第20話

ババンとアララがステージに現れた時の、スリヤやマーヤンたちの叫び声は、ババンの耳に届いていました。とはいっても、歌っている最中に、千人の観客から、スリヤたちを探し出すことはとても出来なかったのです。

「あんたたちはもう、てっきり牢屋につながれてると思ってたわ」

ババンはヒソヒソ声で言いました。そこは人気のない舞台裏の楽屋で、スリヤたちの他に、ゲイルとボレルもいました。あの大騒ぎも結局は、ウソのように収まってしまいました。というのも、ステージにはボディスリヤが登場して、その傍らで、レンダールの長々しい演説が始まったからでした。ババンの言ったとおり、野良着の男たちにさらわれていったのは、ニセ人形だったのです。

「あの、レンダールとかいう男はクセモノだわ。スリヤ様の誘拐計画があるとわかってたから、わざわざ、ニセのスリヤ様を用意してたんだから。騒ぎの起きた方が、スリヤ様の人気が出るって寸法よ」

「連中は何者なの?」

マーヤンが聞きました。

「お客さんたちの話じゃ、王室の親衛隊らしいわ。王様がスリヤ様を嫌ってるみたいだから。でも、親衛隊の中にもスリヤ教の信者がいるから、情報は筒抜けなんだって」

心配げな様子のボレルが口をはさみました。

「それで、あなたがたはこれからどうするつもりですか。そのう、そちらのアリスさんのために、あの、スリヤ様のからだが必要なのでしょう?」

マーヤンが止めようとする間もなく、ババンがスリヤたちの本当の目的を洗いざらい喋ってしまったのです。とはいっても、なぜ、スリヤの魂が人形に移ってしまったのかは、誰にも説明ができなかったので、ボレルもゲイルも半信半疑のままでした。そんな疑いをよそに、スリヤは壁に寄りかかったまま、まるで人間のように、やつれた表情をしていました。そばにいたアララが聞きました。

「どうしたの。なんだか、気分悪そう」

「うん。なんだか、変な感じする」

演舞場に来てから、自分の心が、宙に浮かんでいるような、妙な感覚につきまとわれていたのです。スリヤは、左手にはめた腕輪を鼻に近づけました。マンプクの樹脂で作られている腕輪なので、人形の気分を良くする効果があります。


ステージ上では、「ヒーラ」が始まっていました。大きな寝台の傍ら、台の上に立ったボディスリヤの前に、傍らのレンダールの呼びかけで、まず、舞台に上がったのは、死に装束をした老人の遺体を4人がかりで担いできた男たちでした。遺体はレンダールの指示で、ボディスリヤの目の前にある、寝台に横たえられました。「ヒーラ」の受付で老人の遺体を直接見ていた人が何人もいたので、疑いの余地はありません。

「さて皆さん、人形と違って、人間は生まれた時から死ぬことが定められております。これが運命と称しているものですが、時として、微妙な狂いが生じることがある。俗に不慮の事故とか、ポックリ病とかいわれるものです。こうした場合、からだに損傷がない場合は、きっかけさえあれば、魂が元に戻ってくれることがあります・・・」

レンダールの長広舌はしばらく続くのですが、ここは省略しましょう。

「・・・そして、神の子、スリヤ様が、そのチャンスを与えてくれるのです。まず、皆さんで祈りましょう」

レンダールが、お祈りをするように両手の指を組み合わせると、ボディスリヤを除いた、観客席とステージ上の全員が同じポーズをしました。

「では、スリヤ様」

ボディスリヤが、レンダールの手を借りて、椅子から降りると、老人の遺体の前に立ちました。そして、ポロンを蘇生させた時のように、無造作に両手を遺体の上にかざし、唸りました。

「スリヤー」

最初の「スリヤー」で、わずかに老人の遺体が震え、近くで気づいた人々からどよめきが起こりました。二度目の「スリヤー」で、老人のからだは前後に揺すられるようにはっきりと動き、三度目には、老人のまぶたがはっきりと開きました。老人は頭を少し上げるように周囲を見回しながら、言いました。

