジンクス、信じたみたいになっちゃったね」


 彼は悪戯に微笑んだ。

 それは無邪気だった。

 私を誘うためにわざとやっているのではと思えるほど、あざとかった。

 無意識に彼の唇に目線が向いてしまう。

 彼は私の視線には気づいていないようだった。

 もう、我慢ができなかった。


「んっ……?」


 何かを急ぐかのように、私は彼の唇を塞いだ。

 私は何も見えない。

 彼が驚いたように息を漏らしたが、どんな顔だったかは知らない。

 照れ臭くなって、私はすぐに離れた。


「……ごめん」


 顔を俯かせて謝った。

 きっと私の顔は林檎のように真っ赤だろう。

 こんな顔で彼を見つめるなどできない。


「顔、上げてよ」


 彼が優しく私に声をかけた。

 たまらず私は首を振った。

 めげずに彼は声をかけた。


「俺の顔、見て」


 不意に顎に手を添えられ、顔を上げられる。

 これは、もしかすると……! いや、もしかしなくても!

 彼は完璧に私を誘っていた。

 戸惑って私は言葉が出なかった。


「本当に、可愛い」

(ちゅ……)


 優しく唇と唇が重なる。

 きっと観覧車のジンクスになんて任せなくても私たちは。

 永遠にお互いの隣にいられるだろう。

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2人だけの永遠 千ヶ谷結城 @Summer_Snow_

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