第22話

森の中で、最初にスリヤを見つけたのは、ゲイルでした。正確にいうと、ゲイルにしがみついていたフィアリが見つけたのです。マンプクのニオイに敏感なフィアリが、巧みにゲイルを誘導して、枯れ木の太い幹から、首を突き出しているようなスリヤの頭部を見つけ出したのです。

「アリス!」

ゲイルは、走り寄った勢いで、枯れ木にドンと手をつきました。すると、目を閉じたままのスリヤの顔はポロンとはがれるように、地面に落ちてしまいました。割れた頭部の顔と首の前半分だけだったのです。滅多なことでは驚いたことのないゲイルが腰を抜かし、「うわぁ」という叫び声が樹間に響きました。

「ホラ、シッカリシテ。アッチ、アッチ」

フィアリがゲイルの肩を叩き、すぐそばに見える池の方を指差して言いました。茂みの間から、水面にゆらぐボディスリヤの姿が見えました。ゲイルはすぐ、気を取り直して、池のほとりへ走りました。ボディスリヤは、ゆらゆらと水面に浮かぶ、首のないスリヤ人形体の上で、その両腕にしっかりと抱かれたまま、気を失っていました。ゲイルは池の中に入り、ボディスリヤとスリヤ人形体を引き寄せようとしましたが、水底に足がつかないほど深い池なので容易ではありません。そこへ、マーヤンとパーヤン、そしてババンとアララが現れました。ゲイルの叫び声に気づいたのです。しかし、マーヤンが最初に見たのは、池に浮かぶボディスリヤの様子ではなく、足元にあったスリヤ人形体の顔面でした。

「ああ・・・なんでこんなことに」

マーヤンはがっくりと膝をついてしまいました。が、パーヤンがすぐに、池の中で溺れそうになりながら、ボディスリヤを抱いたスリヤの胴体を引き寄せようとしている、ゲイルの姿に気づきました。


背丈のあるパーヤンが池に入り、どうにか無事にボディスリヤとスリヤ人形体を引きあげると、マーヤンは、半ばこわごわと我が子の肉体である、ボディスリヤを抱き上げました。

「スリヤ・・・ずいぶん太ったわね」

そうつぶやいたマーヤンの視線は、ババンが大事そうに拾いあげたスリヤ人形体の顔面に注がれていました。しかし、まぶたの固く閉じられた、その顔には何の生気も感じられません。ババンが、いとおしげにスリヤの顔面をなでながら言いました。

「スリヤ、起きてくれないのかい。一体どこに行っちまったんだ、あんたの魂は」

アララは悲しげにつぶやきました。

「あたしもこんなになったら、消えてなくなるんだ・・・」

パーヤンがスリヤ人形体をかつぎあげながら言いました。

「さあ、行こう。こんなとこでグズグズしてたら、すぐに見つかってしまう」

「デモ、チョット、マッテ。ホラ、コッチ、コッチ」

フィアリが草むらの陰から顔を出して言いました。そばにいたゲイルがすぐに気づいて、フィアリのそばの草むらに手を伸ばしながら言いました。

「あったわ。頭の残り」

ゲイルが草むらから拾いあげた、スリヤ人形体の頭部の残りと、ババンの持っていた顔面を合わせると、ピッタリつながりました。

「これなら、ひょっとして、元に戻せるかもしれないね」

ババンが目を輝かせて言いました。マーヤンやパーヤンも嬉しそうに頷きました。その時、不意にボディスリヤが目をさましました。ボディスリヤはボンヤリとした目でマーヤンを見上げると、聞き慣れた口調でこう言いました。

「ママ。なんだか、変な夢見てた」

マーヤンの目がまんまるになって、みるみる涙が溢れ出しました。パーヤンが小躍りしながら叫びました。

「戻った! スリヤがスリヤに戻った!」

ババンは誤魔化すように苦笑いを浮かべ、目尻の涙をすばやく拭いながら、言いました。

「なんだ、宿る場所がなけりゃ、元に戻る。単純な話だね」

その通り。魂の宿る場所が何故か人形になっていたために、スリヤは自分の肉体と離ればなれになっていたのです。別に、人形師・トレメダスの力を借りなくても、人形体が破損、あるいは消滅してしまえば、元のからだに戻ることのができたのです。とはいっても、人形体とはいえ、自分のからだです。自殺するような真似は簡単には出来ませんね。

