第23話
「大したものだわ」
自分の目の前で、指揮官の腹部がきれいに治っていく様子を見せられては、ミライナも頷くほかはありません。
「私はてっきり、宗教の名を借りたペテン師の集まりだと思っていました。謝るわ。そこで、改めてお願いがあるのだけど」
ミライナが、そう、言いかけたとき、扉が乱暴に開き、王冠を頂いた大柄の男がひとり入ってきました。その両腕は、青い顔をした男の子をしっかり抱いています。
「一体何をしている! 奇跡を起こす娘はどうしたのだ」
誰もが首をすくめるような大声で、その男は怒鳴りました。スリヤの顔もビクッと揺れました。ただ、ミライナだけは、慣れた顔つきで、
「あなた、何度言ったら、わかるの。必要のないときに大声を出さないで頂戴」
と男に食ってかかりました。男はそれには応えず、指揮官のそばにいるスリヤに気づいて、
「おお、この娘なのか、マージカ」
と言いました。マージカと呼ばれた指揮官は、
「はい、王様。この娘がスリヤさまです。ほら、この通り、貫通銃創がきれいさっぱり治癒いたしました」
と腹部にある赤い傷跡を見せました。王様、つまり、グルヤナイ王は感激した様子で、スリヤの前にひざまずくと、抱いた男の子を差し出すようにしながら、
「おお、この子も助けてくれ、お願いだ。助けてくれたら、どんな願い事でも聞こう。さあ、早く」
ミライナは、あきれた様子で言いました。
「もう、いい加減にしてよ。少し熱が高くなってるだけじゃない。命に別状はないのよ」
「何を言っている。ただひとりの跡取りなのだぞ。万が一ってことがある。第一、あの忌まわしい一日から、この子は眠ったままじゃないか」
「そりゃあ、まあ・・・でも、状態は安定しているわ。栄養だって、とれてるし」
「安定した状態なら、一生眠ったままでもいいというのか、おまえは」
「そんなこと言ってないわ。医師としての所見よ、これは」
「ふん、何かというと医師の免状を振り回しおって。もういい。ともかく、この子が目を覚ましてくれればいいんだ、わしは。さあ、なんとかしてくれ、スリヤさまとやら」
グルヤナイ王は、手振りでマージカをベッドから退かせると、代わりに眠ったままの我が子を横たえました。
しかし、スリヤ本人は、ムッとした様子で男の子を見ると、
「やだ。こいつはいつもアタイのこと、いじめるんだもん」
と言いました。どうやら、グルヤナイ王の大声で、いつものスリヤに戻ったようです。グルヤナイ王とミライナは目を丸くしました。
「な、なんで、この子のことを知ってるのだ」
「だって、同じ幼稚園に行ってるもん。リッチーだもん、こいつ」
青白い顔で、すぐには気づきませんでしたが、よく見ると、スリヤが三輪車を失敬した、あの大金持ちの息子、リッチーでした。
「な、なんだ、その幼稚園というのは。そんな場所に息子を通わせた覚えは」
「あなたはちょっと、黙ってて」
と、口をはさんだミライナが、じっと、スリヤの顔を覗きこむように見つめました。
「太ってたから、わからなかったけど、あなた、五丁目のアリスじゃないの」
「そんな白い服着てたから、わかんなかったけど、おばちゃん、リッチーのモンママね」
スリヤが、負けじとミライナをにらみ返して言いました。そのときミライナは、悲しんでいるような、喜んでいるような奇妙な顔つきを見せました。
「モンママですって? はは、久しぶりに聞いたわね、その名前。やっぱり、あんたが流行らせたのね」
「知らなーい。ひとこと、モンママって言っただけ。でも、ホントはうちのママ」
とマーヤンを指さしました。マーヤンは、わざと顔をそむけるようにしながら、つぶやきました。
「また、余計なこと言って」
スリヤは椅子から飛び降りると、マーヤンを小突いて言いました。
「だって、『リッチーのママは幼稚園に毎日現れて、文句ばかり言ってる』って、アタイが言ったら、『じゃあ、モンママね』って、言ったじゃん」
「知らないわよ。そんなこと」
「言ったじゃん!」
スリヤの剣幕に押されて、マーヤンはしぶしぶ頷きました。
「はいはい、言いました」
ミライナはどこかヤケクソな感じで、笑いながら言いました。
