第10話 予定

「痛いっ!! 痛いっ!! イタイっ!! いたいっ!!」


「――死屍累々」


 その男の人は僕の背中に赤い刃を当てた。

 それと同時に、僕の体に感じたことのない痛みが走った。


 痛い、いたい、イタイ。

 僕の頭の中は覚えたてのその言葉でいっぱいだった。


 これに他の人たちは耐えたという。僕と同じ、設計された子供たちは、この痛みに耐えて、この世界を変革する次代の支配者へと変身するのだという。

 男は言った。


 それはとても素晴らしいことだと。


 けれども僕は思った。


 こんな痛い思いをするくらいならまっぴらだって。


「やめてっ!! やめて、もうやめて!! お願いお願い!!」


「――五月蠅い子だ。お前のような子は初めてだよ」


「熱い!! あつい!! あつい!! アツイ!!」


「――此世地獄」


 男は僕の背中を切り刻むのをやめてくれない。

 熱くて、痛くて、みじめで、怖くて、悲しくて、寂しくて。


 どうにかなりそうだ。

 どうにかなってしまいたかった。


 けれども僕はそれに耐えた。叫んで、喚いて、歯を食いしばって、やめてやめてと懇願して、男が僕に植え付けたその何かを受け入れた。

 どうしてそうしたのか分からない。

 なぜ耐えたのか分からない。


 ただ、お母さんのお腹の中に居る弟――宗介そーちゃんのために、ちょっとかっこうをつけたかった。それだけだったのかもしれない。


「――なんと。幼い体で、耐えきったのか。この四苦を刻んだ段階で、大概の子らは茫然自失し自我を失うというのに」


「……あ、あぁ」


「――これは奇貨か。我が組織の本懐を遂げるための麒麟児か、あるいは、大禍を呼ぶ悪童か。分からぬ、今は分からぬが、面白い」


 褒美をやろうと男は言った。

 僕の宿命を僕が決めろと、彼は言った。


 宿命なんて分からない。

 そんな難しい言葉を選べなんて無理だ。

 何を決めればいいのか、何を求めればいいのか。

 幼い僕には何も見えない。


 だから、僕は――。


「すべてがわかるようになりたい」


「――全てとは」


「みらいを」


 美しい未来が視たいと僕は思った。

 鎖につながれていつも笑っているおかあさん。

 これから生まれてくる宗介そーちゃん

 まだ、これから生まれてくる弟たち。


 彼らの幸せな未来を僕が視れるようになりたい。


 そう、思った。


 そう、願った。


「――ふむ。やはり、奇貨である。望むは未来視の力と宿命か。面白い」


「……うっ、あっ」


「――幼いお前に変わって、私が宿命の四言二苦を詠じよう」


 ただし。

 で。


 そう言ってまた、男は僕の背中を熱い何かで切りつけた。


「――深謀遠慮」


「うっ、あっ!! あぁっ!! ぐぁああああああっ!!」


「――見敵必殺」


◇ ◇ ◇ ◇


「私たちが所属していた組織は起原の会という。起こす、原始を縮めて、起原だ。彼らの目的はただ一つ、人類の上位種たる原始の生命を起こすこと――つまり造りだすことなんだ。そして、その実験段階として生まれたのが、私たちということさ」


「……何を言っているの、光太」


「やっぱり、青志あーちゃんには少し早い話だったかもしれないね。難しいかな。難しいよね。うん、信じられないのは仕方ない。だいたい、私のような見た目の人間が言うことに、真剣に耳を傾けろっていうのが難しいんだ。それは、私もよく理解している」


「だからこそ私と光太さんは時機を計っていた」


「覚醒すりゃ嫌でも納得して貰わなくちゃならないことだけどな。俺はとっとと教えろと、口を酸っぱくして言ってたんだ――結果このザマさ」


「ごめんねアッキー。全部、私の計算ミスだ。私の身に刻まれた力、深謀遠慮と見敵必殺は、敵の出現予定スケジュールは予見できても、家族のことまではそう高精度に予見できない。そのように、歪めてあの男に宿命を刻まれてしまったからね」


