第18話

ババンとアララが、座長のイーヨネと共に連れてこられたのは、グレルンでも名高い豪商・の大邸宅でした。さすがに浮遊塔のある、王宮の豪華さには、かないませんでしたが、クッションのきいた四輪馬車の窓から、アララに見える景色は、アーチ型の門をくぐってしばらくは、うっそうとした森が続いて、なかなか途切れることがありませんでした。ようやく姿を現したのは、三段積みのデコレーションケーキの上に、てっぺんがまゆのように膨らんだ尖塔を乗せた、オレンジ色の、巨大で、けばけばしい建物でした。


グレルン市に入ってからの「の公演は、ずっと好調で、最初に設営したテントではお客が入れないほど連日満員が続いたので、イーヨネは出血覚悟で、大劇場の「グレルン演舞場」を一週間ほど借りることにしました。この期間は、もともとヤスリ祭に人出が奪われる時期なので、演舞場の借り手はほとんどいなかったのです。そんな折、イーヨネのところにからの使いが現れました。「アンダラン一族」の公演期間に、丸1日を貸し切りにしたいというのです。満席だった場合の倍額を払う、という破格の条件だったので、イーヨネはすぐに受け入れることにしました。さらに、の邸宅で、ババンの歌とアララの小太鼓を披露して欲しいと頼まれたのでした。


召使いに従い、イーヨネ、ババン、アララが通されたのは、邸宅の中にある小劇場でした。テーブルを囲む座席が数十人分はあって、大人の腰くらいは高さのあるステージは、小編成のオーケストラなら十分すぎるほどの広さがありました。テーブルのひとつを選んで、腰を落ち着かせようとしたのも束の間、「どーも、どーも」と言いながら、人なつっこい表情をした大柄の老人が入ってきました。オレンジ色の上着に、緑色のチョッキといういでたちは、主人であるポロンに間違いないでしょう。そのあとには、麻袋を思わせる、粗末な貫頭衣を着て、頭は短髪にして、小さなつばなし帽をかぶった、小柄な中年男性が従っていました。

「わざわざ、おいで頂いてありがとうございます。わたくしが主(あるじ)のボロンです」

チョッキの金ボタンをなでながら、が言いました。

「それから、こちらがレンダール導師」

「ボロンさん、その言い方は」

中年男性がの言葉をさえぎりました。

「ああ、申し訳ない。つい、いつもの口癖で」

その時別の扉から、レンダールと同じようないでたちですが、はるかに体格の良い男たちが四人、「失礼します」と言いながら入ってきました。レンダールがちらりと男たちを見ると、そのうちのひとりが、「問題ありません」と頷きました。

「では、お呼びしろ」

とレンダールが命令すると、男たちは入ってきた扉から出て行きました。

ころ合いを見計らっていたイーヨネが、営業用の笑みを浮かべながら、言いました。

「さま、お招きにあずかりまして、光栄でございます。こちらは、我がアンダラン一族が誇ります、歌姫のエステバンと小太鼓のララーと申します」

そう言い終わらないうちに、かん高い子供の笑い声がして、小さな女の子が駆け込んできました。振り返ったババンはびっくりして、その女の子を見つめました。少し太めでしたが、自分の孫娘を間違えるはずもありません。レンダールたちと同じような服装をした、その少女は、まぎれもなく、スリヤの肉体だったからです。呼び名で混乱するといけませんので、この女の子は、「ボディスリヤ」と呼ぶことにしましょう。さて、その、ボディスリヤは、その後に、慌てふためいて続いてきた、4人の男たちに構わず、ステージの一番前の席にすわると、手を叩いて、叫びました。

「はやく、はやく。見たい、見たい」


その頃、盗賊たちをスリヤが蹴散らして、無事にグレルン市にたどりついた一行でしたが、気がかりなのはゲイルの様子でした。スリヤのからだが人形だとわかってから、誰とも口をきかず、ただ、ボレルの乗る手押し車を黙々と押しているようになったからです。ボレルは、何度か、振り返っては、たしなめるように、ゲイルの名前を呼びましたが、ゲイルは「わかってる」と短く答えただけでした。ふざけるフィアリを払いのけるようになったので、フィアリも仕方なく、スリヤの肩に乗るようになったほどでした。

ボレルの知り合いがやっている宿屋に着くと、ゲイルは、ボレルに手紙をくれたスリヤ教の信者に連絡を取ってくるから、と、すぐに出て行ってしまいました。祭りの見物客で、昼間からにぎわっている宿屋の食堂の片隅で、ボレルがすまなさそうに口を開きました。

「命を助けてもらったのに、あんな態度しかとらない娘のことを、どうか、許してやってください。まだ、小さい頃、あの子の兄が、偽装人形のために命を失ったもんですから」

「偽装人形というのは、つまり」とパーヤンが聞きました。

「ええ、こちらのアリスさんみたいに、うわべは人間を装った人形のことです。十年前の戦争では、ズルンダ国から何体もの偽装人形がスパイとして送り込まれていました。そのひとりに、ゲイルの兄が騙されてしまいましてね。そりゃあ、見た目はとびきりの美人だし、気立ても良かったので、軍人で世間知らずだったあいつは、コロッとまいってしまって。ゲイル本人もなついていたくらいだったので、本当は人形で、しかもズルンダのスパイだとわかったときには、もう、大変な騒ぎでした」

