第8話 殺戮の血

「これよりお前に四言六苦の宿命を刻む」


 白髪の研究者は俺にそう告げた。

 拒否権はない。泣いても、喚いても、ちびっても、糞を垂らしても、俺たち子供たちに与えられるのは、この爺さんが刻む忌々しい宿命だけだ。


 どうしてこんな風に生まれてしまったのか。

 嘆いた所で仕方がない、始まらない、何も変わらないし、終わりもしない。

 設計デザインされた俺たちは、この宿命の時までを生かされ、そして、宿命をこの糞ったれた爺に刻まれて生まれ変わる。


 人類を殺戮する存在バケモノに。


「まずは、一つ」


 老人は俺の背中に焼けた刃を突き立てた。それは背中の皮を焦がして切り開き、肉を裂いて俺を内側からずぶずぶと焼いた。


 悲鳴が骨を走って頭上から足のつま先まで抜けた。

 これまで味わった痛みの中で最も辛い痛みだ。もはや痛みなのかと疑いたくなるような強烈なものだった。


 手術に前後して、俺たちは子供の頃の記憶を失うという。

 納得できる。このような苦痛を味わわされて、人間の記憶が飛ばない訳がない。

 理性さえも蒸発させられそうな、肉を焼く熱。

 しかしそれに――俺は奥歯をかみ砕かんばかりに食いしばって耐えた。


 失う訳にはいかない。

 青志との絆を。

 青志との記憶を。


 ――死屍累々ししるいるい


「ほう、一苦を耐えるか。なるほど、見込みのある子だ」


「……っざ!! はやく、次をやれよ爺!!」


「……よかろう。では、二苦」


 再び背中の肉が焼かれ裂かれる。

 刻まれる宿命は、四苦までは皆同じだと聞いている。


 ――此世地獄このよはじごく


 ――唯々地獄ただただじごく


 ――本質的性ほんしつてきさが


 そして、最後のが俺たちの本質を決定する。


「ほう、四苦を耐えたか」


「う、あ、ぎ、あ、かぁ、っ、っぐ、がっ」


「しかし、呂律が回っていない。ふむ、その血統からしてになり得るかと思ったが、惜しかったな」


 そう言って、手を動かそうとした爺の腕を、俺を握りしめた。

 顔は見えない。ただ、彼の腕を握りしめただけだ。

 手術台の上に突っ伏して、もはや視界も体勢も変える力もないほどに、俺の中に刻まれた宿命という名の呪いが、嵐のように暴れまわっていた。


 しかし、それでも、俺は歯を食いしばってそれを耐える。

 耐えて――欲する二苦を老人へと掠れる声で告げた。


「……視界……一切!!」


「――吼えるか、小僧。よい、ならば刻もうその一苦。して、最後の一苦を詠め」


 吼えろ、叫べ、喉よ、唸れ。


 念じて俺は自らを呪う四言を発した。


◇ ◇ ◇ ◇


 ――気炎万丈。


「爺の施した二句の呪いは強烈だ。ただ最後の八言で、俺たちはその本質を刻まれちまう。やれやれ、お前はよっぽど厄介なのを爺に植え付けられたみたいだな青志」


「……火炎男ヘクセ!! 何故、オレの名を知る!! 火炎男ヘクセ!! お前はオレと同じ、殺戮する側のモノではなかったのか!!」


「質問は一つずつだ。オーケィ、青志、まずはちょっと落ち着こうか」


 つま先で地面を蹴ってビートを刻む。

 リズムを整える、それがなにより大切だ。


 今、青志は一般人を抱いている、巻き込むことはできない。既に大量の殺戮を刻まれた呪いのままにやらかしちまった後のようだが――まぁ、それは仕方ない。

 後で塵芥、残さず俺の能力で焼き尽くしてしまえば、青志に前科は刻まれない。


 ただ、胸の中に抱いている女の子。

 


