2.
一週間ほどしたある晩、彼の元にフアンの遺品の一部が届けられた。身寄りのない囚人の遺品が遺志によって教誨師に引き取られることはままあることだが、それにしても、なぜあのフアンが、という思いが募る。過去に死刑囚が形見ともいえる品を教誨師に託してくれたことは何度かあったが、彼らの多くは死を目前にしてキリストの教えを通じて自らを救ってくれた教誨師にお礼としてそれらを遺していったのだ。フアンも態度には出さないだけで、感謝をしていたのだろうか。
遺品は封筒に入っていた。自室の仕事机の上で丁寧に開封する。ろうそくの明かりに頼りそれらに目を通す。
遺品の多くは手紙だった。その数、十通を超え、枚数にして四〇枚はあろうか。そして、手紙はほとんどが意外なことに、農場の主人の夫人からのものだった。
文面自体は何の変哲もなく、フアンから夫人に対して、悔恨の手紙を送り、その返答という形で送られてきたものであろうことが、そこからすぐに読みとれる。あまりに一般的で、しかしながら不可解な手紙。彼は彼の犯罪を悔いていたのだろうか? これほどまでに何通もの悔恨のメッセージを送りあうほどに? それとも、幾人かの予想通り、夫人との間に禁断の慕情があったのだろうか?
しかし、そのような慕情は文面からは読みとれない。長方形の便箋に、等間隔に区切られた枡に収まるかのように整然と並べられたスペイン語の単語からは、あくまでも犯罪被害者の遺族としての立場以上の意味合いを匂わせるような文脈を見つけだすことは出来ない。最も、そのような文章があったとしても一介の教誨師に託すわけもないのだが。
ぱらぱらと手紙群をめくりながら、あることに気づいた。検閲が多すぎるのだ。
刑務所の中から送られる手紙と、刑務所の中に送られる手紙については、典獄の検閲が入り、国家に穿鑿される。反国家的な内容や、裁判の証拠に関わること、およそ何らかの意味で不利益を生みそうな文字列やまたは不必要に罪人の心を煽るような汚い言葉遣いに対しては、検閲によってチェックが入れられ、黒く塗りつぶされる。
この手紙群はその検閲済みの箇所が多すぎるのだ。前後の文脈からするに、口汚い口語のたぐいが多く検閲されているように見える。
いったい、なぜ? 夫人の文章での上での粗相を私に告発するつもりだったのか? 教誨師は眉を顰める。数少ない、夫人以外からの、たとえば仕事上の同僚からの手紙なんかは、文法上のミスは多いものの、それでも検閲箇所はほとんど見あたらない。
最後までめくったとき、ふと一枚だけサイズの違う紙があることに気づいた。筆跡も違う。どうやら、フアンの直筆による彼宛の手紙のようだった。遺言、ということだろうか。四枚のそれに彼は目を通した。
ごく当たり障りのない教誨に対する感謝の気持ちが述べられている。これまでにもよく見た死刑囚からの最後の手紙と非常に文体はよく似ている。そしてそこに起こした犯罪への悔恨は最後まで見られない。そこが特徴的ではある。
そして、文面の最後。多少言葉遣いを改め、綺麗な見た目になるように意訳したが、大意は以下の通り。
「~~最後に突然失礼なお願いで申し訳ないのですが、あなたに頼みたいことがあります。私は身寄りのものが居ないため、私が物言わぬようになった暁には、その遺体をあなたに引き取ってもらいたいのです。そして、重ね重ね無理を申しますが、その遺体を、できれば私が働いていたプランテーションの近くに埋葬していただきたいのです」
確かに身寄りのない囚人の遺体を官吏の手にゆだねるのではなく、引き取って自らの施設で葬る教誨師は多い。しかし、あのプランテーション? 山を二時間ほども? 冗談じゃ、ない。手紙には書かれていないが、どうせ埋葬したら墓も作らねばなるまい。費用は誰が持つんだ。しかし、そのあとの一文に、
「おそらく、損はなさらないでしょう」とあり、ここで手紙は終わっている。
結局、また彼の働いていたプランテーションに向かうことになった。彼が教誨師になる前に所属していた教会の元同僚に手伝いを頼んで、のことである。棺桶に入れられたフアンの遺体を、荷車に乗せて運搬する。棺桶からあふれ出す死臭と北アンデスの美しい山系のミスマッチ。無暗に風光明媚な山路を車を押し押し進む。
あの手紙を読んだ後、本当に刑務所のほうから遺体の受け入れについて打診が来た。ただし、一般に断ることなど向こう側も想定していない。こちら側も受け入れを拒否できる風習はない。否応なしに棺桶に入った彼の遺体を受け取り、埋葬もこちらで請け負うことにした。当然、手当などは出ない。教誨師という仕事が忌み嫌われる理由の一端である。
全体の道程の半分ほど進んだあたり、小川の近く、岩に腰かけて彼と彼の元同僚は休憩を取る。
ふと思い出し、遺品として受け取った手紙を懐から取り出して、眺める。埋葬する際に、一緒に埋めてやろうと思ったのだ。
ぱらぱらと紙を読むでもなく繰っていく。農場主の夫人の、几帳面な字。教誨師の元同僚が、自分にも見せてくれと言ったため、隠すものでもあるまい、彼は手紙の束を貸してやった。
どうやら死刑囚との手紙のやり取りに何か面白いものを期待していたようだが、別に特段面白いものではない。元同僚も飽きて、それらの手紙の並び替えをし始めた。検閲済みの多いことは分かっていたが、奇数枚目が検閲済みの単語を多数含み、偶数枚目には全く検閲されている単語がないことに横から見ていた彼は気づいた。……、一体? 意図的なものなのだろか? なぜ?
