第15話

『ドタンバ』と叫んだ男は、ハジーカという名前の密輸商人でした。若いころに人形師の手伝いをしたことがあったので、人形の動きを操るジュモンを知っていたのです。マーヤンから、スリヤ様に会いに行くという話を知ったハジーカは、助けてもらったお礼に道案内をしてくれる、と言いだしました。

「スリヤ教は、アコギ国じゃ禁止されてるんだがね。信者は増え続けていますよ。わしは宗教なんて信じないタチだから、入らないけどね」

一行はすでに峠を越え、見晴らしのいい谷間からは、円錐型の白い巨塔が、霞みの中におぼろげながら、日本そびえているのが見えました。

「すごーい、雲の上まで届いてるよ」

スリヤが言いました。

「あれは古代人が建てたもので、浮遊のジュモンを利用した建物だと言われている。あの中に入ると、なんでも重さが半分になるそうだ」

「浮遊のジュモンなんて聞いたことないけど」

パーヤンが首をかしげました。

「知っているのは僅か2~3人とか。素人が間違って使うと、自分自身が地上から浮き上がって、息のできない世界へ飛ばされてしまうんだそうだ」

「それで知ってる人が少ないわけね」

マーヤンが納得したように頷きました。

「でも、あんな建物が出来るのは、アコギ国が裕福だからでしょ。スリヤ教の信者が増えてるのは、どうして。大体、貧乏人がすがるものよね、ああいう新興宗教は」

「いや、裕福なのは、支配階級のほんの一握りさね。大部分は税金に稼ぎを吸い上げられて、食うや食わず。そんなわけで、わしみたいに密輸に精を出すやからも出てくる」

「スリヤ教に入ったら、なんかいいことあるの?」

スリヤが聞きました。パーヤンがニヤニヤしながら言いました。

「あるある。スリヤとの握手会に参加できる。ポイントがたまる。天国へ行ける」

「バーカ」

マーヤンが呆れ顔でパーヤンを小突きましたが、ハージカは真顔で頷きました。

「いやいや、大同小異ですよ、多分。入信をすると、スリヤ様に頭をなでてもらえる。信者同士と分かれば、売り買いの値段やサービス料が、無条件に5割引きになる。朝晩、スリヤ様にお祈りを捧げると、必ず天国へ行けるそうです」

「なんでアタイに祈ると天国へ行けるの。アタイなんか、いくら神様にお祈りしても、願い事なんかひとつも叶ったことないのに」

スリヤが少し不満げに言いました。

「さあて、どうしてでしょうかね。もし、お宅らの話がホントだとしたら、魂と肉体が離れ離れになったとき、スリヤ様のからだの方に、何か特別な力が備わったのかもしれませんよ」

「ちょっとスリヤ、あんた、何を神様にお祈りしたというの」

マーヤンが聞きました。スリヤが手を合わせながら、言いました。

「アタイのお祈り? ごくありきたりなお願いよ。マーヤンとパーヤンが毎晩夜遊びに出かけませんように。毎日、おなかいっぱいごはんが食べられますように。あったかいお風呂に入れますように」

パーヤンはマーヤンとコソコソと歩みを早めながら、言いました。

「ハハハ、痛いとこ突かれたわ」


一方、ババンの店では、2階にある寝床からようやく起きだしたババンが、あくびを噛み殺しながら、階段を下りてくるところでした。厨房では、アララが黙々と鍋や食器を洗っています。作業のときはドレスのすそが邪魔になるので、短パン姿になっています。以前ルシールといっしょにいたときには、四体のボディがあって、必要に応じて、自分で首をすげかえていましたが、ルシールが置いていった物の中から、ババンが見つけ出したのはこの軽装ボディだけでした。小さなからだなので、流し台の中に立ち、両足は水浸しで、柄のついたタワシをモップのように使って、洗います。

「すまないねえ、アララ。そんなことまでさせちまって」

「大丈夫慣れてるから。なんか、やってないと、スリヤのことが心配になっちゃうし」

「そうかい。そう言われると、あたしの方がよっぽど薄情に思えるわ。実の孫娘のことなのにね」

そう言いながら、また大あくび。昨夜は大入り満員で、ババンは夜明け近くまで、お客の相手をしていたのです。というのも、アララが久しぶりに披露した、太鼓の演奏が大受けだったからです。もともとは鼓笛隊の一員だったというルシールが、アララのために小さな太鼓をこしらえて、ドラミングを教えたのが始まりでしたが、アララはメキメキ腕をあげて、自分でオリジナルのドラミングを何曲も作れるような腕前になっていたのです。そのことを知っていた、店の古い常連がリクエストしたのがきっかけで、アララが久しぶりに演奏したのです。人間の手のひらほど小さな太鼓を吊バンドで支えて、歩きながら演奏するのが、アララは好きでした。タン、タンと単純な連打ではじめるアララの太鼓は、そのかん高い音色の中に、どこか物悲しさが漂っていて、聞く人の気持ちを熱くさせるものを持っていたのです。

ババンは、アララの洗った食器をふきんで拭いながら、言いました。

「まあ、スリヤたちのことは、なるようにしかならないよ。いつもそういう調子で生きてきたからね。それより、あんたの太鼓の演奏は、本当に素晴らしかった。また、今夜もやってくれるかい」

「ああ、リクエストがあればね。お客さんが喜ぶの、見るの好きだから、あたし」

ドサリと何か倒れるような音が裏口の方から聞こえました。ババンがドアに錠をしたまま、聞きました。

「どなた、店は夕方からですよ」

すると、「セージ」という苦しげな声がかすかに聞こえてきました。あわててババンがドアを開くと、血だらけになったセージが横たわっていました。

ババンは、すぐにセージを店の中に引きずり込むと、

「何があったんだい、一体。ともかく、医者を呼んでやるよ。アララ、東通りにナオステという医者がいるけど、知ってるかい」

「わかる。昔からいる人」

「じゃ、ひとっぱしりしてくれるかい」

「わかった」

アララは、裸足に短パンのまま飛び出そうとしました。

「アララ、いいんだ。もう助からない」

セージが、絞り出すような声で言いました。

「だって」

「腹に2発くらったんだ」

ババンの表情がこわばりました。

「じゃ、スリヤたちも」

「捕まったよ」

「じゃ、あんただけ」

「違う。俺がチクった(密告した)んだ。だから、待ち伏せでやられた。俺はずらかったのさ」

「え・・・・あんたがどうしてそんな真似を」

「懸賞金がすごかったんだ。それが手に入ったら、アララにちゃんとした人並のボディを作ってやってさ、それから俺はアララと・・・でも、このザマだ。やつらは最初から俺を消すつもりだったんだ」

アララがセージにしがみつくようにして、叫びました。

「セージ! あたしはただの人形なのよ」

「でも、心は人間の女よりあったかい。アララがいなくなったとき、おいらがどれくらい泣いたか、知らねだろ、おめえは」

セージはニヤリとしたつもりですが、激痛に顔がゆがんでいました。アララはセージの差し出した拳を両手で包むようにして、言いました。

「セージ」

「ここに金がある。追手が迫ってるんだ。すぐに逃げて」

セージの言葉が途切れました。握っていた拳がゆるんで、何枚かの金貨が床にはねかえる、かん高い音がしました。

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