 あんなただの善良な一般人を殺してしまったら、いよいよ、青志はこちら側にもどってこれなくなっちまう。


 アイツとティーチャーが言う、断罪者バケモノの仲間入りという訳だ。


 これ以上の呪いを、弟が背負い込むことはない。

 俺たち兄弟が背負い込む必要はない。


 そのためにも。

 まずは、最初の一撃を最大最速最高最良で――。


「叩き込む!!」


 一歩、踏み込む。ただし、それは限りなく大きな一歩。速き一歩。

 アイツから教えてもらった、縮地の要領で俺は深く踏み込むと、一気に青志との距離を詰めた。もとより、左右を工場の壁で囲まれた場所である。横に避けるも難しければ、上に逃げるも人を抱えては難しい。


 アイツと同じ分厚い外骨格で覆われている顔が、俺の一撃で綺麗に溶ける、砕ける、割れる、そして、引っぺがす。


 露わになった仮面の下の顔は――見まごうことなく、俺の大切な弟だった。

 ただし、その髪は、氷細工のような冷たい青色に変色している。


 何が覚醒の予定はないだ。

 ばっちり兆候が出ているじゃねえか。


「……貴様ァ!!」


「さぁ、断罪の時間だ!! つっても、出血特別大サービス、今ならてめえの首と胴体はつながったまま、お尻ぺんぺん百回で終わらせてやるから――ヨォ!!」


 顔面の再生に気をとられている青志。

 そのうちに、俺は弟の鎖骨を叩き割った。肩に走る激痛に、かぁっと悲鳴を上げる。それと同時に緩んだ腕の中から――抱いている女の子を引っ張り出す。

 そのまま、俺は彼女を細い路地裏の入り口まで放り投げた。


 きゃぁ、という声がする。

 いい声で鳴く女だ。きっと、ベッドの上でも可愛らしく鳴いてくれるだろう。こんな上等な女の子を捕まえて泣かせようとするなんて――。


「お前もどうやら俺に負けじと劣らずプレイボーイのようだなァ、青志ィ!!」


「……何を言っている、貴様ァ!!」


 キン、と、金属が弾けるような音がする。

 見れば視界の端から端まで、霜が湧き出していた。

 冷蔵庫の中でもないっていうのにひどく寒い。


 なるほど、こいつが青志の宿命か。


「おう、おうおう、絶対零度!! お前に刻まれた二苦の一つがそれだってのは、ティーチャーから聞いているぜ!! もう一苦がなんなのかは分からないそうだが――そいつは悪いな、俺との相性はだぜ!!」


 絶対零度の対極概念――絶対熱。

 ビックバンの瞬間に発生する温度とされるそれは摂氏14溝2000穣。


 まぁ、そこまでの出力を発生することはできないが。


 ――死屍累々。

 ――此世地獄。

 ――唯々地獄。

 ――本質的性。

 ――視界一切。

 ――気炎万丈。


 こいつをぶつけりゃ、霜を溶かすくらい簡単だ。

 すぐに、工場の路地裏を凍り付かせようとした冷気は俺の熱気に溶かされて、露も残さず天へと昇った。


 真夏でもないのにえらい温度だ。

 背中のお嬢さんに危害が加わってないといいのだけれど。

 残念ながら、それを気にしている余裕も時間も義理もねえ。


 今の俺がやるべきことは、とち狂っちまった愚弟をぶちのめして、正気に戻してやることだ。その為だけに、俺の


「視界全てを焼き尽くす、灼熱の如きこの想い!! その熱量!! おう、絶対零度くらいで止められると思うな!! 塵芥、荼毘に付すにはもってこい、葬儀屋入らずの俺の力をとくと味わいな――この愚弟!!」


