教誨師

田村らさ

1.

「大きな声では申せませんが、論理的に言って、経験は理論よりも確かに尊いのです」

              ――アメリゴ・ヴェスプッチ『第一次航海の報告書』


 その狭い教誨用の小部屋には、木でできたそっけない机と椅子の他には、使い込まれて擦り切れた古い聖書くらいしかなかった。

 目の前で足を頻繁に組み替えながら――足枷は邪魔にならないのだろうか――自身の話を聴いてるんだか、聴いてないんだか、目を閉じて讃美歌などを鼻歌で歌っている男に、教誨師はため息を一つついて説法を中断した。この男、つい先日死刑判決が下ったばかりである。それがこの落ち着き方、正直言って教誨の必要性を全く感じない。

 彼は先までコーヒープランテーションで働く農奴であった。インディアンと黒人の間に生まれた彼は、彼が若いころに死んだ父親が仕えていたのと、同じ主人に仕え、同じプランテーションで作業をして生活をしていた。年のころは二〇をわずかにすぎたばかり。

 身長は一八〇センチメートルを優に超え、しなやかな肢体は肉食獣を連想させる。それこそ彼が毎日のように触れていたコーヒーのような色の肌はきめ細やかで、いかにも好青年然。穏やかながら深みを持った双眸からは死刑に値するような罪を犯すような人間にはさっぱり見えない。が、確実に死刑囚なのである。

 罪状は放火、殺人。


 死刑囚、名は仮にフアンとしておこう、は理知的な見た目を裏切って、かなりの無教養であった。態度が粗暴なわけではない。むしろ、プランテーションでの勤務態度は同僚の誰よりも勤勉で、主人の覚えもよかったという。そもそもこの主人自体が白人プランテーション保有者にしては珍しく、奴隷達に定期的に休みを与え、無理な労働はさせず、ときには作業を手伝うことなどもあり、理解のある主人として奴隷達の間でも人望があったほどなのだ。労働者のために、あのプランテーションも、収益率の悪いコーヒー栽培を取りやめて更地にして売却し、都会に工場を近代的な向上を建ててそこで雇いなおす、という計画すら建てていたらしい。

 ただし、フアンにまともな教育は全くなされていなかったため、何度注意しても、今も教誨師の彼に向かって親称の二人称代名詞を使い続けている(中世スペイン語では敬称だった二人称“vos”を使う、ラテンアメリカ方言のスペイン語特有の言葉遣いで、慇懃無礼な印象を与える)。朗らかに明瞭に語る口ぶりと、その子供みたいな言葉遣いのギャップはどこか空恐ろしいものを感じさせた。

 教誨とは、囚人がその信仰に合わせて精神的救済や徳心の育成を目的として聖職者による説教、カウンセリングを受けることができるシステムのことだ。フアンは敬虔なクリスチャンであったため、カトリック司祭の彼がこうして不定期に訪れるというわけだ。死刑囚には、執行直前の一回を除けば、執行までに平均して四回教誨を受けるチャンスが与えられるが、今日はこのフアンの第三回教誨日である。刑が確定して以降では今回が初となる。前回までの二回ではおおむね平均的な手続きに従った、ほとんど教会で一般の神父が民を相手に行う世話と変わらないものだったが、刑の確定後初ということで、彼としても多少心構えして向かったのだが。フアンは常となんら変わることのない様子で彼を出迎えたのだった。

 通り一遍の向上を述べた後、冒頭の場面に戻ることになる。

 フアンの犯した罪については一応資料で確認はしている。

 さかのぼること四か月の八月、ヌエバ・グラナダ副王領のグアヤス県ではコーヒーノキの種子の収穫が最も忙しい時期であった。当然、彼の同僚が農場に出て作業をし、主人もそれを監視するためにプランテーションの中にいた。人間の背より高いコーヒーノキが密集した、視界の悪い環境の中に、大勢の(彼の働くプランテーションは小規模とはいえ、五十人を超える人間が一度に働いていたと考えていい)奴隷が集まっていたのである。フアンは、そこに火を放った。