「ここはどこですか。わしは誰ですか」

とたんに、場内には歓声と割れんばかりの拍手喝采に包まれました。ババンがスリヤたちを連れて、観客席に来たのは、ちょうどその頃です。蘇生した老人は、自分で起き上がり、ベッドの端に座って、茫然とした様子でした。肉親らしい、若い男女が老人の介抱を始めました。歓呼と拍手は続き、その様子を見ていたボレルは、ただ、手を合わせて、

「おお、スリヤ様、スリヤ様。おお」

と繰り返し、感動のあまりにあふれる涙をぬぐおうともしません。今まで、疑いを抱いていたゲイルでさえ、手を合わせて、舞台上のボディスリヤを畏敬の念で見つめているようでした。

その時です。単発銃を手にした兵隊たちが舞台両脇の出入り口から、なだれこんできました。散発的に起きた悲鳴を打ち消すように、兵隊たちの指揮官の怒鳴り声が響きました。

「警察だ。ここに指名手配の盗賊が紛れ込んでいるとの情報があった。全員、その場から動かないように」

パーヤンがびっくりして、マーヤンと顔を見合わせました。

「え、ひょっとして、俺たち・・・」

「違うよ。目的はあれ」

ステージ上では、指揮官と兵隊たちが、ボディスリヤとレンダールを取り囲んでいました。レンダールはボディスリヤを抱きしめたまま、指揮官を怒鳴りつけました。

「何をする気だ。ここには盗賊などいないぞ!」

「安全確保をするためだ。安全確保」

指揮官はそう言うと、兵隊たちに顎で合図しました。兵隊たちは、ボディスリヤを抱いたレンダールを無理やり歩かせようとしていました。それを見ていた観客が次々と叫びました。

「スリヤ様に何をする気だ」

指揮官が怒鳴りました。

「騒ぐんじゃない。これは安全上のやむを得ない措置である」

ところが、ボレルが、不自由な左足をひきずるようにして、ステージへ向かいながら、叫びました。

「止めてくれ! スリヤ様が誘拐されてしまう」

その声に呼応して、観客席から何人かが立ち上がろうとしました。しかし、指揮官はすばやく、連発短銃を天井に向けて、数発撃ちました。一瞬にして、場内は静まりました。

「命令に従わないやつは逮捕する。おい、あの男を捕らえろ」

指揮官はボレルを指さし、数人の兵隊が動き出しました。ボレルは、はっとして立ち止まりました。ババンが叫びました。

「みんな、逃げるんだよ」

パーヤン、スリヤたちがボレルを再び抱き起こし、背後の出入り口へ向かおうとしました。しかし、そこにも兵隊たちの単発銃の銃口が待ち構えていました。

「止まれ!」

先頭になっていたパーヤンが、さっそく両手を上げて、言いました。

「はいはい、止まります」

「こんな奴ら、アタイが」

スリヤがパーヤンを押しのけるようにして、前へ出ようとしましたが、ババンがスリヤの肩を押さえました。

「だめ、歯向かったら、死人が出る」

その時、ステージの方から銃声が起きました。ボディスリヤを奪い返そうと、数人の若者たちが観客席から、ステージへ突進したのです。それがきっかけになって、大騒ぎが始まりました。兵隊たちに襲いかかる者や、逃げ出そうとする者が入り乱れて、狭い通路で押し合いへし合い、何人かは撃たれて倒れましたが、それに興奮して、兵隊たちに跳びかかった男が逆に単発銃を奪って、撃ち返したりしました。よく見ると、兵隊たちの中には、観客たちに味方している者もいて、同士討ちになっているところもありました。ボレルをかばって、出口を目指そうとしていたスリヤたちも、身動きが取れません。

「無理はしない。こういう時はからだを低くして、じっとしているのが一番いいんだよ」

ババンが言いました。ところが、スリヤは突然、そばで乱闘を始めていた兵隊と若者を次々と投げ飛ばしてしまいました。ババンが思わず叫びました。

「スリヤ!」

スリヤがうなるように言いました。

「アタイのからだが・・・呼んでる」

マーヤンとパーヤンがスリヤの両腕をつかみました。

「ダメよ。今行ったら、チャンスがなくなる」

マーヤンが叫びました。でも、スリヤは軽々と二人の手を振りほどき、行く手の兵隊や観客たちをなぎ払うようにしながら、ステージへと突進しました。

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