「……ケッ」


 唾を吐き捨てるように旭兄さんが言った。そして、彼は僕から体を離して、その瞳に溜まった熱い滾りを、僕を救ってくれた右腕でごしごしと拭った。


「旭くん」


 心配するように宗介兄さんが旭兄さんに声をかける。

 キッと睨み返すように振り返った旭兄さんだけれど、その視線が向いた先は、宗介兄さんではなく、毅然とした態度で喋りだした光太の方だった。


 どうしてそんな顔をするのか。

 どうしてそんな視線を向けるのか。

 とてもそれは、末の弟に向ける視線じゃなかった。

 に食ってかかる、だった。


 そして――そんな目を時々、旭兄さんが光太に向けていたことを、なぜか僕は思い出した。


 旭兄さんだけじゃない。

 宗介兄さんもまた、時々、そんな眼を光太に向けていた。


 ――嗚呼。


「わぁってるよ。ティーチャーが悪い訳じゃない。宗介兄さんも悪くない。全部、こんなもん俺たちに背負わせた爺どもが悪いんだ。んなことは俺も分かってる」


「ありがとう。アッキーは本当に兄弟想いだね。流石は私の自慢の弟だ」


 また舌打ち。

 どうにも旭兄さんは、光太の言うことがよっぽど気に入らないらしい。


 それだけ、彼のことを思っているのだろう。

 じっと光太のことを見ている瞳が潤んでいるのが、その証拠に思えた。


「一番長い時間耐えてきたのはアンタだろうが。そんな小さい格好ナリしやがって、三十六歳だってんだろ。冗談にしか思えねえ」


「初期の改造手術は不完全だったからね。試行錯誤の段階で、年齢固定という副作用が発生してしまったのは、どうしようもないことだよ。けど、私の失敗を糧にして、宗介そーちゃんアッキー、そして青志あーちゃんが普通に歳をとれるようになったのだから、私はそれで構わないさ」


「光太さん。けれども」


宗介そーちゃん。私たちは私たちで自己完結している存在だ。別に、私は今生に執着はないよ。アッキーはどうやら諦めきれないみたいだけれど」


「……全部お見通しかよ」


「コードネーム教師ティーチャーだからね。それでなくても、弟たちの考えることなんて、全部お見通しさ。あぁ、ごめん、ただ、青志あーちゃんが覚醒するのを見抜けなかったのは、本当に申し訳ない。ごめんね、ダメなお兄ちゃんで」


 光太。


 幼稚園のスモッグを着て、いつも笑っている光太。

 緑色のパジャマを着て、いつもソファーでテレビを見ている光太。

 砂場遊びが大好きで、公園に行けばキャラクターもののTシャツを、いつも泥だらけにして絵が分からなくなるくらい汚す光太。


 無邪気に笑う僕の弟は――突然、自分が雪下兄弟の長兄であると言い出した。

 はっきりとした口調で。そして、はっきりとした意思を持って。


 冗談のような話だけれど、冗談を言っているわけではなかった。


 宗介兄さんが処刑人サンソン

 旭兄さんが火炎男ヘクサ

 僕が断罪者バケモノ


 なら、残された四男の光太は何なのか――。

 何かあるのだと思っていたんだ。

 いたんだけれど。


 こんなのって。


 光太が実は長兄だったなんて。


 僕は頭を抱えてかぶりを振った。もう、何もかも、受け止められないという感じで、頭を振って。それでも、その不都合で残酷な真実を全部忘れることは、とてもではないけれどできなくって。あまりに優しい彼らの嘘に、忘れることができなくなっていた。


 認めなければ。


 僕たちは兄弟なのだ――。


「そういうことなんだ、青志あーちゃん。君を今まで騙していたのは、兄弟として本当に申し訳ないと思っている。それに、君と一緒に遊ぶのは、私にとって――こう言ってはなんだけれども、とても美しくて尊く思える時間だったんだ」