「……なんだというのだ、いったい、なんだというのだ!!」


 再び、アイツに習った発勁で、俺は青志を吹き飛ばした。狂気に揺れているこいつを、正気に戻すにはどうすればいいのか。

 いざという時のためティーチャーには聞いておいた。


『一つ、首を刎ねて殺す。処刑人サンソンのそれ。二つ、正気を失うまでぶちのめす。三つ、兄弟の愛の力で正気に戻す』


「二と三が合わされば、無敵だろう青志!!」


「……ぐるぁああああっ!! 氷柱アイス・エッジ!!」


 駐車場に吹き飛ばされた青志は、無数の氷の柱を発生させてこちらを待ち構えている。黒いアスファルトの間から伸び立つ氷柱はどれも鋭く、こちらを刺し貫く用意がありありと見て取れた。


 あぁ、悲しいかな、兄弟での殺し合い。

 この戦国時代もとうに通り過ぎた世に、アスファルトに千本氷柱を突き立てて、切った張ったをしようことになるとは、俺は思いもしなかったぜ。


 しかし甘い。

 甘いぜ、青志。


 てめぇが作り出す、絶対零度の氷柱なんざぁ、削って混ぜて、シロップををかけてかき氷にでもしちまう方がよっぽど有意義だ。

 そんな温い殺意じゃ――。


「俺の心臓ほのおは貫けねぇ!!」


「ほざけぇ!! 行くぞぉッ!! 火炎男ヘクセッ!!」


 繰り出されるは無数の氷柱。いや、氷の豪槍、あるいは、豪矢。雨嵐、礫のように降り注ぐ、その尖った殺意の氷の刃を――俺は。


「車中でいちゃつくカップルはいねえな!! 車中に犬をおいていく馬鹿な飼い主はいねえな!! 車中に赤子を放置するネグレクト夫婦はいねえな!! よぉし、なら、あとは頼むぜ、陸自のお偉いさん!! 迷惑ばかりで申し訳ねえな!!」


 ――視界一切!!


 ――気炎万丈!!


 身体から発するは摂氏2000度の熱。

 一瞬にして周囲の空気は蒸しあがり、アスファルトは溶けて油分と砂利へと分離した。鋼鉄製の車はチョコのように蕩け、ガソリンに引火して爆発炎上する。

 圧倒的な熱量攻撃に、摂氏マイナス273度程度では耐えられない。


 どろり、と、青志の体を覆っている氷性の外骨格の鎧が溶けだすのが見えた。


「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なァッ!!」


「ほれ!! 俺にお前の攻撃は効かねえって言っただろう!! よう、この愚弟!! そろそろ俺の本気パンチを、お前の顔面にお見舞いしてオネンネの時間だ!! ねんねんころりよおころりよ!! 兄ちゃんのパンチで気絶ノックアウトの時間だぜェ!!」