 周到に用意された犯罪であるらしく、湿度の低い日を選んで犯行は行われたし、風向きや、火を放つ場所、タイミングもよく考えられていた。結果、火勢から逃げ切ったものも居るにせよ、三十人以上の死傷者を出す大惨事となった。コーヒーノキも、山沿いの道に沿った東側を除いて、ほとんどが焼け落ちてしまった。

 また、多少不可解な状況があった。農場の主人が、事件当時、コーヒーノキの一本に縄で縛りつけらられていた痕跡があるのだ。遺体の側から燃えカスとなったロープが縄が見つかったのである。警察――なんだか軍なんだか、システマティックなものではないが、どちらにせよ公権力かそれに準ずるものである。ようは真っ当な行政機関ではなく、暴力機関なのだが――は、これを犯人による幼稚な偽装工作の一種だと考えた。

 つまり、犯人の主眼は主人の殺害にあり、縛りつけたのは主人の死を確実にするため、そして、火を放てば縄が燃え落ちて証拠が残らないと浅慮したのだろう。山火事の起きる環境ではないが、火事ならばまだ放火ではなく、タバコの火の消し忘れなどということもありうる。事故に見せかけることもできるだろう。しかし、結局ちゃちなトリックによって人為であることは明らかになり、むしろ主人殺しとその隠蔽の意図がより明確になってしまったことになる。また、主人を木に縛りつけたことによって、主人を助けようとした奴隷が複数逃げそこなって焼け死んだ。

 フアンが犯人と目されたのはほとんど単純な理由である。事件当時、誰も彼の姿を目撃していなかったこと、彼の服装に煤一つついていなかったこと。そのあたりを不審に思った彼の同僚が、事件直後燃え盛るコーヒー畑を満足げに眺める彼を問い詰めたところ、罪を認めたため、そのまま遅れて(一日以上遅れて、である)到着した麓の都市からの警官に拘束され、投獄されたということである。取り調べにおいても全面的に罪を認めたため、司法側も面喰ったものの、順当に死刑判決が下った次第だ。

 さて。その動機は?

 司直の側からすれば、動機などはどうでもいい。プランテーション放火殺人の責任の所在について、自供までしている犯人がいるのにこれ以上何を望もう? プランテーションで労苦に耐えかねた奴隷が主人を殺害することなどよくあること、それだけで済まされる。その上、一部彼の同僚の奴隷の間で、フアンと農場主の夫人が分不相応に親しげに会話を交わすことがあったとの証言があり、浮気関係のもつれなのでは、という見方もされていた。確かに夫人は、五〇代も半ばをすぎた主人には多少不釣り合いの、まだ三〇代になったばかりの女性だという。フアンとなにかあってもおかしくはなかっただろうが。どちらにせよ、あとは民衆の前で銃殺すれば有色人種へのスペイン人支配が強調されて一石二鳥。

 しかし、前述の通りフアンと主人の関係はおおむね良好で、主人も奴隷の中ではフアンをもっとも気に入っていた、はずである。それ自体はこれまで二回の教誨でフアン自身が語ったことでもあるし、彼の同僚何人かも同じことを証言した。そして彼らはこうも言う。「やはり奴がそんなことをするとは信じがたい」

 教誨師としても同感であった。目の前で長い手足を折りたたんで小さな椅子に座る彼を見ていると、フアンが放火したのが確かだったとしても、そこには別の事情がなにかあるように思われてならないのである。だからだろうか、彼の教誨師としての長いキャリアの中で一度もしたことのない質問が口を突いて出たのは。すなわち、本当にあなたがやったのですか、と。司法の判断を疑うのは教誨師の仕事ではない。

 今現在も椅子に収まっておとなしくしているが、牢の中でも彼は模範的な態度を取っているらしい。朝食や勤労奉仕の刻限に遅刻したことは一度もないし、それ以外の自由時間には本を読み、暗くなって読めなくなれば寝る。いや、しかし、犯罪の大きさと牢の中での態度には何の関係性もないことが多いことくらいは、彼にもわかっているのだが。

 フアンは一度不可解そうに首を捻ると、すぐに莞爾とした笑みを浮かべて首肯いた。何度も警察相手に供述したからだろうか、淀みなく犯行手順の説明を始めた。

 まず、殴って気絶させた主人を木に縛り付け、自分はプランテーションから出て、風上の複数個所から火を放つ。密集したコーヒーノキはともかく、枯れて乾燥したシェードツリー(アラビカ種のコーヒーノキの栽培に際し、日陰を作るために植えられる高木)が火勢を増すのに役に立った。見通しの悪く、迷路のようなプランテーションの中で、火が迫っていることは近寄ってくるまでは気づけない。あとは火の手が逃げ遅れた労働者と主人を飲み込むのを見守るだけである。

 方法はいい。だが、なぜそんなことをしなければならなかったのか?