よく見ようと思って、元同僚の手から手紙の束をもぎ取ろうとする。しかし、突然の風が彼の手から手紙を攫い、水に濡れてしまう手紙。
偶然で、僥倖だった。二枚の手紙が水に濡れて、長方形の四隅を合わせて張り付いた。墨塗りの部分は、透けて下が見えるようになる。
「……!」
墨塗りの下の単語をそれだけ拾って読むと、意味の通る文章になった。
俗に、カルダングリルと言われるパターンの暗号である。『窓』の開いた長方形のシートと、その『窓』を当てて暗号を読み取るための元の文章の二つのパートに分けることができる。
暗号の読み解き方は簡単だ。『窓』の空いた紙をを元となる文章に上からあてると、『窓』の空いた部分の下にある単語のみを読み取ることができる。残った単語を紙片の上方から一つづつ拾い集め文章として読み取れば、一枚の紙から元の文章からは想定の付かない文章を取り出すことができる。
暗号の作り方は、今の手順をさかのぼればいい。『窓』を作り、その下に伝えたい文章を書いていく。それが終わったら『窓』を取り外し、元となる文章が意味の通る文章になるように、残った空白を別の単語で埋めていく。
今回この二人の手紙のやり取りで工夫が凝らされているのは、暗号の完成に検閲を利用していることだ。わざと汚らしい単語や政治的な単語を使うことによって、そこを塗りつぶさせる。黒塗りになった部分を窓の代わりとして代用すると、それはカルダングリルになる。まさか典獄も、自らの黒塗り作業によって暗号が完成されるとは思わないから、元の文章を見ても暗号には気付かない、というわけだ。
早速解読にかかる。ハサミを持っていなかったため、ロザリオの先端に付いた十字架の尖った部分で手紙の黒塗りの部分を切り取っていく。岩を下敷きにして貴金属の十字架をぶつけていく姿に、元同僚が心配して声をかけてくる。少し放っておいてくれ、そう告げる。
削り取った手紙を、その下に当てると、案の定文章が浮かび上がる。制約の厳しい暗号であるから、省略も多く、読みづらいところもある。必然文体も突き放したものになる。
読み取った文章が、以下の通り。
「挽種しました。伐採については警官が代行」
「発芽。やはり畝を作らなかったのはまずいか」
「無事。成長。現在高さおよそ二五インチ」
……、なにかの栽培についての会話らしい。しかしその程度で、なぜ暗号を使って会話する必要が?
「村を離れる。もうおそらく戻ってこないと思う」これが十二月の初頭ごろ。つまり、彼がこの村に初めて訪れた少し前のタイミングである。
「焼け残ったコーヒーノキ、日よけ、越冬に使えそう」
「栽培についてはもう手をかけることもないだろう。収穫を目的とするわけでもなし」
栽培、収穫?
