第12話

マーヤンは仰向けの状態で高枕をはさまれ、頭だけを起こされた、いささか不自然な状態のまま、手術台にがっちり縛りつけられて、静かな寝息をたてていました。

もはや逃れる術はありませんでした。スリヤたちは別々にされて、地下牢に監禁されました。スリヤとアララは、トレメダスから、シュラーバという、ドタンバより強力なジュモンをかけられ、からだの動きどころか、魂の動きさえ封じられてしまいました。つまりは意識のない状態でした。実験材料になるとトレメダスが思ったのか、壊されなかったのが、せめてもの救いでした。パーヤンとマーヤンも別々の独房に入れられましたが、マーヤンはすぐに眠り薬をかがされて、実験室へ連れて来られたのです。


トレメダスは、マーヤンの頭につけたヘルメットの具合を確かめると、並んで置かれたもうひとつの手術台のそばへ行き、ネグリジェを身にまとい、仰向けに寝ている人形の様子を見つめました。そして、いつもは見せない、優しげな眼で人形の頭部をなでました。

それはグランドラでした。

まるで人間のように振舞っていたのは、トレメダスが心血注いで作り上げた、グランドラの模造人形だったのです。ハダゴムという、ゴムの木の一種から抽出した、人間の皮膚に良く似た樹脂で人形のからだを覆っていたので、簡単に見破ることは出来ないほど、精巧な出来栄えでした。今のスリヤのからだにも使われています。

「今度こそ、本当の肉体を・・・・」

トレメダスが、もうひとつのヘルメットをグランドラの頭部に装着しようとしました。そのとき、ノックの音がしました。

「誰だ!」

トレメダスは急いで、グランドラの顔を手近にあった布で覆いました。侍女や番兵たちも知らない秘密だったのです。侍女の声がしました。

「お客様です。警察省のマルトクさまがお見えに」

「何、また、警官どもと無理やり押し入る気か」

「いえ、きょうはおひとりで。グランドラ様に折り入ってご相談したいことがあると。寝所においでではなかったので、こちらかと」

昨夜は、グランドラが、パリラをめぐる違法な人形の取引や、警察省内部での汚職疑惑をチラつかせて、マルトクと警官隊たちを追い払ったのですが、きょうは裏取引を考えてきたのでしょうか。

「グランドラ様は、ちょっと手が離せないのだ。わしが代わりに行く。先に行って、伝えなさい」

トレメダスは、戸口で侍女の気配がなくなったを確かめ、慎重に扉を開けて、外をうかがい、出て行きました。もちろん、鍵はしっかりとかけて行きました。

静かになった室内では、マーヤンのむにゃむにゃ言う寝言だけが聞こえていました。ちょうど、夢の中では、いっしょに散歩していたスリヤが転んで、痛がって泣き始めたのをあやそうとしているところでした。

「イタイノイタイノドンドロリン、イタイノイタイノ・・・・」

マーヤンが母親から教わった、他愛のない、おまじないでしたが、その声に突然、寝ていたグランドラが反応して、目を覚ましました。マーヤンの寝言が、あらゆる人形の魂を覚醒させる強力なジュモンと同じだったのです。起き上がったグランドラは周囲の様子を見て、びっくりして言いました。

「一体、なぜこんなことに。トレメダス! トレメダスはいませんか?」

グランドラは、隣にいるマーヤンがヘルメットをつけられているのに気づいて、ハッとするような表情を見せ、マーヤンを縛りつけていたベルトを解きにかかりました。からだが揺すられて、マーヤンも目覚めました。

「グランドラ様・・・」

「待っていなさい。すぐに解いてあげます」

「なぜ、グランドラ様がここに」

「トレメダスには、何度も言ったのですよ。もう、本物のからだはいらない、と」

「・・・・」

「私、人形なの」

「え、そんな、バカな」

「触ってごらんなさい」

グランドラは、ベルトを解いて自由になったマーヤンの手を自分の頬にあてがいました。

「ほら、死人のように冷たいでしょ」

マーヤンはただ絶句するしかありません。

「三十年も前に、本物のグランドラは流行病で死んでいるのです。私は、もともと病弱なグランドラの代わりを務められるようにと、トレメダスが作った人形なのです」

「でも、魂が」

「いいえ、私は本人ではありません。確かに魂の型抜きはグランドラからでしたが、その口調や考え方や知識は本人から私が学んだのです。毎日、毎日、本人の真似を続けていれば、意外とたやすいものなのですよ。そのうち、自分はグランドラの完全な分身だと感じるようになったくらいですから」

自由になったマーヤンは、鍵のかかった扉をなんとかこじあけようとしながら、言いました。

「本物が死んだとき、隠したんだね」

「ええ。軽い風邪かと思ったら、急に容体が悪くなって。トレメダスに、身寄りのなくなる傭兵や侍女たちのことも考えてくれ、と、言われて、グランドラ本人になりすますことに決めたのです。でも、地獄の日々でした。毎日が・・・」

グランドラは自分の寝ていた手術台に腰掛け、じっとうつむきました。その悲しげな様子にマーヤンが気をとられている隙に、鍵を外す音とともに扉が開きました。マーヤンは、咄嗟にそばにあったヘルメットを手にしました。入ってきたトレメダスは二人の様子に呆然としていました。

「これはまた・・・」

マーヤンはヘルメットを頭上にかかげて言いました。

「番兵を呼ぶがいい。その代わりにこいつはオシャカになるよ」

「待て。それがなくては、スリヤは元に戻れないぞ」

マーヤンがハッとして、一瞬ためらいを見せた次の瞬間、ガシャーンと大きな音がしました。グランドラが自分のそばに置かれていたヘルメットを床に叩きつけてしまったのです。