 その質問にフアンは短く答えた。

「綺麗なものが、見たくなったんです」


 次の日曜日、教誨師は現場となったプランテーションに単身足を運んだ。教誨師は、一般の神父ではないので、教会で日曜礼拝を取り仕切ったりしない。自らの礼拝だけ済ませてしまえばむしろほかの曜日よりも日曜日のほうが予定の都合がつく。

 その農場へは、一歩間違えれば真っ逆さまな切り立った道や、橋すらかかっていないような小川を越えつつ、整備されていない山道を二時間ほど休みなしで歩き続けてようやくたどり着いた。十二月の穏やかな日差しは、しかし森林に遮られ薄暗さの中を歩いていたのだが、中腹にあるそのプランテーションと付属する集落の周りだけ何かの冗談のように拓けている。

 当然ながら、集落にも、プランテーションにも、もう誰も残っていない。焼失したプランテーションは使い物にならないし、そうなれば勢いプランテーションの労働者もほかの場所に流れていく。他の農場に働き口を見つけることができたものはまだマシなのであろう。

 さて、なぜ彼は貴重な休みを使ってまでこんなところに来ているのか。

 第三回の教誨以来、彼はずっと考えていたのだ。どうして主人の忠実な僕であったはずのフアンが、あのような方法で主人を殺害しなければいけなかったのかを。そして、思い当るところがあって、それを確かめに来た。

 警官がいないどころか、バリケードすら張られていないプランテーション――犯罪現場としての風格に欠けている――に教誨師は足を踏み入れた。道沿いのプランテーション東端部は確かにコーヒーノキも若干残ってはいるのだが、少し行くとすでにそこはまさに焼け跡だった。警官が片づけたのだろうか、焼けたコーヒーノキなどは伐採されて脇に固めて片づけられ、事件から数か月が経って、下草が生え始めているため、見た目はそのまま見事に牧歌的な原っぱである。現場を片づけられていては……、と彼は困惑したが、主人がくくりつけられていたという木だけはそのまま残されていた。僥倖。どうやら、くくりつけられたというのは、コーヒーノキではなくシェードツリーの方らしい。

 火勢はよほどのものだったらしく、水分を失い、ぼろぼろになったシェードツリーを彼は観察する。そこで彼は満足のいくあるものを見つけた。不自然に折れた枝である。ある程度以上の太さがある枝、自然に折れるということも想像しがたい上、火によって弱った木が折れたとも考えがたい。切断面まで、ほかの面と変わらない様子で火が炙った後があるからである。

 ロープの燃えカスが残っていればそれも調べたかったのだが、それはどうやら警察が持ち帰ってしまっていたらしい。教誨師は肩をちょっとすくめてプランテーションを出て、山を降りた。

 

「こういうのは、どうでしょう」

 第四回教誨、刑の執行前にはおそらく最終回になるであろう機会に、教誨師はまず聖書の言葉よりも彼の言葉を選んだ。

 第三回教誨から二か月が経った。刑務所内はとてもではないが生半可な防寒具では耐え切れない寒さになっている。そんな中でも七分丈の囚人服のフアンに教誨師は同情するやら。

 この二か月の間に、警察の伝手をたどって焼け崩れたロープも見せてもらった。何かを探っているのか、と詮索されそうになったが、元より教誨師ごときの発言で今更判決はひっくり返らないので、いっそ不用心に証拠品を見せてくれる。

