エピローグ

「で? 阿佐美ちゃんとはそのあとどうしたの? 一発くらいはヤった?」


「ヤってません。僕は旭兄さんとは違うんです。というか、彼女と僕は友達ですから。男と女の関係とか、そういうんじゃありませんから」


「え、女友達って、ヤレる友達ってことだろ?」


「兄さんの頭の中の辞書はどうなってるのさ。一度、宗介兄さんに日常で使う頻出用語を教えて貰いなよ」


「兄貴の頭にはそもそもその単語入ってないだろ」


「……一理あるね」


 神戸市立須磨・平磯海づり公園。

 よく晴れた空の下、僕と旭兄さんは、管理事務所で借りた貸し竿を水面に垂らして、クーラーボックスを椅子代わりにして、ただただ日曜日の気だるげな午後を過ごしていた。


 どうして釣りに行こうなんて話になったんだっけか。

 そう、そんなことを言い出したのは――うちのどこか頼りない、長男さまだったように思う。今は陸上自衛隊に呼び出され、彼よりよっぽど頼りになる次男さまと一緒に、何処かに行ってしまっているけれど。


 はぁ。


 とんだ兄弟の親睦会もあったものだよ。

 主催者不在、そして、隣り合うのが、金髪ガングロヤンキー埒外兄貴だなんて。


 ほんと、今日は厄日だ。


 そんなだからもちろん釣果の方もさっぱりだった。


 何もかかっていない竿を水面から引き揚げて、旭兄さんがじっと睨む。


 海釣りと聞いてサングラスを持ってきた兄さん。

 金髪で日に焼けた兄さんが、それと一緒にアロハシャツを装備すると、まるで何かいけない職業の人のようだった。


 こんな人と一緒に釣りをしているなんて――阿佐美さんに見られたら、僕はどう言われてしまうんだろう。

 そう言えば、一度も家族について、まともに彼女に紹介したことがなかったな。

 まぁ、宗介兄さんのことがあるから、それは当分先のことになるだろうけど。


「なぁ、ここ、鯛とか釣れるんだよな」


「そう聞いたけど? あれじゃない、釣れる季節が違うんじゃない?」


「鯛の釣れる季節っていつさ?」


「知らないよ!! スマホ持ってるんだから、自分で調べたら!?」


「使えない愚弟だな!! そんなだから阿佐美ちゃんとヤれないんだよ!!」


「ヤらないし、ヤりたくないし、ヤる予定はありません!!」


「……んじゃ俺がヤっちゃってもいいか」


「ぶち殺すぞ糞兄貴」


 割と本気で殺気が沸いて、ふっと周囲の温度を下げてしまった。

 海面を吹き付ける真冬のような寒さに、僕たちの周囲に居た人たちが、何事かとばかりに辺りを見渡す。


 心配しなくても、急に寒気が戻った訳でも、嵐の予兆でもありません。


 ただちょっとばかり、断罪者バケモノが紛れ込んでいるだけです。


 急いで漏れ出た異能力を停止させる。

 はぁ、と、溜息を吐き出すと、辺りはこの時期に適した温度に変わり、釣り客たちはなんだったのだろうかという感じで、再び竿に神経を尖らせはじめる。


「んだよ。本性晒すくらいに大事に思ってるんじゃねえかよ。それでなんで誤魔化すの、青志くぅん?」


「――そういうのってさ、もっとこう、大事な話じゃない。というか、僕も彼女もまだ学生だから、なんかあったら大変っていうか」


「あ、それならなんも心配しなくていいぞ」


 よく分からないことを口走る兄さん。

 アロハシャツとサングラスがよく似合うヤンキールックメンは、竿の先にゴカイをたんまりと付けて海の中へと放り込んだ。

 そんな団子みたいに付ける必要ないよね。

 もうちょっと、遠慮すればいいのに。


 旭兄さんの挙動に驚いてついそっちに意識が行ったけど――。

 えっと、なんの話だったっけ。


「デザインベイビーっていうのはさ、遺伝子弄っちまうわけだろ」


「……うん? そういうものなの?」


「そういうものなの。サイエンスフィクション小説の常識。遺伝子弄った奴が、子孫を残せないように、生殖機能を制限するなんて当たり前の当たり前だぜ。あと、聞いた噂じゃ、ロケットで宇宙に飛んで宇宙線を浴びただけでも、子供を造るのを禁止されるらしいぜ――宇宙開発ってのも怖い話だよな」