「グランドラ様・・・・ああ、なんということを」

「もう良いのです。私は人間のふりをすることに疲れました。食べるふりをして、眠りふりをして、笑うふりをして、悲しいふりをして、怒るふりをして・・・・何も本当ではありません。私はただのデク人形に過ぎないのです」

トレメダスは、割れて変形したヘルメットの残骸を拾い集めながら言いました。

「だからこそ、だからこそ本当の肉体を」

「何度言ったらわかるのですか。私は人間ではありません。この魂は模造品なのです」

トレメダスは、やっと絞り出すような声で言いました。

「しかし、あなたに対するこの思いは、この愛は、まがい物ではありません」

「グランドラの魂はここにはありません。私はただの幻影です」

「その幻影をこそ、私は愛してしまったのだ」

トレメダスはたまらず、グランドラを背後から抱きしめていました。

「トレメダス・・・」

グランドラは戸惑った様子で、じっとしていました。

マーヤンは、ヘルメットを持ったまま、二人のやりとりを見ながら、じわーと扉の方へ動こうとしました。

「なんだか、変な雲行きね・・・・」

マーヤンのつぶやきに応えるかのように、ゴロゴロと雷の鳴る音が聞こえだしました。

「待て」

怒鳴ったトレメダスの手には短銃がありました。しかし、振り返ったグランドラがトレメダスの短銃を持つ手を、やさしい手つきで覆うようにして言いました。

「行きなさい。私が許します」

トレメダスは逆らいませんでした。

「じゃ、うちのダンナとスリヤを放してくれる?」

マーヤンはおずおずとヘルメットを差し出しました。グランドラがヘルメットを受け取りました。その時です。

落雷の強烈な音と振動が建物を激しく揺すり、眩しい光がすべてを飲み込みました。マーヤンも激しい衝撃で、開いていた扉の外へ投げ出されたほどでした。トレメダスの持っていた短銃もいっしょにはじき出されていました。それを持って起き上がったマーヤンは、恐々部屋の中をのぞきこみました。もつれるように倒れたトレメダスとグランドラの姿が見えました。フラフラと立ち上がったのは、トレメダスでした。すぐに傍らのグランドラを抱き起こしましたが、肌ゴムが半分溶けたグランドラの顔をちら見したマーヤンが、思わず顔をそむけるほどで、全く生気はありません。

「グランドラ様、グランドラ様!!」

狂ったようにトレメダスは名前を呼び続けましたが、反応はありません。しかし、そのうち妙なことが起こりました。トレメダスの口調が急に変わったのです。

「何を騒いでいるのですか、トレメダス。私はここにいますよ」

まるで、グランドラの口調を真似ているかのようでした。次の瞬間には、またトレメダスの口調に変わりました。

「え、まさか、これは」

「え、何か変だわ。私は、私はどこにいるの、トレメダス」

「グランドラ様、あなたは今・・・私の、私の心の中に」

「これはあなたの心の中・・・じゃあ、私はあなたの瞳で見ているのね。あなたのからだで感じているのね」

トレメダスの顔が左右に動きまわりました。自分のからだを自分で触ったり、ほかの物に触れてみたりを繰り返しました。

「不思議だわ。これが人間なのね。人間の感覚なのね」

「ああ、しかし、よりによって、なぜ私のような老いぼれのからだに・・・」

何気なく、倒れているグランドラの人形体を見ると、その表情が一変しました。

「私のからだが・・・・ああ、ひどいわ」

「お許しください。すべては私の不始末の結果です」

トレメダスが手術台の敷布を拾い、優しい手つきでグランドラ人形体の顔を覆いました。

「運命なのね。これが本当のグランドラがいつも言っていた、運命というものなのね。誰にも訪れる、逃れることのできない結末なのね」

「こうなったら、命の限り、あなたにつくします。どうぞお望みのままに私のからだを」

「それはできないわ、トレメダス。私にはわかるもの、自分がだんだん薄れていくのが」

「え、何を申されます」

「すべてが遠ざかっていくわ。なにか、深い海の底へ沈んでいくように、光も音も遠ざかっていくわ・・・」

トレメダスの目が頭の中を探るように右往左往としていました。

「グランドラ様!」

「さようなら・・・」

「グランドラ!!」

「・・・」

「消えてしまった」

トレメダスは自分の頭を両手で押さえ、がっくりと膝を折りました。

ポカンとした表情で見ていたマーヤンが言いました。

「居なくなったの?」

トレメダスがやっと顔を上げて、答えました。

「いない。人間のからだでは、人形の魂は生きられないようだ。その逆は可能なのに・・・」

ふとマーヤンは傍らにパリラがいるのに気づきました。

「トレメダスさま」

パリラの声にトレメダスはハッとして、グランドラ人形体を隠すようにして、言いました。

「パリラ! 実験室へは来てはならない、と言っているだろう」

「ごめんなさい。でも、大きな雷で、びっくりして、グランドラ様のところへ行ったら、お姿がなくて。私、とても心配になって」

「ああ、心配はしなくて良い。グランドラ様は病院へ出かけたのだ」

「病院へ?」

「いや、知り合いのお見舞いに行ったのだよ。さあ、もう、自分の部屋にお戻り。おい、誰か、いないか」

廊下の奥から、侍女がふたり、駆けつけてきました。

「お呼びでございますか」

「パリラを連れて行ってくれ。それから、グランドラ様はしばらくご不在になる。わかったな」

侍女たちは心得たようにうなづきました。どうやら、グランドラの秘密を侍女たちも知っていたようです。

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