第18話

          *****




 季節はもうすっかり冬になっていた。

 病室の窓から見える雪化粧にも、ボクは次第に飽き始めていた。

だいたい、窓は五センチくらいしか開かないようになっていて、外の空気なんて吸えないに等しいし。

「まりん氏。魔法使いのお話を、また聞きたいっス」

 病室にたたずむボクに話しかけてくるのは、宇津保ちゃん。

宇津保ちゃんはボクのする話を、おとぎ話かなにかと勘違いしていて、ボクのする魔法少女の話を聞いてけらけら笑っている。

笑える話なんかじゃないのだけれども、宇津保ちゃんには笑える話のようだ。

「ありあ先輩はいつもボクの描いた四コマ漫画を……」

 なに話しているんだろう、と思う。

 欠落した心が戻らない。

 ボクは、最初からなにかが欠落していた嘘つきだった。

 閉鎖病棟の冬。

 ボクは一人の読者に向けて、ボクの冒険譚を語る。

「まりん氏のお話は創作についてのお話で、ずっと自分の心と向き合ってきた感じがなかなかわたし好みっス」

「宇津保ちゃんは、どうしてここに入院したんだっけ」

「忘れたっスか。仕方ないっスね。言語野と認知にその病気は影響するらしいスから」

 そう。

 砂を掴むと零れ落ちていくように、ボクの心も流れ落ちていく。

 そういう病気なのだと、担当医に言われた。

 ボクはそろそろ、なにもかも、忘れていってしまうらしい。

 スピーカーから夕飯の準備ができたとアナウンスが鳴る。

 ボクはスピーカーから鳴る音に嫌悪感を覚えてしまう。

 魔法少女として戦った後遺症だ、と担当医に語ったら笑われた。

 それもそうだな、と思い笑われた以降は医者や看護師にその話をするのをやめた。


「わたしが入院したのは……と、その前に夕飯の時間スよ。今日の献立はカレーっス」


 カレー、か。

 カレーの幻獣と戦った記憶が、おぼろげにあるけど。


「この閉鎖病棟の人間がおかしいとは一概には言えないっスね。ただ、休みに来たはずが一生の間厄介になるひともいるのがこの場所っス。社会からは嫌われているのには違いがないっス。まりん氏の話にはいつも対立軸があって、自分自身と戦っているというより、社会から見た自分との戦いを描いているように思うっス」