ボレルはそれ以上詳しく語ろうとはしませんでしたが、スパイと付き合っていた軍人として、厳罰に処せられたのかもしれません。今はゲイルと、いつもいっしょにいるフィアリも、その偽装人形からの贈り物でしたが、フィアリ自身も、その偽装人形を人間と思い込んでいたほどですから、よほど精巧な出来栄えだったのでしょう。スリヤは自分の両手を、少し悲しげな目つきで見つめて言いました。

「でも、アタイは」

「いやいや、本当のからだを奪われたというんじゃ、仕方がないですよ」

マーヤンとパーヤンは、ボレルたちには、自分たちの娘・アリスが人形師の実験台にされて、人形体に魂を移されてしまったという説明をしていました。スリヤ様のからだが目的だと言ったら、ボレルが反感を持つかもしれない、と考えたのです。

「スリヤ様なら、きっと、アリスさんの失われたからだの行方も突き止めてくださるでしょう」

「ええ、そう願いたいわ」

マーヤンが言いました。


ババンは、アララの小太鼓の伴奏で、ステージの上で歌いながら、自分の孫娘のからだである、ボディスリヤの様子を、半ば呆れ顔で見ていました。テーブルの上には、様々な果物や砂糖菓子が盛られていて、ボディスリヤは始終何かを頬張りながら、ババンの歌を聞いていました。演奏が終わると、

「すごい、すごい、もっと、もっと」とボディスリヤは上機嫌で手を叩き、もう、何度アンコールに応えたのか・・・傍らにいたレンダールが、さすがに見かねた様子で、

「スリヤ様、そろそろ、お祈りのお時間ですので、この辺りで終わりに致しましょう」

「やだ、やだ、もっと、もっと」

ボディスリヤは、激しく首を横に振りました。レンダールの口調が少し厳しくなりました。

「お祈りの時間をつとめないと、お食事はありませんよ」

ボディスリヤの動きがしずまり、小さな声で、「やだ」と答えました。レンダールは、ババンたちに丁寧なお辞儀をしながら、

「すばらしい演奏をありがとうございました」

と言いました。さらにボディスリヤの肩を少し、うながすように押すと、

「ほら、スリヤ様もお礼を」

ボディスリヤはしかし、アララの方を指差して、言いました。

「それ、それ、欲しい、欲しい」

「スリヤ様、そちらの方はおもちゃではありませんよ」

レンダールの口調がきびしくなりました。アララは、ババンと苦笑いを交わしながら、ステージを降りました。むっとした表情で口をつぐんでいたボディスリヤは、突然、目の前にあったお菓子の器をひっくりかえしてしまいました。

「スリヤ様、いけませんよ、それは」

レンダールが叱りました。しかし、ボディスリヤは両手両足を振り回しながら、叫びつづけます。

「いやだ、いやだ、欲しい、欲しい・・・」

4人の男たちが、ボディスリヤの不始末を急いで片付けにかかりましたが、ボディスリヤは、テーブルの上にある食器や花瓶も倒したり、落としたりしました。ババンは、まだ3歳にならない頃のスリヤの様子にそっくりだったので、思わずため息をついていました。レンダールは、仕方なく、ボディスリヤの両手を押さえつけました。

「そこまでですよ。これ以上はいけません」

ポロンが、部屋の隅に飾っていた、バレエダンサーを形どった、美しいガラス細工を手に取ると、ボディスリヤの目の前に差し出しました。

「スリヤ様、ご覧なさい。きれいでしょう。これは、クリスタルダンサーといって、この国で一番の」

と、が言い終わらないうちに、ボディスリヤの自由だった右足が、ガラス細工の細い首を蹴り上げ、ポキンとあっけなく、その首は折れてしまいました。驚いたポロンが自分で息をつめたような表情で、言いました。ポロン

「こ、これは、この国でただひとつの・・・」

床に落ちたガラス細工の首を拾い上げようと身をかがめたポロンは、一転して苦しげな表情で胸を押さえ、そのまま、崩れるように倒れてしまいました。

「しまった。また、発作か」

舌打ちしたレンダールが指図するよりも早く、4人の男たちは心得たように、ポロンを仰向けにして上着の喉元をはだけさせると、マッサージを始めました。

レンダールは、ボディスリヤを、横たわるポロンの傍らに立たせて、言いました。

「スリヤ様、ご覧のとおりです。お世話になっている様のために、是非、お祈りを」

ボディスリヤは、さすがに自分の不始末の結果にしおらしくなっていましたが、すぐにポロンの周りにいた男たちを払いのけるようなしぐさをしました。慌てて4人の男たちが飛びのくと、ボディスリヤは両手を、ポロンのからだの上に差し出すと、唸るような声を絞り出しました。

「スリヤー、スリヤー」

そう言いながら、何かを引き寄せるように両手を動かしていると、突然、ポロンのからだがビクリと動き、目が開きました。ハッと起き上がると、周囲を見回したポロンは、ポカンとした表情で言いました。

「ああ、私は一体・・・」

レンダールがポロンを見つめながら、言いました。

「スリヤ様です」

ようやく事態がのみこめた様子のは、ボディスリヤの前にひれ伏して言いました。「スリヤさま、ありがとうございます。また、生き返らせていただきました。ありがたや、ありがたや」

ボディスリヤは、手を叩いて喜びました。

「ハハハ、できた、できた。かんたん、かんたん」

眼の前の奇跡に、びっくりしたババンとアララは、ただ、声もなく顔を見合わせるだけでした。

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