「……遊んでいると思っていたこっちが、遊ばれていただなんてね」


「怒っているかい、青志あーちゃん


「そんな訳ないだろう。そんな訳ないよ。だって光太――光太兄さんは、僕を騙すためにあんな演技をしていたんだ」


 見抜けなかった。

 告白されるまで見抜けなかった。

 それはつまり、光太兄さんが、宗介兄さんが、旭兄さんが、一番末の弟である僕のことを人生を賭して守ろうとしてくれたという証拠以外のなにものでもない。


 特に光太兄さんなどは、何も知らない幼稚園児のような真似をして。


 ケチャップで顔を真っ赤にしたことだってあったんだ。

 アイスクリームを落として泣きじゃくったことだってあったんだ。

 舌ったらずな喋り方をして、少しも疑念なんて思わせなかったんだ。


 そんなことを間近で見てきて、その愛を信じられないというのなら。僕はこの世界の誰だって信じることはできないだろう。


 僕の心の中にある、冷たく冷え切った空洞に、詰め込めるものはないだろう。

 そうだ――。


「ありがとう光太兄さん」


「……ありがとう青志あーちゃん。こんな情けないお兄ちゃんを受け入れてくれて」


 からっ寒く空虚だと感じた胸の穴に、今、確かに愛が満ちているのを感じた。

 それは僕が知らない間に、僕へと注がれていたのだ。

 確かに注がれていたのだ。


 光太兄さんが。

 宗介兄さんが。

 旭兄さんが。


 だから、もう、僕は何も怖くなかった。すべてを受け入れる心の準備はできていた。

 続けてくれないか。そう光太兄さんに言うと、彼は頷いて、そして、静かに自分の前に置かれた、子供用のマグカップを手に取って口を潤した。


 口の端から麦茶を零すようなことはしない。

 もう、そんな演技は、僕たち兄弟の間には必要なかった。


「起原の会の目的が、次代の支配者を造ろうとしていると言ったけれど、それは現段階でのことに過ぎない。彼らの最終的な目的は、次代の支配者による人類の抹殺、そして、彼らによる新しい時代の創世だ」


「起原の会は、自らを神の礎である巨人ティターンになるつもりなんだ」


「宗介兄さん、そんな下手糞な比喩じゃ伝わらねえよ。ほんと、クッソ真面目だけが取り柄だなアンタは。黙ってな。いいか、青志、つまりだ――奴らの目的はいたってシンプル、人類の抹殺だ。ごくごく普通に特撮番組に出てくる悪の組織っていうことさ」


 宗介兄さんの説明でも、十分僕には伝わった。

 けれど、旭兄さんの説明の方が確かによりしっくりときた。


 突如として世界に現れた断罪者バケモノたち。彼らが人類に敵対する理由。僕たちが生み出された理由。単純な悪の組織の世界征服なのだと考えれば、すんなり納得できた。


 そして、だからこそ――兄さんたちは反旗を翻した。

 元人間である兄さんたちは反旗を翻した。


「起原の会が現在行っていることは二つ。一つは、私たちのような断罪者バケモノによる、人類の殺戮。もう一つは、私たちのような断罪者バケモノの生産」


「女性の失踪事件が近年多発しているのはそのせいだ。お前を産んで死んじまったが、俺たちの母さんもその一人だ。ほんと、えげつねえ組織だよ、起原の会は」


「失踪事件の管轄は旭くんだ。彼は、警察と連携して起原の会による拉致事件に武力介入している」


「その見返りにアッキーはいろいろとしているみたいだけどね」


 五月蠅い、と、旭兄さんが怒鳴った。


 彼がどうしてモテるのか。どうして女性に好かれるのか。

 どうやって多くの女性と知り合っているのか。

 その訳が、今ようやく分かった気がした。


 なんだよ。職権乱用じゃないか。

 とんだヒーローもいたもんだな。


 ははっ。


 けど、旭兄さんらしいや。


「知っての通り、人類の殺戮に対応するのは私の管轄だ。陸上自衛隊特殊作戦群、そして、兄さんが予見した予定スケジュールに沿って、起原の会の襲撃場所に強行突入する」


「毎晩のブリーフィングが大変だけれどね。おかげで寝不足だよ。昼は幼稚園と学童保育所で、こっそりと資料作りもしなくちゃいけないしさ。大変なんだよ、クレヨンで書類書くの」