 氷柱はなくなり、アスファルトの地面は溶け、車は大破炎上し、その炎がアスファルトの海に広がり灼熱地獄がこの世に現れる。


 氷を操る孤独の王――こと俺の愚弟は、無様な面罵の声を上げた。


 あぁ。

 みっともないことこの上ない。

 兄弟喧嘩なんて家でやるのに十分だろう。


 こんな人様に迷惑かけてまでやることじゃないぜ。

 さっさとこんなの終わらせて。


「お家に帰ろうや――あ?」


 溶けたアスファルトが作り出す油の海を駆け抜けて青志に肉薄した俺。しかし、そんな俺の懐に、氷の鎧を溶かされた青志はごろりと転がり込んできた。

 手には武器は何も持っていない。


 その油断。

 予測不能の行動。

 そいつが、俺に一瞬の戸惑いを産ませた。


「……兄と言ったか!! 貴様ァ!! オレの兄とォッ!!」


「……おう、言った!!」


「ならば血を分け合った兄というのならこれに耐えてみろ!! 絢爛殺戮!! 絶対零度!! 我が二苦八言の呪いは、全てを停止し殺す絶対零度の呪い!!」


 背筋を悪寒が走った。

 同時に青志の手が俺の脾腹を抉るように鷲掴みにした。


 違う。青志は武器を持っていないんじゃない。

 青志の体が全体が武器なのだ。


 俺と同じだ。

 その身を焦がし、周囲を焦がし、燃え上る灼熱の男――火炎男ヘクセ

 陸上自衛隊特殊作戦群の半数員を焼き殺し、塵芥に還したこの俺と同じ業を目の前の弟も背負っているのだ。


 兄弟だ。

 やはり俺たちは兄弟だ。


 青志。


 やっぱりお前は記憶をなくしても、俺の大切な弟だ。

 そんなお前と繋がれるだぁ。


 そいつは嬉しい話じゃねえか。


「受け止めてみろ、オレの世界を!! 誰も生きることのできない絶対零度の孤独の世界を!! 誰も踏み込むことのできない、絶死の領域を!!」


「思春期か、反抗期か、中二病か、高二病か、だぁもうなんだって構わねえ!! なにが絶対零度の孤独の世界だ!! 鼻白んで笑えるような台詞を吐くようになりやがって!! 孤独を嘆くほどおセンチかますまえに――村上春樹でも読んで来い!!」


「き、さ、まぁっ!!」


「偏屈ぶってマイナーな小説ばかり読んでるから、てめぇはダメなんだよォ青志ぃ!! 一人だぁ、孤独だぁ、んなもんはなぁ――俺が溶かしてやるから、お前は安心して後ろからついてくればいいんだよ!!」


 それが兄弟ってもんだろうが。


 俺の中に流れ込んでくる、全てを停止させる絶対零度の青志の力。

 青志の中へと入り込んでいく、全てを焼き尽くす俺の摂氏2000度の熱。

 相反する熱量が、今、渦を巻いて、俺たちをかき乱していく。


 溶解と凝結を繰り返し、背負った宿命――四言六苦がお互いの体を駆け巡る。

 感情も、能力も、異能も、精神も、全てがごちゃ混ぜになって、駆け巡る。

 酔いそうだ、吐いちまいそうだ、思わず突き放しちまいそうだ。


 けれども俺はこの手を離さない。

 青志が俺に伸ばした手を、助けを求めるように差し出した手を、決して、自分から離したりするものか。


 ――視界一切!!!!


 ――気炎万丈!!!!


 俺は燃やす、全てを燃やす、己を燃やす、世界を燃やす。

 燃やして燃やして、溶かして溶かして、蕩けさせて蕩けさせて、そして。


 俺の目に入る視界の全て、兄弟の涙の露を拭ってやる。

 俺たちに降り注ぐ灰色の雨を全て天に還してやる。


 そうだ、そのために――。


 


「くそぉっ、なぜ、死なぬ!! なぜ停止せぬ!! なぜ諦めぬ!!」


「お前じゃ温いってことだぜ青志ィ!! お前の絶望じゃ、お前程度の孤独じゃぁ、俺の熱量は冷ませねえ!! 青志つまりだァ!! 何が言いてえっていうとぉ!!」


 俺は擬態した。

 あの組織で、あの恐ろしい魔術師たちの工房で、あのおぞましい呪いを刻む魔窟の中で会得した力で、雪下旭の顔を造った。


 青志の顔がはっと正気を取り戻す。

 なるほどティーチャーめ、こいつが兄弟の愛の力って奴か。


「3番が一番効くじゃねえか」


「……旭兄、さん?」


 そう呟いたその時。


「――堅忍不抜」


 その声は響いた。

 火柱を立てるへしゃげた車たちの中を飛び交って、その黒い影は一直線に、俺たち兄弟の方に向かってきた。


 あぁ、まずい。


 こいつは、まずい。


 とても――まずい。


「――不撓不屈」


 俺と青志を繋いでいた腕が、黒い針によって切断される。

 そして、青志との距離を離すように、繰り出された蹴りにより、俺は再び工場の路地裏へと押し込まれたのだった。


 揺らめくアスファルトの煙を裂いて、現れるその影。

 青志の体を抱き、こちらに向かって来るのは――あの裏切者。


「断罪の時だ」


 処刑人サンソン

 黒い外骨格を身にまとった、俺たちと同じ人を超越した者。

 そいつがそこには立っていた。


「懺悔は聞かん」


 外骨格の奥に緑の瞳が光った。

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