さて、周囲の様子をポカンと見ていたスリヤですが、ババンが持っていた、ついさっきまで自分の魂がいた人形体の頭部を見ると、

「ヤダー、早くおうちに帰りたいよう。ヤダー」

といって、マーヤンの胸に顔をおしつけたまま、ワーワー泣き出しました。人形体にいた時の記憶がよみがえったのかもしれません。

「はいはい、早く帰ろうね」

マーヤンがやさしくスリヤの背中をなでながら、ふと顔をあげると、いつのまにか銃を構えた兵隊に取り囲まれていました。


王宮の正門前で、「スリヤ様を返せ!」と口々に叫ぶ群衆を、威嚇射撃でかき分けながら、縛られたスリヤたちを連れた兵隊たちが王宮の中に入って行きました。ただし、フィアリはいません。父親に事の次第を伝えたいと思ったゲイルが兵隊たちの隙をついて、逃がしたのです。また、兵隊たちも、小さくて、すばしこいフィアリをいつまでも追い回そうとはしませんでした。特に指導者がいるわけでもなかったので、固く閉ざされた門前にいた群衆の数はじりじりと減っていきましたが、一部の兵士が反乱を起こしたという噂が流れていて、巷に流れる不穏な空気はむしろ増しているようでした。しかし、そんな民衆の離反を招くとわかっていながら、「スリヤ様」を強引に拉致・連行させたグルヤナイ王の方にも、それはそれなりの理由があったのです。


ピラミッド型の王宮は、背後にそびえる浮遊塔の威容に比べるとちっぽけなものでしたが、スリヤたちは建物の様子を一瞥する間もなく、建物の中へ連行されて、いくつもの廊下を曲がり、階段を登ったり下ったりした挙句に、薬草のニオイが充満した部屋に着きえました。多分、医務室のような場所なのでしょう。上下カラシ色の服を着た男女が、得たいの知れない機械や、薬剤の調合をしたり、いそがしく働いていました。その中に、白衣を着た、背の高い、怖い目つきの女性がいて、連行されてきたスリヤたちを見ると、他のカラシ色の制服たちに向かって、

「ただちに全員を洗浄して、着替えさせなさい。汚れた者は一歩たりとも、中には入れない」

と言いました。すると、パーヤンには、制服たちの中から、屈強な二人の男性がつき、残った女性たちには、看護師らしい女性が三人ついて、それぞれ別な浴室へ連れて行かれると、熱いお湯とたくさんの石鹸をつけたブラシ藻で、文字通り「洗浄」されてしまいました。アララは人形だというので、両手、両足、頭を抜き取られて、ゴシゴシ洗われました。ブラシ藻はアコギ国の特産品で、湖に自生する、タワシに似た藻の一種で、乾燥させると文字通り、やわらかいタワシのようになります。肌がひりひりするほど、乱暴に洗われ、お湯をかけられましたが、何日もまともに入浴していなかったパーヤンは、のんきなもので、濡れたままで囚人服をあてがわれた時に、思わず、

「あー、スッキリした」

と、つぶやいていました。付き添っていた制服の若者のひとりは、苦笑を浮かべながら、言いました。

「この先どうなるのか、わかってるのか。このまま、銃殺されるかもしれないんだぞ」

「ハハハ、くさいままで死ぬよりはいいかも」

パーヤンとしては、精一杯の虚勢でしたが、元々怖がりなので、「銃殺」という言葉に思わず、もらしそうになっていたのは仕方がありません。


全員がさっぱりした囚人服姿で、再び、白衣の女性がいた部屋に戻ると、その本人が奥の部屋から出てきて、

「ところでスリヤ様というのは、誰」

と言いました。全員の目が、一斉にスリヤに注がれましたが、当の本人もキョロキョロと辺りを見回していました。

「なに、あなたがスリヤ様? なんなの、その態度は」

白衣の女性は疑わしげにスリヤを見つめました。マーヤンがムッとして、何か言い返そうとする前に、ババンが言いました。

「ついさっき、自分のからだに戻ったばかりなのでね」

「なに、あなたに聞いていないわよ。大体、なんなの、この連中は。グルヤナイ王の命令は、スリヤ様の連行じゃなかった?」

白衣の女性は、嫌味たっぷりな口調で、スリヤたちを連行してきた若い士官に問いただしました。若い士官は、かかとを揃えて音を立てると、

「申し訳ありませんミライナ様。王様からは逃亡を助けた者も一網打尽にせよ、との命令でしたので」

「ふん、そんなこというなら、城門の前で騒いでいた奴らも一網打尽にしたら、どうなの。ともかく、スリヤ様の奇跡とやらを拝見しなくちゃならないから。さあ、こちらへどうぞ、スリヤ様」

