この「 」に名前をつけるなら
ともかず
第1話 『もぞもぞ』
ふと、どうしようもない不安に押しつぶされそうなときがある。
『もぞもぞ』と蠢くそれが。腹の奥底から喉元にかけて、大きな一匹がいるような、それとも沢山が群れをなしているような、はたまたその両方が混在しているかのような不快感をもたらす。
胸のあたりがきゅうきゅうと締め付けられて、うまく呼吸ができなくなると、喉元を掻き切ってしまえたらと思う。
こんな時に飲む水はまるで道端にできた泥水のような苦みを持っている。
緑茶は粉っぽく、むせ返るような異様な風味を醸し出し、オレンジジュースやレモンティーは鋭い酸味で喉元にある『もぞもぞ』を刺激する。
『もぞもぞ』とはとても繊細な生き物なのだと思う。
それは、このような普段感じないような極端な苦み、異臭、酸味といったあらゆる『異常』に対して、強く反応するからだ。
異常を前にした『もぞもぞ』はひどく焦り、名の通りもぞもぞと蠢いていただけだったその動きをもっと機敏なものにする。
一匹一匹の『もぞもぞ』の動きが激しくなり、腹から首元にかけてがもっともっと苦しくなる。
身体中を『もぞもぞ』に侵されている。その自覚は確かにあった。
できることなら、全身に巣食う『もぞもぞ』を一匹残らず取り出してしまいたい。
腹の中でうじゃうじゃと群れるそいつらを。
大きな山の主の白蛇のようにそこでとぐろを巻くこいつを。
ぷつぷつと繁殖していく吐き気がするようなこいつらの卵を。
吐き気、嫌気、寒気、不安感といったこいつらがもたらす全ての不快感を取り除けるなら、そのために私は、自身の右腕を誰かに差し出すことも、足首から下をコンクリートのブロックで潰してしまうことも、人ひとりだって切り刻むことだってできるだろう。
それが絶対に無理なことはわかっている。
絶対に無理だからこそ、余計に私はそれを渇望しているのかもしれない。
私がそれを「無理だ」と言い切ってしまえるのには理由がある。
それは「『もぞもぞ』なんて本当は存在しない」という真実を、私がいちばんよく知っているからだ。
しかし、私が『もぞもぞ』と呼ぶこれの正体は未だ判明していない。
わからないのだ。
この不安感の正体も、
確かに蠢いている腹の内に何がいるのかも、
今にも口から飛び出しそうな生温かいものが何なのかも、
どうすればいいのかも、
これが普通に生きていて正しい現象なのかも、
私は異常なのかも、
どれひとつとっても、私にはわからないのだ。
わからないことが怖いから、私はそれを『もぞもぞ』と呼んでわかっているフリをし続けている。
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