第19話

その日は、朝からグレルン演舞場の周囲を長蛇の列が取り囲んでいました。グレルン演舞場は、平たいきのこの傘を思わせる屋根のついた3階建ての建物で、空から見たら、この行列がきっと、きのこに群がるアリの行列のように見えたことでしょう。貸し切りなのに、行列が出来ているのは、入り口で厳重な持ち物検査が行われているからでした。「古典芸能鑑賞会」という、とってつけたような名前の団体の貸し切りということになっていて、入場できるのは、会員証を持っている人とその家族に限られていました。ゲイルが父親・ポロンの知り合いに会った時、この会員証をもらっていたので、スリヤたちも行列の一員になっていました。目立たないようにフード付きの上着を羽織っていたスリヤですが、それでも周囲より頭ひとつ抜けていたので、少し前かがみになっていました。前後の列を見渡したスリヤは、傍らのマーヤンにヒソヒソ声で言いました。

「じいちゃん、ばあちゃんと病人ばっかり」

確かにボレルのように手押し車に乗った病人や杖をついた老人とその家族という組み合わせが目立っていました。中には、明らかに息をしていない様子の、青白い顔の老人を乗せた手押し車も混じっているようでした。

「しっ。あんたは病人なんだから、余計な無駄口叩かないの」

マーヤンが小声でスリヤを叱りました。背後にいたボレルが不安げにつぶやきました。

「確かにちょっと多いですなあ、きょうは。ヒーラの受付は50組くらいという話らしいから、ちょっと、間に合わないかな」

ヒーラというのは、ボディスリヤが信者のからだの不調を治すという、例のお祈りのことです。実際に、何人かの死人が生き返った、という噂が広がって、信者の数は爆発的に増加していました。ゲイルがボレルの手押し車の把手を握る手に力をこめて言いました。

「大丈夫、私が絶対、なんとかする」

「ソウ、ゼッタイ、ナントカナル」

ゲイルの肩に乗るフィアリもいつもとは違う、真剣な表情で言いました。マーヤンも改まった口調で言いました。

「あたしたちも協力するから」

「ありがたい。アリスさんがいれば、百人力ですよ、ほんとに」

スリヤの怪力を目の当たりにしていたボレルが嬉しそうに言いました。しかし、互いに目を合わせたマーヤン、パーヤン、スリヤには別の計画がありました。


その頃、演舞場の控室では、イーヨネたち、アンダラン一族のメンバーとレンダールが打ち合わせをしていました。ババンとアララは、あの後、イーヨネに頼み込んで、ポロンの屋敷に残ることにしたのですが、レンダールが、スリヤ様は飽きっぽいので、あなたがたをわずらわせるようなことにはならないでしょう、と言ったとおり、翌日の午後に一度呼ばれたきりで、後は何もすることもなく、この日を迎えたのでした。真夜中、密かにボディスリヤを連れ出す機会を狙っていたのですが、護衛の四人が絶えず目を光らせていたので、そんなチャンスが訪れることは全くありませんでした。ところで、レンダールがわざわざ打ち合わせを頼んできたのは、ボディスリヤの登場を、より効果的に盛り上げたいという目論見で、イーヨネの奇術でボディスリヤがステージに現れるようにしたかったからです。イーヨネは、わがままなボディスリヤの性格を間近に見ていたので、段取り通りに事が運ばないと、失敗するから、と一度は断っていたのですが、そんなことはないから、とレンダールは自信満々で言いました。二~三度リハーサルをすれば、大丈夫だから、とボディスリヤを呼んだのです。現れたボディスリヤは、イーヨネが驚くほど従順で、イーヨネの助手・メードナのロングドレスに隠れる方法や、マジックボックスの入り方などを説明通りにこなして、改めてリハーサルをする必要がないほどでした。ババンとアララは、ボディスリヤの豹変ぶりを呆気にとられて見ているほかはありませんでした。