「……あぁ、そういうことだったのか」


「冗談はさておき。起原の会は、改造された元人間たちを社会に放ち本能のままに殺戮を行わさせる。また、組織直属の殺戮部隊を投入して国家戦力を削いでいく」


「もしかして、兄さんたちは、その組織直属の殺戮部隊に居たってこと?」


 光太兄さんが黙った。

 宗介兄さんが頷いた。

 旭兄さんがあぁと数拍遅れて認めた。


 陸上自衛隊特殊作戦群と暗闘を繰り広げてきた処刑人サンソン

 同じくその半数を壊滅させた火炎男ヘクサ

 彼らを能力で支援していたと思われる裏方バックヤードの光太兄さん。


 兄弟三人は、野に放たれることはなかった。

 人類の敵としてあまりに強く存在することで、彼らは家族の形を守った。


 けれども、きっと僕は――。


「青志が改造手術を受け、記憶を失い野に放たれると聞いたとき。俺は、裏切ることを兄貴たちに持ち掛けた」


「陸上自衛隊特殊作戦群、対人型生物兵器部隊のメンバーに、光太さんの予見の力を使って私が接触した」


「勝算は十分にあったんだ。処刑人サンソン火炎男ヘクサ。敵の主戦力がそのまま日本政府側の手に入る。そこに加えて、起原の会の殺戮部隊の頭脳、その一片も加わる訳だ。彼らは絶対にこの話に乗ってくるだろう。分の悪い賭けじゃない」


 いや、そもそも、賭けではない。

 それは確定した未来だったと、光太兄さんは言い切った。


 そして、僕の手を取って、その小さいけれど大きな手で強く握りしめた。


「その時、私たち兄弟の未来が私には視えたんだ。普通に、人類として生きていくという、私たちの未来が」


 光太兄さんが笑った。

 無垢さのない、大人びた微笑みで。


「私もです、光太さん」


 宗介兄さんが言った。

 いつもの鉄面皮、全てを受け止める物静かさで。


「見えてなくちゃ言い出さねえさ。当たり前だろう。俺は博打打ちギャンブラーじゃねえんだ」


 旭兄さんが言った。

 どこか素直じゃない、けれども――。


 確かに熱のこもった意志ある声で。


 兄弟なのにその反応はそれぞれ違う。

 その姿もあまりにかけ離れている。

 あり方も歪だ。


 大人たちが僕たちに刻んだ呪いが、そうさせてしまったのだろうか。

 起原の会が僕たちをそんな風にしてしまったのだろうか。

 あるいは、今もまだ世界は僕たちを許さずに、そうあるように仕向けているのか。

 呪われてあれと兄さんたちが踏みつぶしてきた人々の怨嗟がそうさせるのか。


 僕には分からない。

 記憶を失い、断罪者バケモノであることさえも忘れていた僕には、分からない。


 けれども。


 宗介兄さんの手が僕と光太兄さんの手に重なった。

 旭兄さんが仕方ないなというようにその上に手を重ねた。


 光太兄さんの笑顔に無垢さが戻り。

 宗介兄さんが初めて笑い。

 旭兄さんが照れ臭そうに頬を赤く染めた。


「……兄さんたち」


「雪下兄弟をはじめよう、そう、私たちは思ったんだ」


 その時から、僕たちは人を殺すための断罪者バケモノから、雪下兄弟になったんだ。

 かけがえのない兄弟を得て、真に人たる存在になったんだ。


 重なり合う熱は、また、僕の心の空洞を――どこまでも空虚で冷たい心の中に、染みわたっていった。


 きっと、もう、大丈夫だろう。

 僕はもうこの人たちがいる限り自分を見失ったりしない。


 断罪者バケモノなんかになったりはしない。

 そう思った。

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