 そして、それら証拠品からから彼なりに殺人の動機を推論したのである。

「こういうの、とは?」

 目つきは穏やかに、しかし試すような口元でフアンが訊き返す。

「二か月前、君が働いていた農場に行って、君が君のご主人を縛りつけたという木を見てきました。……枝が、不自然に折れているその木を。いくら火に焼けたからと言って、あんなに太い枝が折れるとは考えられません。なんらかの荷重がかかったと考えて間違いないでしょう」

 ここで言葉を切って反応をうかがう。フアンは目を閉じて反応らしい反応は見せない。まぁいい。

「さて、その上で、ロープです。焼け跡から見つかったロープ、炭化しているので分りづらいのですが……よく見ると、もやい結びになっています。木に人を括り付けるためだけならこんな結び方になるはずはありません」

 もやい結びは、基本的に輪を作るための結び方である。木に人を括り付けるならば、片結びでも蝶結びでも、とにかくもやい結びにはならないはずだ。

「それで。単刀直入に言いましょう。君がやったことは、ご主人の殺害ではなく、ご主人の自殺の隠蔽です」

 フアンが片目だけ開いて彼のほうに視線をやる。目線で続けて、と促しているように。思ったような反応が得られず、戸惑う教誨師であったが、言葉をつなぐ。

「君は、プランテーションの中央部で、シェードツリーに縄をかけて首を吊っているご主人を見た。……もやい結びは、首つり自殺によく使われます。しかし、そのままなにもせずにおけば、君のご主人は自殺者として近くの教会に遺体が届けられ……おそらく、祝福を与えられずに葬られることになる。それが敬虔なクリスチャンである君には耐えられなかった。天に坐します方の御目は欺けなくとも、せめて死出の祝福だけは人並みにご主人に受けてもらいたいと思った君は、一計を案じた。もしご主人が自殺ではなく他殺だったら? 他殺ならば、彼はあの世に向かう前に祝福を受けることができる……」

 例え行く先は地獄であろうとも。

 フアンはすべてを聴き終わって、小首をかしげる。

「確かに考えられなくはないですが……ぜんっぜん違いますね。いかにもカトリックの司祭さんが考えそうなことです。……ただ、木に縛り付けたのではなく、首を吊ったというのだけは、正解です」

 じゃあ。身を乗り出す教誨師にフアンは冷たく告げる。「ただし、ご主人の首にロープをかけ、吊り下げたのは僕です」

 はっ、?

「……また、なんでそんなことを」

 思わず胸の前で十字を切る。彼の魂に安らぎあれ。

「本当のことを話してくれませんか。あなたがご主人と最も近しかったことは周知の事実ですし、なによりそんな真似をする意味がないでしょう」

 吊し首にして殺したのならば、わざわざその上でプランテーションごと焼き払う必要があるだろうか? 

 押し黙ったままで、短い教誨時刻が終わりかけたそのとき、フアンが口を開いた。「……確実に、ご主人様には死んでもらわなければならなかったんです」


 最後の教誨からまた二ヶ月経ち、翌年二月の末。死刑執行当日のこと。よく晴れた日曜日だった。今だ中世的な性格を残す処刑の日は、民衆にとっては娯楽扱いで、当然観覧に都合のいいように、礼拝が終わってそのまま広場に集まれば処刑を見ることができるようにセッティングされている。司祭の説教を聴いた後に血なまぐさい処刑を見ることに、誰も何の疑問も挟まない。彼の処刑はグアヤス県の県都でもあるグアヤキルで行われた。

 フアンの事件は副王領全体でニュースとなっていた。

 朝、街の教会では礼拝が終わった頃だろうか。広場は役人の手によって刑場としての舞台設定がすでに済ませられていた。

 両手に鎖をかけられ、連れられてくるフアン。これから、近くの役場の一室を借りて、刑の執行直前、最後の教誨をすることになっている。

 彼は役場の椅子に座り顔を手で覆って深いため息を付く。何度も死刑執行直前の教誨はしてきたが、それでもやはり慣れないものである。神の愛について目の前で語った人間が、十数分後には物言わぬ肉塊になっている、というのは奇妙な感覚だ。出来るだけ真摯に接しようとしても、どうしても途中で我に返ってしまうのである。「こんなことをしても何になるのだろう?」