あからさまに嫌な予感がする。まだ休み足りない顔をする同僚を急き立てて、彼は道のりを急ぐ。もしかして、彼の本当の目的は。手紙は夫人からフアンに宛てられたものばかりで、肝心のフアンの言葉を見ることができないため、推測することしかできないが、それでも彼らが何を目指していたのか、朧気に想像がつく。
そこから一時間ほどで集落にたどり着いた。彼の元同僚や棺桶を積んだ荷車すらを置いて教誨師は駆けだす。もつれる足を抑えて元プランテーションの中に入る。
途端、精液にも似た独特の生生しい臭気が先ほどまで鼻に残っていた死臭を強制的に上書きした。
そこにあったのは春風にその赤紫の花弁を、そのケシ坊主を可愛らしく揺らす、阿片ケシの花畑。
息を切らして、棺桶の載った荷車を引いた元同僚が追い付いてきた。
「いきなりどうしたんだ……んっっなんだこの臭い」
風に揺れるケシ畑を黙って指で指す。元同僚は目をちょっと見開いて、鼻を抑えてそれきり口を利かなくなってしまった。本当に臭気がひどい。
ケシの花畑を見たことで、ほとんど彼の、また彼と農場主の夫人がやろうとしていたことの意図は分かった。
彼らが最終的に意図していたのは、つまるところこの景色だったのだ。
埋葬のことも忘れ、呆然と立ち尽くす二人の背中に日傘の影が差した。驚いて振り向くと、妙齢の女性が一人、南中した太陽を背に立っていた。
「もしや、……あなたは」
「えぇ。ご想像の通り。ここで死んだあの人の妻です」
ここに来たのは、刑務所の方から我々によって埋葬が行われることを事前に連絡を受けていたからだそうである。確かに、奴隷の主人の妻、という立場なら身内に準じる扱いになるのかもしれない。
「もう……花が咲いたんですね」夫人が語る。「フアンの埋葬のために来てくださった方々ですよね。……、あぁ。どうぞ、作業を続けてください」
えぇ、お言葉に甘えて。教誨師と彼の元同僚は、埋葬のための穴を掘り始めた。夫人は傍で切り倒されたシェードツリーの株に腰かけてそれを見ていた。彼女が来た目的も明らかである。
穴を掘りながら、誰に話しかけるともなく教誨師は語りだす。
「一番おかしいと思ったのは、フアンが火を放った理由でした。目的があくまでも主人の殺害にあるのなら、首を吊らせた時点で、火をつける必然性はなくなってしまう。なぜなら、死んだ人間を焼くのと、生きた人間を焼くのでは、死体の様子が全く異なってしまうからです。ヘタに証拠の隠滅を図って、事故による火災であると見せかけても、前述の死体の様子からすぐに偽装が明らかになってしまいますから。そのまま放っておいた方がよほど足がつく可能性も低いし、火を放ったことによって複数人、労働者の間にも死者を出したことは、刑を重くするだけです。当初の証言のように、首を吊らせたのではなく、木に括り付けたのだとしても、今度は主人が死ぬかどうか不確実だ」
夫人は間違ってると言うでもなく。ただ、はめていた長手袋を外すだけ。
「考え方の前提がおかしかったんです。フアンの主目的はあくまでもプランテーションの全焼。ご主人の殺害は第二目的にすぎなかったんです。では、なぜ彼はプランテーションを焼かなければならなかったか? ……焼き畑農業です」
夫人はここで唐突に拍手をした。「お見事。といっても、この状況を見ればすぐわかる物かしらね。そう、確かに彼の目的はこのプランテーションを、一度焼いてまっさらな土地にして、その上で今ここにあるように、大量のケシを栽培することだったわ。といってもね、彼は別に麻薬を栽培したかったわけじゃないの。麻薬が栽培したいのなら、コカでも育てれば、この国では違法ではないし、外貨の獲得にもつながるでしょう。彼は……いえ、私も、ね。このケシの実が、大好きなの」
今かつてのコーヒープランテーションに咲き誇っているのは、ソムニフェルム種、つまり園芸用の栽培種とは違う、特にケシ坊主が大きく成長する、アヘン採取のための種だった。
慈愛気にケシ坊主を撫でる彼女。茎長に対して、拳大もあるそれは不自然なバランスで、風にぐらぐらと揺れ、乳幼児の頭を髣髴とさせる。
今や完全に夫人との対話になる。教誨師は穴を掘る作業に集中していて、夫人の表情を見ることは出来ない。
「……。そう、あなたたちはケシの花や実を愛していた。それこそ、フアンにとっては愛すべき主人の、あなたにとっては夫を生贄にしてもいいと思えるほどに!」