「まあ、モンスターマザーのことかと思ってたら、文句の多いママのことだったのね。ま、大差ないけど」
その様子をイライラ見ていたグルヤナイ王がとうとう爆発して、怒鳴り声をあげました。
「いい加減にしろ、おまえたち。さっぱり、わけのわからんことを口走りおって」
ミライナは勝ち誇った様子でグルヤナイ王に言いました。
「わけがわからないのは、あなたが元の世界のこと、覚えてないからよ」
「元の世界だと?」
「そうよ。元の世界じゃ、あなたは、ただの不動産屋。私はれっきとした内科医。そして、二人の間には、なぜか」
と、横たわっているリッチーの顔を見たミライナが、ハッとしてその手首をつかみ、そして蒼白な顔になって言いました。
「脈がないわ」
ミライナはあわてて、両手をリッチーの左胸にあてがい、心臓マッサージを始めました。
「誰か除細動器を・・・・ああ、そんなもの、この世界にはないんだわ。リッチー、リッチー」
必死に手を動かし続けるミライナの傍らで、グルヤナイ王がリッチーを見つめながら、オロオロ顔で言いました。
「だから、おまえ、スリヤさまにお願いすればいいんだよ。スリヤさまに」
すっかり、気が動顛しているミライナは、マッサージを続けながら、叫びました。
「わかってるわよ、そんなこと。だから、スリヤさま、お願い、この子を助けて」
しかし、当の本人は、肩をすくめて、あっさりと言いました。
「アタイ、スリヤさまじゃないもん」
マーヤンは再び、呆れ顔で、言いました。
「だから、今のこの子には、わからないんだって、言ってるのに」
ミライナは、髪を振り乱しながら、
「わかってるわよ、そんなこと。黙ってて。スリヤさま、スリヤさまを呼び出さないといけないんだわ。あなた、血を出しなさい」
とグルヤナイ王を睨みつけました。グルヤナイ王はポカンとしながら、ミライナに向き直りました。
「おまえ、いきなり何を言ってるんだ」
そう言い終わらないうちに、グルヤナイ王の顔面には、ミライナの強烈な右ストレートが炸裂していました。
鼻骨の折れる鈍い音がして、グルヤナイ王の鼻からはドロリと大量の血が流れ出し、それを間近に見た、スリヤの大きな悲鳴が響きわたりました。
大人より子供の蘇生の法が早いようです。めざめたボディスリヤがヒーラを始めると、リッチーの顔は、見る見る生気を取り戻し、さらに、長い間閉じられたままだったリッチーのまぶたがパッチリと開きました。その瞬間にグルヤナイ王とミライナ王妃の演じた狂喜乱舞は言うまでもないでしょう。血だらけのままで何度も抱きしめあった後、グルヤナイ王はつぶれた自分の鼻を血染めのハンカチで押さえながら、目をキョロキョロさせているリッチーに言いました。
「ムズガユイ? わかるか」
リッチーは、この世界では、ムズガユイ王子と呼ばれているのです。まあ、でも、リッチーという呼び名で続けたがわかりやすいですね。で、そのリッチーは、グルヤナイ王の問いかけに対して、こう、答えました。
「リッチー、リッチー・・・」
そう何度も繰り返す以外は、まるで生まれたての赤ん坊のようでした。すると、それを見ていたスリヤも、キャッキャとはしゃぎながら、
「レンダール、レンダール、ごほうび、ごほうび」
と繰り返し始めました。ボディスリヤのままです。レンダールは、さっそく仰々しく頷いて、
「はいはい、スリヤさま。今、ご用意しますので。王様、お妃様、ご子息を救ったスリヤさまには、それ相応のねぎらいとご褒美があって、しかるべきと存じますが」
と言いましたが、マーヤンが黙っていません。レンダールを突き飛ばす勢いで、
「ちょっと、待ってよ。私のスリヤはどこへ行っちゃったのよ。スリヤ、目をさましなさい」
と大声を上げながら、スリヤの肩を揺すりました。途端にスリヤの目つきが変わりました。
「あら、ママ。私、何してたの」
赤ん坊同然のリッチーの様子に王と王妃は、なんとも形容しがたい渋い顔つきになっていましたが、冷静さを取り戻したミライナは、リッチーとスリヤの様子をじっと観察して、つぶやきました。
「どうやら、類似点があるようね。この二人には」
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