第7話

スリヤはしばらく、おとなしくしていることにしました。マルトクが恐い顔でじっとスリヤを見ていたからです。スミエは、新しい胴体に少し戸惑った様子のパリラに言いました。

「マンプクの時間ね。みんなを呼んでらっしゃい」

「はい、スミエ様」

パリラが外へ出て、まもなく、大きな歓声が聞こえ、パリラとフランス人形たち、あわせて十体が入ってきました。

「みんな、新しい家族を紹介するわ。スリヤよ」

「はじめまして」

とフランス人形たちが一斉にあいさつをしました。丁寧なお辞儀をして、パリラからひとりずつ、自分の名前を言いました。アララ、モイラ、パルマ、ミンナ・・・・。でも、その視線は一様に冷ややかでした。

「さあ、みんな自分のグラスを持ってらっしゃい」

フランス人形たちは、大きなガラス棚の傍らにある、小棚に並んだ、小さなガラス製の杯を争うように取って、スミエの前に列を作りました。スミエは金色の美しい切子模様のついた、香水瓶のふたを取り、フランス人形たちの差しだす杯の中に、トロリとした透明な液を、ひとしずくだけ垂らしていきました。液をもらったフランス人形たちは、杯を大事そうに持ちながら、壁際に並んだ小さな椅子に座り、鼻先に杯を近づけました。すると、その表情がゆるんで、あるものはえくぼを作り、あるものはホホホと小さな笑い声をあげながら、頭をゆらし始めました。その様子を見ていたスリヤは、自分がひとり残っているのに気づきました。スミエは不思議そうに、スリヤを見つめました。

「何、あなたは、マンプクが欲しくないの?」

「マンプク、何のこと?」

「知らないの? 人形のくせに」

「だから、あたいは人形じゃない」

「またか」

とマルトクが言いました。

「このお嬢ちゃんは自分が人形じゃないと言い張ってるんだ」

「ああ、そうなの。じゃ、同化ね。持ち主が溺愛して、自分と持ち主の区別がつかなくなった」

スミエはそう言いながら、戸棚から、杯をひとつ出し、香水瓶からマンプクを一滴たらして、スリヤに差しだしました。スリヤは迷いました。これを受け取ったら、自分が人形であることを認めることになります。

「ほら、遠慮しないで」

でも、結局、マルトクに「ドタンバ」されるよりは、と思い、スリヤは受け取りました。ほかのフランス人形がやっているように、鼻先に杯を近づけます。すると、いままで経験したことのない奇妙な匂いが、頭の中いっぱいに広がるのを感じたのです。それは香ばしくて、おばあちゃんのところでもらった、焼きたてパンのにおいに似ていました。春になると公園の花壇に満ちていた甘酸っぱい香りにも似ていました。ホットケーキの上にバターが溶けたあとに、ハチミツをたらしたときの甘いにおいにも似ていました。チキンスープを煮込んだときに出る香りや、こんがり焼いた魚のにおいにも似ていました。ともかく、スリヤがこれまで知っている、あらゆる良いにおいが充満して、スリヤは頭がクラクラするほどでした。そして、ごちそうでおなかがいっぱいになったときみたいに、自然と眠くなっていました。


気がつくと目の前にガラス窓がありました。でも、背中は壁についていて、お尻は床の上で両足を投げ出すような姿勢になっていました。右側には、パリラが、左側には、最初にお辞儀をしたアララが、同じ姿勢で座っていました。

「キョロキョロしない方がいいわよ」

そのアララが小声で言いました。

「ここは」

「私たちの寝床よ。別に眠る必要なんかないんだけど。人間の都合で、夜になるとここでじっとしてなきゃならないのよ」

そこは、スミエがしつらえた、フランス人形たちを入れる大きなガラス棚の中でした。4段になっていて、1段に3体の人形たちをおさめることが出来ます。スリヤたちがいるのは、一番上の段でした。

「じゃあ、あの人たちは寝ているのね」

スリヤはそう言いながら、さっそく起きだして、ガラス窓に手をかけてぐいぐい押しましたが、びくともしません。

「何してんのよ。開かないわよ、絶対に。ジュモンでふさがれてるんだから」

スリヤはそれでもガラス窓を押したり、叩いたりしました。

「無駄だよ。ムダ」

「スリヤさん、もう騒がないでくださいな。スミエ様に見つかったら、大変なことになります」

パリラがオロオロした声で言いました。

「それにせっかくの白いドレスが汚れてしまいますでしょ」

「こんなドレスいらないわ。脱いでやる」

とスリヤはドレスを脱ごうとしましたが、ボディと服が別々になっていないので、どうにもなりません。

「ああ、やめて。スミエ様が見たら、あなたはきっと、バラバラに壊されてしまうわ。私と仲良しだったルイザも、スミエ様に逆らったら、バラバラにされて燃やされてしまったのよ」

パリラは顔を両手でおおい、泣きだしてしまいました。なんとかしてドレスを脱ごうとしていたスリヤは暴れるのをやめました。アララがしんみりした口調でつぶやきました。

「ルイザを燃やしたのは、パリラだったのさ。スミエ様にさからったら、自分も燃やされちまうからね」

「・・・わかった」

仕方ない。しばらくはじっとしていよう。スリヤはそう思いました。

「よくいるのさ。あんたみたいに自分が人間だって思いこんでる人形が。持ち主と始終いっしょにいると性格が似るからね。あたしも持ち主とそっくりだって、よく言われたもの。年寄りの女で、気が強くてさ。賭けごとが好きで、負けがこんだせいで、とうとうあたしを売り飛ばしたってわけ」

「パリラは?」

実際には出ていない涙を拭うようにしているパリラを見ながら、アララが答えました。

「盗まれたのさ。大金持ちの御令嬢が元の持ち主だったらしいよ。そうだろ、パリラ」

「はい。私がお仕えしていました、グランドラ様は、海辺にある、こちらのスミエ様の何倍もあるような、とても大きなサンゴ樹の家にお住まいでした。サンゴ樹というのは、テーブルサンゴの群れが何代もかけてお城のようになり、地上にまで達したものです。私はお抱えの人形師の手で作られました。とても厳しい人形師で、礼儀作法を教えていただきましたが、グランドラ様はとても気さくなお人柄で、私にも友達のように接して頂きました。なのに、ある晩、盗賊が入ってきて」

「しっ、誰か来るよ」

アララがさえぎりました。スリヤが耳をすますと、部屋の外から物音が聞こえてきました。

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