最初から、フアンとこの夫人の共犯関係だったのだ。親しげに会話するのが目撃されていたのは、何も睦言を語らっていたのではない。そこで語られていたのはお花畑を作る大犯罪計画である。
「それは……。だって、あの人が、この土地を売って街で工場を経営するだなんて、夢みたいなことを言い出したから」
なるほど、今年犯行に踏み切ったのはそういうわけか。土地が誰かの手に渡る前に。
教誨師は、穴を掘る手を休めず、汗をぬぐうこともせずに言葉をつなぐ。
「ご主人が殺害されたわけは二つ。一つは、この土地に正式な所有権を持つ彼を殺すことによって、あなたがその権利を得るため。二つ目には、火災がご主人の殺害を目的としていたと偽装して、警察の目を攪乱し、本当の放火の目的に気付かせないため。まんまと警察は騙されて、フアンをしょっ引いた後はろくすっぽ現場に興味も持たず、むしろ間伐の作業まで代行してくれる始末。まぁ、警察がやらなければ、伐採はかつての奴隷を使役してやったのかもしれませんが。そしてあなたたちは、人が大勢死んだプランテーションというわけありで、誰も近寄ろうとしない好都合な焼け野原を手に入れたんだ。木の灰でアルカリ性の土壌になった、新しく何かを栽培するなら最適な土地を! それで、あなたは獄中のフアンから、あの暗号を使った手紙でやりとりしながらケシ栽培を続けた。……違いますか?」
「全く正しいわ、神父さん」
ため息をひとつ、首を振って夫人が立ち上がる。「私にも作業を手伝わせてくれるかしら?」
予備のシャベルを手渡す。裾の広がったスカートはとても作業向きではなかったが、それでもフアンのために何か手伝いたいのだろう。
このあたりではコーヒーの実の収穫は八月から九月にかけて行われる。そして、ケシの一般的な挽種時期がそれと重なる八から十月。半年ほどで開花するため、ちょうど三月の今、ちょうど花が咲いているというわけだ。
ケシの花は一日花である。開花した花は一日で枯れ、数日経つと特徴的なケシ坊主と呼ばれる実を先端に付ける。朝、ここにナイフで傷をつけると、夕方には乳白色の液体が溢れだしている。採取して乾燥させると、黒褐色に変色し、粘性を示すようになる。これがモルヒネを含む生アヘンだ。
「……ここに植わっているケシは、すべて本国の法律で栽培が禁止されているソムニフェルム種。ケシの仲間のなかでも、もっとも大きな身を付ける。本国で禁止されているからには、植民地でも栽培できるわけもなく、そのため、この事件では警察に、できるだけ単純な怨恨だと思わせる必要があった。フアンは同僚によって警察に突き出されなかったら、おそらく自首するつもりだったんでしょう」
すべてがこの風に揺れる丸いケシ坊主と、悪臭のために。そのためにフアンは犠牲になったようなものだ。実際に殺人も放火もしているため、冤罪では全くないのだが……。
「私も、彼がその計画を話した時には止めようと思ったんですが」
気が狂っている。主人を殺すばかりでなく、自分の命まで犠牲にするとは。せっかくの景色を、見ることができなくても、それでも作りたいほどの景色だったんだろうか。
「それで、このケシ畑はどうするんですか。まさかアヘンを取るわけではないでしょう」
アヘン採集はとんでもない重労働である。おまけに、ケシ数千本から取り出せるアヘンは一キログラムかその程度で、そこからさらにモルヒネを精製するとなると、ほとんど何も残らないといってもいい。
フアンは「損はなさらないでしょう」と遺書に書いたが、とてもじゃないがこれを金儲けに転じようなどと教誨師は考えなかった。
「えぇ。一度この景色を見ることが出来ましたから、もう二度とここには戻ってこないつもりです。それに、あなたこそ、警察に通報したりしないんですか」
教誨師は肩をすくめた。アヘンを取る気ならいざ知らず。
「どうせ誰もこんな山奥の集落に来たりしません。放っておいても構わないでしょう」
さて、穴を掘り終わった彼とその元同僚である。ゆっくりと、棺桶を上からロープを使って穴に投じる。
手折ったケシの花を数本、彼と一緒に埋葬してやる。死後とはいえ、この光景を見ることができて本望だろうか?
ケシの実は、しぼんだ後種子を放出する。彼の作ったケシ畑は、豊富な土壌のアルカリ分を活用して、人の手を借りずに世代を重ねていく。この山でケシの自生が始まった。
また来年も、きっと同じ景色を見ることができるだろう。
教誨師 田村らさ @Tamula_Rasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます