第16話
スリヤたちはは、二日ばかり野宿をして、アコギ国の首都であるバラシリに着きました。野宿でハージカとマーヤン、パーヤンが寝息をたてている間も、眠る必要のないスリヤは見張りに立って、あれこれ考えごとをめぐらしました。自分のからだに再会できたとき、どうやって、相手を傷つけずにつかまえるか。上手くつかまえられたとしても、トレメダスの所まで連れていくには、一体どうすれば良いのか。今は大きな図体でも、心はまだ幼いスリヤには、なかなか、いい考えが浮かびません。ただ、心の奥に何かつっかえるようなものがあって、それに邪魔されて考えがまとまらない、という厭な感じがつきまとっていました。その正体が明らかになるのは、まだ、ずいぶんと先のことになりますが。
アコギ国の首都バラシリは、国王グルヤナイの住む王宮を中心に放射状に広がった街で、王宮のすぐ外側に軍用地と官公庁、その外側に商業地区が取り巻き、続いて住宅地区、農村地区といったかたちになっています。ハージカは表向き薬草の販売を営んでいて、農村地区の一角に店を開いていました。実際は隣国のズルンダ(穴に落ちたスリヤが目をさました場所の国名は、こんな風だったのですね)で禁制品の媚薬や精力剤を手に入れては、なじみの金持ちたちに売りさばいていたのです。スリヤたちはハージカの親類ということで、普段は物置に使っている店の奥に3人分の寝床を作ってもらい、逗留することになりました。自分は寝床はいらない、と、スリヤは言ったのですが、それではすぐに人形とバレてしまうからとハージカに言われたのです。アコギ国でも、人形が人間の偽装をすることは固く禁じられていました。犯罪に利用されるからというのが理由でしたが、実際にはグルヤナイ王が、臣下である、内閣府の閣僚たちが、自分の人形を使ったずる休みを企むかもしれないと思ったのが、本当のところでした。もっとも、アコギ国には、トレメダスのような腕の良い人形師がいなかったので、人間として振舞えるような、微妙で、なめらかな、からだや手足の動きができる人形は存在していませんでした。
ハージカには、お店の留守をあずかるトンチーナという名前の妻がいて、スリヤたちを歓迎してくれました。というのも、年頃の息子たちが独立して、薬草取りの人手が一気になくなって、困っていたからです。特に、スリヤの怪力がトンチーナには大歓迎でした。高価は薬草ほど、生えている場所が、急崖や、地中の奥深くだったりして、取るのが大変だったからです。薬草のことだけなら、ハージカより、トンチーナの方が詳しかったので、ハージカやパーヤン、マーヤンを残し、スリヤと連れだって、たびたび裏山に出かけて、さまざまな薬草を取る手伝いをしました。ただ、声をかけるとき、スリヤと呼ぶのは、まずいので、本来の名前である、「アリス」を使うようになりました。
「ほら、アリス、それがマンプクの木」
少々太目な丸顔に吹きだした汗を拭いながら、トンチーナが指さしたのは、少し奇妙な樹形の木でした。高さは、大人の背丈の倍ほどで、樹幹も葉っぱも丸い木ですが、枝分かれする前の幹が太く膨らみを持っていて、その様子がどことなく中年男性のおなかや妊産婦を想像させるので、マンプクの木、とか、オメデタの木とか、呼ばれるようになったのです。その後、樹液が人形たちに、一種の酩酊感をあたえる効果があるとわかって、マンプクの木という呼び方が定着したようです。マンプクの木には、樹液を取るための仕掛けがついていて、そこからジワジワと透明な樹液がにじみ出してきました。スリヤが鼻を近づけてみると、確かにあのマンプクの芳香がします。トンチーナがスリヤの様子を見ながら言いました。
「しばらくここで休んで行こうかね」
「いいよ、別に。マンプクはおばあちゃんが持たせてくれたし」
スリヤは腰に巻いたベルトに提げた匂い袋に軽く手をそえました。
「心配なのかい、メデルのことが」
トンチーナが、ババンのこの世界での通り名を使って聞きました。
「ううん、別に。おばあちゃんは、いつも言ってるもん。『なるようにしかならない』って」
スリヤはマンプクの木から離れて、歩き出しました。すぐ、トンチーナも連れだって、
「でもねえ、あのセージが裏切ったってことは、メデルも危ないことになってる気がするんだよ。今度、ハージカがズルンダへ行くとき、探ってもらうといいよ」
「その方が危ないよ。だって、ズルンダでは、ハージカさんはお尋ね者にされてるんだから」
「あ、そうだったねえ。ううん、困ったもんだねえ。それにしても、あんなに気だてのいいセージが裏切るなんて、どうしちゃったんだろうねえ・・・」
その時、茂みをかき分ける音が起こりました。スリヤとトンチーナはびっくりして、すぐにナイフを構えましたが、現れたのは、妖精(とはいっても人形ですが)を右肩に乗せ、ツバの狭い革帽子をかぶった少女でした。
「なんだい、ゲイルかい」
トンチーナがほっとした口調で、ナイフをしまったので、スリヤもそれにならいました。
「ずいぶんとご丁寧なお出迎えだわ」
ゲイルと呼ばれた少女は少し口をとがらせて言いました。その口調を真似るように、背中に翼をつけた妖精風の人形が、カン高い声で言いました。
「ゴ丁寧デ、アリガタイコトダワ」
「フィアリ、余計なことは言わないの」
ゲイルが、とがめるようにフィアリと呼ばれた妖精人形に視線をやりながら、言いました。