「……いや、流石に最後のそれは都市伝説。って、えぇっ!?」


 ちょっと待って。

 それって、つまり、どういうこと。


 僕たちは、どうやっても、自分の子供を持つことができない。

 そういうことが言いたいわけ。


 いや、けど――。


「そしたら旭兄さんは、なんのためにそんなことを」


「決まってるだろ、気持ちいいからに」


「最低!!」


「冗談だよ!! ったく、ウブなネンネの青志ちゃんは、これだから困る!!」


 できもしないのに女性とそういうことをしまくる、兄さんの方が世間的にはよっぽど害悪だと思うけど。というか何その情報。聞いていないんですけれど。


 僕、時々冗談で、阿佐美さんとの将来とか考えてたりするんですけど。

 そういうの無理ってことなんですか。


 いけない――。

 なんだかまた、本質的な衝動が抑えられなくなりそうだ――。


 ひう、と、空っ風が海づり公園に吹いた時だ。

 じうと焦げるような音共に、急に周囲の温度が上昇した。


「馬鹿!! ったく、さっきからいろいろ駄々洩れじゃねえか!!」


 旭兄さんが、能力を使って僕をフォローしてくれたようだった。


 いやけど、貴方が僕を絶望させたんですよね。

 そんなことを言い出さなければ、割と普通に、僕ら二人、楽しく海釣りできていたはずですよね。

 なんでそんなことを言ったんですかアロハ金髪サングラス埒外兄さん。


 恨みを込めた視線で睨むと旭兄さんは笑った。


「というかさ、兄さん、そういう知識ってどこで身に着けてくるの?」


「うん?」


「そういう本とか読んでる姿、僕、見たことないんだけれど?」


「……まぁ、女の家でヤった時とかにちょろっとな」


「聞くんじゃなかった」


「本棚を見ればそいつがどういう女かなんて一発で分かる。そうだ、青志。これだけは覚えておけ。単行本版のノルウェーの森を置いてる女はまず間違いなく寂しがり屋だ。甘えさせてやればすぐにヤれる」


「聞きたくないよそんな話」


「逆に筒井康隆の本が本棚にある女ってのは要注意だ。頭の悪い発言一個で、すぐに捨てられる。本当に頭がいい奴しかあの男の本は読まない」


「……気をつけるとするよ」


「まぁどこまで気をつけても、仕方ないんだけれどな。ただまぁ、つっても、光太兄貴のような場合もある」


「光太兄さん?」


「四言六苦の儀式が不完全で子供のまま成長が止まっちまったように、俺たちの遺伝子デザインも、実は欠陥があるかもしれない」


「けど、そんなのどうやって――」


 あぁ。


 そう、何かが頭の中でつながったその時、ぴくりぴくりと僕の竿が引いた。

 旭兄さんもまた、僕の竿の方に視線を向けた。


「おい、青志!!」


「わ、分かってる!! って、重い!! 予想以上に重いよ兄さん!!」


「だぁもう、世話のかかる愚弟だなお前はよぉ――!!」


 そう言って僕の後ろへと回る兄さん。

 腰に手をまわして、しっかりと踏ん張れ俺が掴んでてやるから、と、耳元で囁くこの金色の髪の兄は――少しだけだが頼もしかった。


 ふと、空の青さが目に染みた。

 春先のなんの暗たんさも感じさせない水色の空。

 漂う雲の白さえも、なんだか美しく映えさせるそれ。


 黒く遠くまで続く水面と、空の境界を眺めながら僕は――。


「ねぇ、旭兄さん」


「なんだよ青志!! 今、いいところだろ!! ボケッとすんな!!」


「なんで僕が青志あーちゃんで、旭兄さんがアッキーなの?」


 どっちでもいいよね。

 なんてことを、気がつくと僕は尋ねるていたのだった。


 いまさらかよ。

 そう前置いて。


「どうでもいいだろ。だから、俺が譲ってやったんだよ」


 お兄ちゃんだぞ、俺はと、そんな言葉が水平線の彼方に吸い込まれていった。


アッキー!! 青志あーちゃん!! ごめん、おくれたー!!」


「光太さん、肩の上でそのように暴れられると」


「兄さんたち、ちょうどいい所に!!」


「手伝ってくれ兄貴!! 頼む!!」


【了】

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