 パジャマのポケットをまさぐって、宇津保ちゃんはボールペンを取り、ボクに差し出す。

「すべてを忘れる前に、書いてみたらどースか、回顧録を」


「それは、宇津保ちゃんにやってほしいな」

「わたしっスか。そりゃまたどうして」

「ボクはおしまいだから」

「おしまいじゃないっス。きっと退院できるっスよ」

「退院、か」

「あの名門・羽根月学園の生徒じゃないっスか、復学を目指すといいス」

「夕飯食べに、ホールに行こうか」

「その前に服薬の時間っスね」


 ボクは、病気だ。

 病気らしい。


 ディスオーダー。


「にゃーこ会長と、一緒にご飯、食べたなぁ」

 そして、ボクが最後に殺したのが、にゃーこ会長だった。


 あの学園の最深部には、一体なにがあったのか。

〈呪物〉を切除するために、にゃーこ会長は〈風説迷宮〉に入っていき、ボクと対峙した。

 あのときの記憶が、ボクにはあいまいだ。


 魔法協会。

〈ワクチン〉。


 すべては夢だったとでもいうのか。


 エアコンががたごとと壊れそうな音を出す。

 ボクは宇津保ちゃんとホールで夕飯を食べる。

 手のひら一杯の『こころのおくすり』を飲んで。




          *****




 葛藤も欲望も、こころのおくすりの効果で、考えることを阻害される。

 それはいいことなのだと、担当医は言うし、この病棟の住人たちも、頷く。

 ボクは忘れていく。

 ボクはボク自身を忘れていくよう、服薬プログラムには記載されているのだ。

 そうじゃなくても忘れるのに。

 防ぐのではなく、忘れたほうがいい記憶は忘れるように。

 楽なほうへ向かうように。


 ここではチューニングが施されている。



 この閉鎖病棟には、壁に釘付けにされている藁人形のようなひとたちが収容されている。

 うつろに呟く病棟の住人の願いはただ、「ここから出る」こと。



「なぜ、あなたは自分を呼ぶときにわたし、ではなく、ボク、と呼ぶのですか」

 糊のきいた白衣をまとった担当医がボクに尋ねる。

「いえ、なにね。ちょっと……不穏な〈風説〉が流れていましてね」

 担当医は〈噂〉とは言わずに〈風説〉と呼んだ。

 どうしてだろう。

 個室。ナースステーションの一角の、簡易診察室。

「あなたは自分が誰だか、覚えていますか」

 聞かれると、答えに詰まる。



 診察室の、鏡を見る。

 それは医者の背後にあって、担当医のすこし薄くなった後頭部とボクの顔を映している。

「あなたは、神様などを信じていますか」

「無神論者ですよ、ボクは」

「魔法がどうの、と話しているのを看護師が目撃しています。なにか、そういったものを?」

「信じていません。もしくは、見放されている」

「見放されているとしたら、なぜそう思うのですか」

「ボクが、信じない人間だから」

「神を信じない人間だから見放される、と。どうも、信じている人間の言葉のようにわたしには思えますがね」

「嘘つきなんです、ボク。喋ればすべてが嘘になるような人間なんですよ」

「撮影されているものが存在しますね、あなたと、近所のお姉さんが抱きしめあっている……」

「知らない!」

「その直後、ご両親が変死していることとなにか関係が? 近所のお姉さんというのも、魔法使いの話をよくしていた、と聞いていますが」

「人文学はすぐに神だの仏だのを言い出しますよね、もしくはその〈不在〉について。ボクに語れることなんてありませんよ、それについてなんて」


 鏡に映る自分は最低だ。

いつも最低な顔をしている。


 魔法の在処。

 神のいる、魔法の源泉。


 魔法。

 魔の、法。

 悪魔の法。


 神が悪魔を作った。

 その時点で被造物の悪魔は神には勝てない。


 簡単なロジックだ。

創造主に逆らっても無意味だ。

 でも、簡単なロジックだと言うには、割り切れないものを感じてしまう。

ボクには、魅入られているのだろうか。

 魔法というものに。




 簡易診察室から病棟内に戻って、洗面所まで行く。

 自分の顔を見ると、モザイク画のように顔がバラバラになっていた。

 顔だけじゃない。体も全部、モザイク状になっている。

 悲鳴を上げるわけにもいかず、水道の蛇口から直接、水を飲む。

深呼吸。


「〈依り代〉なんっスよ、まりん氏は」

 振り向くと、背後に宇津保ちゃんが立っていた。

「あの日、〈風説迷宮〉に溶け込もうと最奥まで到達しそうになったのは、わたしなんっスよ。それは、まりん氏ではなかった。だけど、異物になってここに混入してしまった。ここ、どこだかわかるっスか?」

「ボクたちは……隔離されているっ…………!」

「そういうことっス」

「実験は、続いている?」



「ネズミに捕まって噛み殺されるのよ、アンタ」

 弥生の声が言う。

〈見えない魔物〉が、そう告げる。



「魔法少女は病だって言ったじゃないの。アンタはもう、自分の顔すら認識できなくなっているの、わかるでしょ。死ぬのよ、〈ワクチン〉で死滅するの、みんなの予防のために。隔離されて。魔法協会とワクチンの合同プロジェクトなのよ、アンタを使った実験。この際、優生思想と呼ばれてもかまわないわ。〈呪われた存在〉はいらないわ。……〈呪物〉なんて」





「わたしは昔、偉い人から『ゲームオーバーだ』って言われたわ。でも、それからが勝負だったの」


 繰り返しありあ先輩がボクに語った言葉が脳内で反芻される。

 どう見てもゲームオーバーの状態だ。

 どうすればいい?


 僕は意識を辿る。





「ボクは。……ボクは嘘つきだ! 嘘つきだ! 嘘つきだ嘘つきだ嘘つきだ!」

 僕はモザイク状になった鏡を背後にして、宇津保ちゃんに指鉄砲のポーズをする。

 宇津保ちゃんの身体もすでに、全体がモザイクになっている。

「宇津保ちゃん! キミの正体はありあ先輩だ! おかしいだろ! 僕の〈残像〉は悪魔と契約したあの夏の思い出なんだ! あの夏の日、弥生はボクを抱き、そして両親を殺害して、呪物の血で魔法少女にした! それがボクの〈過去〉だ! なのにいつもボクの〈見えない魔物〉は才能論を語る! 矛盾している! ボクはいつだってボクの過去でも風説でもない〈幻獣〉と戦っていた! ボクは自分に〈嘘〉をついていたんだ!」


 指鉄砲の人差し指に渾身の力を入れる。

 宇津保ちゃんの身体は揺らいでいる。

 まるで夏の蜃気楼のように。

 寒い廊下で。


……想像力の足りないボクは、この現実を、殺せないでいる。


「キミタチの負けだっ! 〈悪魔〉は悪魔の像を描く〈宿主〉であるひとの心がつくりだしたもの。創造主たる宿主に、心の〈悪魔〉は勝てない! だから、勝たせてもらうよ!」


 指先に顕現した魔銃の弾丸が勢いよく飛び出し、宇津保ちゃんの頭を撃ち抜いた。

 モザイクが飛び散り、血しぶきを上げる。

 血しぶきもモザイクだった。


「……ボクは克服する。〈残像〉を。そして、ありあ先輩を。〈ワクチン〉を。魔法協会を」




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