「ワカッテル。余計ナコトイッテナイワ」
二人のやりとりを、笑いながら見ていたトンチーナが言いました。
「会うたびにこのお人形さんはあんたに似てくるねえ」
「まさか。こいつみたいに意地悪じゃないわよ、私は」
「ソウ、イジワルジャナイ。イジキタナイダケ」
「コラ」とゲイルが手を上げると、フィアリは素早くとゲイルの右肩から頭にジャンプしました。どうやら妖精のように飛ぶことは出来ないようです。
ゲイルもトンチーナと同じように薬草取りで、病弱な両親の手助けをしていました。
「そっちの大きいの、見慣れない顔ね」
ゲイルがスリヤの方を指さしながら、やや身を固くして言いました。
「ああ、この子はね、スリヤ・・・じゃなかった。アリスと言ってね。従妹の娘さんなんだよ。ちょっとの間、手伝いに来てくれてるんだよ。ところで、きょうのお目当てはなんだい。キモヤスメかい、それともハレトリグサかね」
「ううん、違うんだ。たまたま、マンプクの匂いがするって、フィアリが騒ぐもんだから、横道にそれたんだけど、本当はお宅に行くとこだったんだ」
「え、うちに?」
「薬草市場の集まりで、トンチーナがスリヤ様に会いたがってるって話、聞いてさ」
「スリヤ様が来るのかい」
「うん、近々、ヤスリ祭りがあるらしいよ」
「ヤスリ祭り?」
トンチーナとスリヤが顔を見合わせました。
その頃、ババンとアララは、旅芸人の一座に加わって、アコギ国に入っていました。セージの残した金貨があったので、国境検問所の係員を買収する方法も考えましたが、出国を待つ列の中に、ババンの古い知り合いである、イーヨネという、旅芸人たちの座長と偶然再会したので、頼み込んだのです。手品師で、とても器用なイーヨネは、ババンの頼みを二つ返事で引き受け、芸人用の通行許可証とアララ用の鑑札の精巧な模造品を1時間もしないうちにこしらえてくれました。昔、ババンが歌手として旅芸人の一座に加わっていた頃、若手の手品師だったイーヨネは、美貌のババンに熱をあげていました。その気持ちが未だに変わっていないようですが、ババンの方も、昔同様に冷ややかな態度を変えていないようで、人目のつかない裏通りで待つ、ババンとアララの処へ、汗をかきながら駆けつけてくれたイーヨネが、
「これで大丈夫だよ」
と差し出した通行許可証と鑑札を見たババンが返したのは、一言だけでした。
「すまないね」
イーヨネは、それでもクサることもなく、ババンとアララを連れて、一座の泊まる安宿へ帰ると、団員たちに、新しく加わったメンバーとしてババンとアララを紹介しました。もちろん名前も化粧も変えてのことです。ババンは、「エステバン」、アララは「ララー」という名前にしました。イーヨネが主宰するこの一座には、「アンダラン一族」という名前がついていて、大劇場にはとんと縁がないけれど、そこそこの実力はある芸人たち、十数人が集まり、ズルンダ国やアコギ国の地方都市をめぐっていました。気まぐれな芸人たちのこと、顔ぶれは次々と変わっていましたが、古株の曲芸師の夫婦、ダンダとダローラはババンのことを覚えていました。とはいっても、変名を察してか、ニヤリとババンに視線を送っただけでしたが。ババンとアララは、芸人たちとすぐにうちとけました。というのも、即席で披露した、ババンの歌とアララの太鼓に、芸人たちがすっかり、魅了されたからです。力があれば認める、なければ仲間はずれ、それが芸人たちの簡単で厳しいルールでした。
国境の検問も無事に通過して、アコギ国の田舎町を渡り歩くうちに、すっかり、「アンダラン一族」の一員となったババンとアララでしたが、ババンに対するイーヨネの歓待ぶりは変わらず、宿屋の部屋割や食事のことで、ほかの芸人たちが、不満を見せることもあったのが、ババンの頭痛のタネでした。
「イーヨネ、あんたの気持ちは痛いほどわかってるけど」
ある日、ステージの前に、ババンは思いきってイーヨネに言いましたが、イーヨネはいつものピエロの化粧をしながら、ババンをさえぎって、朗らかに言いました。
「わかってるよ、エステバン。俺も痛いほど、あんたの気持はわかってるんだ」
ババンが若いころに、イーヨネの一座に加わった、そもそものきっかけは、その当時一座のトップスターだった、今は亡き、投げナイフの名手・キンデラーがいたからです。その精悍な風貌もさることながら、無口で温和な人柄にひかれるのは、若い女性だけではありませんでしたが、観客のひとりとして、通いつめていたババンは、キンデラーの助手をつとめていた女性が事故で亡くなったとき、間髪入れずに自分が代わりを務めたい、とキンデラーに懇願し、命の保証はしない、という、キンデラーの「脅し」にもひるまずに、自ら「標的」になる役割を射止めたのでした。その後は、文字通り、身も心もキンデラーに捧げつくして、ついには、愛の結晶(それがマーヤンでした)を得るに至ったのですが、赤ん坊が一歳にもならないうちに、キンデラーは、当時大流行していた赤鼻風邪(高熱と止まらない鼻水が特徴でした)に罹り、あっけなくこの世を去ってしまったのでした。赤ん坊とともに、失意のうちに一座を去ったババンは、その後は決して他の男性に心を開こうとはしませんでした。
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