第8話

          *****




「小説家はその一生涯で、一冊の書物を書くために生まれてきたのである、っていうお話をご存知かしら?」

 三日月を横型にしたように大きく、しかし薄く口を開いた〈幻獣〉は、ボクにそう言った。

「まりんちゃん、この魔物はあなたに直接語りかけてきている気がするだけなのよ。本当はあなたの敵じゃない。ほかの魔法少女が作り出し、戦うべき相手なの。だから、真正面から向き合っちゃダメ」

 にゃーこ会長の〈カナリア〉がそうボクに告げる。

 だけれども、ボクの耳には深く刻まれていく。

この〈幻獣〉の〈声〉が。


〈言葉〉が。


 ボクは動けなくなる。

身体が硬直してしまった。

ボクの敵じゃない。それは理解できた。

できたけど、動けないのだ。


「気をつけて!」


にゃーこ会長の声が途切れた。


シャットダウンされた。



 ここは〈幻獣〉の〈虚妄空間〉。

学校の中だからと油断していた。



「にゃーこ会長……。倒してきます」




「遅読・遅筆。なぜかわかるかしら。あたなには才能がないからよ。才能って言葉、わかるかしら。残酷よねぇ、才能がない人間がこの世を生きるには。生きる価値、ないものねぇ。あなたのタイピングするその手が止まったのはいつからかしら。あの男がわたしからあなたを奪ったときからかしら。そうでしょうねぇ。その手をあなたは違う風に動かしているもの。知っているのよ。知っているのよ。知りすぎているのよ。わたしのかわいいあなたも、あの男の手管も、なにもかも全部」


 喉が焼き付く。熱いスープを無理やり飲まされたみたいな焼き付きが、喉の奥を痛めつける。


「初読は全体像をつかむように読む。細部は再読からよ。あなたみたいな物分かりの悪い人間は特に、ね。何事も全体像がつかめないうちは立ち行かないものよ。わたしがあなたの身体の隅々を知ったように、わかる人間にはウィークポイントなんてまるわかり。でもね、あなたのような才能なしには、ウィークポイントなんてわからない。ならばどうすればいいかしら。そう、口で攻め、指先でなぞっていくのよ、その全体像を。あなたはあの男のなにがわかっているというのかしら。そのじつ、なにも知らないのじゃなくて?」


 痛い。喉が痛くて声すら出せない。


怨嗟。


呪詛。


有無を言わせないように、相手の口を封じてくる。



「テクストの海の中で、あなたの名前なんて浮かび上がらない。藻屑になっていくのがわかったでしょう。それで、逃げた。最初はわたしに。次はあの男に。これからどこに向かうのかしら。ほぉら、縛り付けられて喜んでいるあなたの姿が〈見える〉わ」


 会長の〈カナリア〉はなんて言った?

 ボクの敵じゃない。違う魔法少女の敵だって?

 ボクの耳にはこの〈幻獣〉がうつつでボクを責めているように感じる。

ディテールはボクの人生とは違うけど、その詩人が綴る〈詩〉のように、〈誰にでも当てはまる言葉〉を吐き出しているかのようで。

詩人は常に普遍を語りたがるものだ。

そして、それが成功すると、〈誰に〉語っているかの所在が不明になる。

ある種の、行方不明。だけど、その行方不明こそが、共感を生むということと同義になることがある。個人へあてたものが大衆へ、大衆に向けてあてたものが個人へ。逆説的だけど、それを操ることができるのが詩人だ。


「ブログだって、『記事主体』でふつうは読まれるのよ。その語り部が〈誰か〉だから読まれるなんて、一部の人間のみ。一部の特権階級が生まれ、名前に価値が生まれる。価値が生まれたときに〈誰か〉なのかが問われるのよ。そうなりたいんでしょう。でも、ダメね。『誰が語るか』が重要で、『語られる内容』が無名の誰かと同じでもその『誰か』であることに意味ができてしまったときには遅いのよ。無名と有名の人間じゃ、立ち回り方が違うの。違わなければならないの。有名税として、〈拘束〉が与えられるわ。〈拘束〉の内容はそれぞれだけれども、縛り付けられて逃げて、また『違う縛り付けられ方』をしてまた逃げて。そんなものを繰り返している人間じゃ〈拘束〉は耐えられないわ。他人が思い浮かべるあなたの『パブリック・イメージ』を常に背負っていくには、『記事主体』で読まれる烏合のままの身の振り方じゃやっていけない。一貫性を持ってないでしょ、あなた。その時勢に応じてやってきているつもりなのでしょうけど、パブリック・イメージはそれを許さない。ころころ変わるなら、それを信条としてやっていくイメージをつけなければならないし、それはころころ変わるなんて言わないわ。多動性のあなたにとっては明日には意味がなくなるスタンスの事柄であっても、ほかのひとには一生を賭して考え続ける問題やスタンスであることがあるのよ。最初から他人が押し付ける自分のイメージに耐えられる人間しか有名さには耐えられない」


 ボクは息を大きく吸って、吐いた。

痛みに喉が慣れてきた。

 この痛みに慣れていってしまうのが他人の痛みだからだという理由かもしれないことが、ボクに違う痛みを与える。



「論理が破綻してるよ!」



 ボクはこの三日月の魔物に向けて叫ぶ。



「小説家はその一生涯に一冊の書物を書くために生きているとしたら何度も考え方を間違えて転んでも、反省して起き上がって書いて、また間違えてまた起き上がるだろう。そんな生き方もあるはずだ。一貫性なんて、後付けだ。そのひとがそのひとである以上、一貫性は『生まれ』てしまう。それをひとは『作家性』と呼ぶんだ!」


 いつか、ありあ先輩が言っていたような、それともボクの中のありあ先輩のイメージが、ボクにそう言わせている。


「大切な本は一年に一回は読み返せ。覚えられないなら何度読んだっていい。それは、流転する人生の中で、今日気づかなかったことを明日は気づいている、そして今日気づいていたことを明日は忘れてしまうからこそ、そのときそのときの〈鏡〉として読むということになるんだ!」


 身体が動く。

 太もものホルスターから銃を引き抜く。


「ボクは君の方が破綻してるって思う。色恋沙汰と……」


 照準を絞る。


「一貫性を語るならフロイトでも用意してそのヒステリーでも治せっっっっ!」



 ボクの放った弾丸が〈虚妄空間〉を〈幻獣〉ごと撃ち抜いた。




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