ミライナと呼ばれた白衣の女性が、スリヤにわざとらしく頭を下げました。自分のからだに戻ってからは、母親に頼りきりになっている感じのスリヤは、マーヤンの膝にぎゅっとしがみつきました。もう、人形体でいた頃の、勇ましいスリヤの記憶は、ほとんど残っていないようです。

「なに、ひとりじゃイヤ? じゃ、その女と一緒に来なさい」

「その女じゃありません。この子の母親です」


その病室では、スリヤを連れ去ろうとした例の指揮官とその部下が手当を受けていました。レンダールもいました。指揮官はベッドから上半身を起こした姿勢で、数人の医師たちと口論をしていました。お腹に受けたという傷が、少し深い切り傷程度にしか見えない、という医師たちに指揮官が反論していたのです。

「違う。確かに銃弾は背中まで貫通したのだ。さっき、その痕を見せたではないか」

指揮官は自分の背中をひねるようにして見せながら言いました。そこへ、ミライナが、

「さあ、その論争にはこれで終止符を打てるわ」

と言いながら、武装兵に挟まれた、スリヤとマーヤンと共に入ってきました。

「スリヤさま!」

レンダールと指揮官が同時に叫びました。スリヤは、その大声にびっくりして、マーヤンの陰に隠れようとするほどでした。レンダールはスリヤの前で片膝をつき、

「ご無事で何よりでした。やはり、スリヤさまには神のご加護があるのだ。なのに、この者達は」

「うるさいわよ、あなた。さっきも注意したけど、私は事実が知りたいだけ。余計なことピーピーガーガー言わないでくれる」

ミライナがピシャリというと、レンダールの鼻先には、武装兵の銃口が突きつけられていました。黙るしかないレンダールでした。

「しかし、お妃様。さきほどもご説明した通り、この私は実際に」

ミライナにギロリと睨みつけられた指揮官は口をつぐみました。「お妃様」というのは、グルヤナイ王の妻ということですね。どうりで態度が大きいわけです。ミライナは、指揮官のベッドの脇に椅子をひとつ用意させると、そこへスリヤを立たせるように、マーヤンに命じました。スリヤは泣いて嫌がりましたが、マーヤンが、

「このままだとおうちに帰れないのよ」

と言われると、おとなしくなりました。腹部の傷をあらわにするよう、指揮官に命令したミライナは、スリヤの傍らで腕組みをしながら言いました。

「スリヤさま。じゃあ、試しにこのかすり傷をきれいに治して頂けますかしら」

室内が一瞬静まり返り、スリヤに視線が集まりました。しかし、スリヤはただ、ポカンとした様子で、指揮官のお腹を見ているだけです。指揮官は請うような目でスリヤに言いました。

「さ、スリヤさま、あの時のように」

しかし、スリヤは自分の鼻をつまんで、マーヤンに振り返り、言いました。

「ママ、このおじさんの息、くさ~い」

ミライナが苦笑いを浮かべながら言いました。

「なんなの、これ。ふざけてる場合じゃないのよ」

マーヤンが首を横に振りながら、言いました。

「わからないのよ、この子には」

「じゃ、やっぱりインチキってこと?」

とミライナが言いかけたとき、指揮官が軽く咳込んだかと思うと突然、口から大量の血を勢い良く吐き出しました。胃の内側で治りかかっていたところが切れたのでしょう。その血を浴びたスリヤは、びっくりして一瞬を気を失ったのですが、次の瞬間、ボディスリヤの顔つきがよみがえり、口のまわりを血まみれにした指揮官に向かって、

「スリヤー」

と言いながら、ヒーラのポーズをとっていました。

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