 もちろん死の直前に反省を促すことは死後の世界での魂の安息につながることは間違いない、間違いないのだが、肉と頭蓋骨を弾丸が圧し開く、手触りのある音、銃声が鳴り響いた後に残る金属質で甲高い、即物的な倍音が、彼に死後の世界の存在を疑わせるのだ。

 ドアが開いた。フアンが入ってくる。この後に及んでも手枷足枷は外されず、我々教誨師や市民の安全を考慮してのこととはいえ、こんなみすぼらしい姿をした人間に救いを与えることが出来るのだろうか。

 フアンを椅子に座らせ、語りかける。

 彼も流石にプロである、なめらかな語り口で会話を進めていく。贖罪について、死後の世界について、与えられる罰について。最終的な救済について。すべてが今一度の説明になる。だがしかし、常と感触が違うのだ。

 普通ならば、死刑囚の罪を犯した理由は様々な意味で分かりやすい。怨恨による殺人だったり、私利私欲による強盗や強姦だったり、あるいは珍しいパターンでは精神異常者ということもある。どちらにせよ、彼らが死に値するだけの犯罪を犯した理由は共感可能かどうかはともかくとして、一対一対応の分かりやすさをを持つ。そこから教誨師は彼らに反省を促すことが出来るし、最終的には彼らも悔い改めてくれることが多い。泣きながら抱き合って、それから刑場に送り出した死刑囚すら過去にはあった。まれにいる、死の直前まで自らの行為に疑問をまるで持たない人間も、それはそれで信念めいたものを感じることはある。

 だがしかし、フアンについてはどうだ? なぜあんなに愛されていた主人が殺さなければならなかったのか? 結局口を割らなかった。教誨をしていても、その点が分からなければ何を悔い改めさせればいいのか。模範的な微笑は底がつかめず、そこから何も読みとることはできない。そもそも、何も苦しみや懊悩がないのではないだろうか。教誨していても、極端に反応が少ない。

 口から出る聖書の文言が上滑りする。冷や汗が知らず流れ出る。外から聞こえる民衆の喧噪。

 彼はこんなにもたくさんの人間に死を願われている。

 締めの言葉を口にして、何か言い残したことはないか、フアンに訊いた。

 そこでこれまで滑らかに、そしてなおざりに教誨師の質問に答えていたフアンだったが、ここで一瞬考え込んだ。独り言のようにこぼした。「……三月まで生きていられたならば、もしかしたら……」


 それから、ドアを開けて役人が執行の時間になったことを告げる。教誨師は歯がゆい思いをさせられる。このまま行かせていいのだろうか。彼は何を求めていたのだろうか。引き立てられていく後ろ姿は不自然に軽やかで、それでいて後ろめたさに溢れていた。

 この部屋からほど近い刑場に、彼の姿が現れたのだろう。民衆のざわめく声が一層激しさをました。壁の一枚向こうではショーが始まっているのだ。

 彼は手順を知っている。すべての流れを知っている。

 まず、目隠しをした囚人が、壁に向かって直立不動のポーズ。ここで観客のボルテージは最高潮に達する。

 そして、四人の銃を帯びた兵士がそこから七メートルの距離に、それぞれ肩幅ほどの距離を空けて並ぶ。ここから、白人の司直によって罪状が読み上げられる。ほんの少しだけ観客の鳴りが潜まる。そして、兵士達が旧式のマスケットを罪人の後頭部に向かって向ける。その四丁のマスケットは、しかしながらその中で、一丁だけ、実包ではなく空包が装填されている。兵士達は皆が皆、平等に自分のマスケットには空包が装填されていたと思う権利を与えられる。

 どの弾が彼の命を奪ったか、責任の所在は誰にも明らかにされない。

 訪れる完全な静寂。笛の音から二分の一拍遅れて、甲高く四羽の鉄の鳥が鳴く。

 拍手喝采の嵐であった。大柄な体躯の崩れ落ちるどうという音。死に確実性を与えるため、延髄へ拳銃によりクー・デ・グラースが施される。マスケットよりもよほど軽く、恋人同士の口論みたいなかわいい音。慈悲! 恩寵!

 胸の前で十字を切る。彼は役場の一室を出ると、ひっそりと帰路に就いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る