演舞場の建物は、ほぼ円形なので、場内も、ゆるやかな弧を描く舞台の周りを客席が階段上に取り囲む形になっていました。開場と共に千席以上はあるはずの客席もすぐに埋まり、スリヤたちの一行もどうにか、最後列の一角に収まることが出来ました。ヒーラの受付も、ぎりぎりの五十番目。これはどうなるか、わかりません。手押し車での入場は認められていないので、スリヤ教団の介助係が何人も待機していましたが、ボレルはスリヤひとりで楽々と持ち上げられたので、その必要がありませんでした。

アンダラン一族のショーがいつのまにか始まりましたが、大半の観客はボディスリヤの登場を待ちわびているのですから、場内のざわめきはいっこうに収まる気配もありません。しかし、スリヤ、マーヤン、パーヤンの三人の視線は、舞台の上に釘付けになっていました。というのも、緞帳が左右に開くと同時に、軽快な小太鼓の音を響かせて、思いもよらぬ舞台の真上から、ブランコに乗ったアララが登場したからです。

「アララ・・・」

三人が同時に小さな叫び声をあげました。赤ん坊の背丈とさほど変わらない小さなからだですが、特徴のある衣装と長いポニーテールを見間違えるはずもありません。ゆっくりと降下してきたアララが、舞台の中央に据えられた丸テーブルに無事降り立つと、今度は、丸テーブルの後ろにある、木製のドアが開き、ロココ調のきらびやかなドレスに身を包んだ歌姫が登場しました。

「ババン!」

三人の声は、周囲の観客を驚かせるほど大きくなっていました。

傍らにいたボレルもびっくりした様子でたずねました。

「お知り合いですか?」

ただ、ただ、うなづくしかない三人でした。スリヤは、元いた世界でも、子守唄以外で、ババンの唄を聴いたことは一度もなかったので、こんな大劇場で、少しのにごりもない美しい歌声を響かせる祖母の技量に感心してしまい、ここへ来た目的すら忘れてしまうほどでした。単調ながらも哀愁に満ちたアララの小太鼓に合わせて歌うババンに、ずっと不機嫌な様子だったゲイルでさえ、心を動かされた様子で、

「すごいね」

とつぶやいていました。


通常のプログラムだと、一座の出し物は、全体で二時間近くを費やすのですが、イーヨネは、この日の客が特別なのを心得ていて、一時間ほどに収まるようにと、全員の出演時間を半分ずつにしていました。そんなわけで、ババンの唄もふつうなら五曲あるところを、二曲で終わってしまったので、スリヤは少しがっかりしました。とはいえ、続いて登場したダンダとダローラのシーソーを使った曲芸や、伝説のナイフ使い・キンデラーの弟子というアロウズの妙技など、次から次へと手錬れの芸人たちが登場して、あきるヒマもなく、気がついた時には、最後の演し物、イーヨネの奇術が始まっているほどでした。さて、奇術といっても、なにせ、ジュモンで人形が動いたり、止まったり、物が浮かんだり、落ちたりする世界なので、どんな不思議な現象が起きても、この世界の住民たちは滅多に驚くことがありません。そこで、大がかりな舞台での奇術では、縄抜けや瞬間移動といった、ジュモンの使えないものが主流となっていました。イーヨネの奇術も、舞台の上手(右側)と下手(左側)に離れた、ふたつの大箱の間で、中に入れた物や人間が瞬間的に移動するというもので、イーヨネが上手の箱に入れたはずのウサギが、掛け声ひとつで、下手の箱から飛び出したり、下手の箱に入れた金魚鉢が、上手の箱から現れたりするたびに、いままで絶えることのなかった観客のざわめきは、だんだんと歓声に変わっていきました。それは待ち望んでいたものが登場するかもしれないという、期待感の現れだったのかもしれません。そして、リハーサル通り、その瞬間が訪れるはずでした。


開演前の最後の打ち合わせでも、イーヨネは何度もボディスリヤが登場するまでの段取りを説明していました。

「四番目は観客のひとりを舞台に上げて、下手の箱に入ってもらい、上手の箱から出てもらいます。もちろん、あらかじめ仕込んだ双子の少年の片方です。この際、少年には子グマのぬいぐるみを一体持たせます。そのとき、少年が思いつきで、ぬいぐるみに自分の名前をつけたいと言い出して、ぬいぐるみの名札に自分の名前を書き込みます。もちろん、名札に書き込んだふりをするだけで、実際には同じ名札が二枚、ぬいぐるみも二体用意されています。最初の少年が下手の箱に隠れたふりをした後、上手の箱から、双子のもうひとりが名札つきのぬいぐるみを持って現れることになります。ここで、さらにこの少年が、また、我がままを言い出します。ぬいぐるみだけを下手の箱へ戻したいというのです。そこで、私は急な事態にまごつきながら、おっかなびっくりで、上手の箱にぬいぐるみだけを入れて蓋を閉じ、次に下手の箱を開けると、そこにはスリヤ様がいる、という寸法です」


イーヨネの段取り通り、観客席の最前列にいた少年が、さも偶然を装って、ステージに上がり、観客の驚きを誘う瞬間移動をやってのけた後、ぬいぐるみだけが上手の箱に戻され、いよいよボディスリヤの登場を迎えることとなった時のことです。ステージと観客席の間にある左右の出入り口から、もくもくと煙が上がり、誰かが「火事だ!」と叫びました。一瞬の内に、場内にいた観客たちはパニック状態になり、我先にと出入り口へ殺到する騒ぎとなってしまいました。この事態を唖然として見ていたのが、マーヤン、パーヤン、そしてスリヤでした。ヒーラの順番が来たら、発煙筒を炊いて、火事騒ぎを起こし、ドサクサまぎれにボディスリヤを連れ出すというのが、三人の計画だったからです。もう、それどころではありません。うろたえるゲイルをなだめ、ボレルを抱き上げたスリヤは、「早く!」とマーヤンたちに叫びました。しかし、マーヤンとパーヤンは慌てる素振りを見せません。

「慌てずに少し待った方がいい」

とパーヤンが言いました。

「ダメだよ。燃え出したら、あっと言う間なんだから。アタイ、見たことあるんだから」

目の前で家の木が激しく燃えさかったのを、スリヤは思い出していました。

「これは火事じゃない。煙の臭いを確かめてごらん」

マーヤンが言いました。スリヤは臭いを確かめました。すると、つい数日前にマーヤンたちと内緒で発煙筒を作ったときに、嗅いだにおいと同じことに気づきました。それは発煙筒の材料によく使われるケムリグサだったのです。

「あれを見て!」

ゲイルがステージを指さしました。煙に取り巻かれた中で、例の下手の箱の周りで数人の男たちが格闘しているのが見えます。一方は麻袋みたいな貫頭衣を着たボディスリヤの護衛たち、そして、もう一方は農民のような茶色い野良着を着た男たちでしたが、上背は護衛たちと変わらないほどで、しかも俊敏さでは一枚上のようでした。護衛たちを次々と打ち倒すと、その中のひとりが、下手の箱を乱暴に開きました。中には、ぬいぐるみを持った小さな女の子が入っていて、箱を開いた男がすばやく、その女の子を脇に抱えると、他の男たちと共に舞台の袖へと走り去りました。

「あ、あれは、スリヤ様・・・」

ボレルがスリヤの背中で叫びました。スリヤはびっくりしました。自分のからだなら、すぐ気づくはずなのですが、太めの女の子としか見えなかったのです。

「私のことは良いから、は、はやくお助けを」

「後はまかせて」

マーヤンが言いました。スリヤはボレルを下ろすと、男たちの消えた舞台の袖に向かいました。しかし、客席から舞台の上に飛び上がると、そこにはババンとアララが待ち構えていました。

「追わなくていい」

「ババン・・・」

「あれはニセモノ」

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