第5話 裏切者

 スーパーは、夕方の買い出しに来た主婦たちでごった返していた。

 店員のタイムセールの呼び声と共に生鮮売り場に殺到する主婦たち。今日は、キャベツが安いらしい。僕も欲しい所だったけれど、阿佐美の手前もあり歴戦の兵たち――昼下がりの主婦たちと格闘する姿は見せられないと我慢した。


「先輩はいつも買い出しに?」


「火曜日と木曜日かな。火曜日はこっちのスーパーは特売日で全体的に安いんだ。木曜日は、駅の方にあるスーパーで肉が安くなってね。そこでまとめ買い」


「冷凍肉は栄養が逃げますよ」


「それは分かっているけど、毎日新鮮なお肉を選んで食べれるほど、兄弟四人暮らしというのは簡単じゃないんだ」


 そう言いながら、僕はスーパーの入り口にある籠を手に持った。

 本当は、タイムセールの時間帯を回避して、すいているときにそこそこ安い食材だけを買い集めて帰るつもりだったんだけれど、これはちょっと難しそうだな。


 もう既に、列をなしているレジ前を見て僕はそんな感想を覚えた。せわしなく、次々に籠の中身を清算済みの色違いの籠へと移し変えていくパートさんたちを眺めていると、なんだか苦笑いが口から漏れてくる。

 忙しそうにバックヤードから駆けてきた店員が空いていたレジに入った。

 並んでいた列の最後尾から、何人かが競うようにしてその新しく稼働し始めたレジへと雪崩れ込む。

 それでもまだ、列の渋滞は解消されない。


「阿佐美は食材の買い出しとかしないの?」


「阿佐美さんで」


「阿佐美さんは食材の買い出しとかされないんですか?」


「丁寧語を使う必要はありません、青志先輩」


「うわ、むず痒い」


 年頃の女の子から下の名前で呼ばれるのとか、なかなか経験のないことだよね。そこに加えて先輩だなんて。相手がちょっとぶっきらぼうで愛想の悪い、おまけにこちらに殺意めいた視線を向けてくる相手なのが残念だけど、それでもときめいてしまった。


 というか、阿佐美――さん、普通にかわいい子だしね。

 まだ身長足りないし、体の発育も今一つだけど、一年もしたら道行く男が放っておけないような美人になるんじゃないだろうか。


 旭兄さんには絶対に会わせられないな。というか、会わせた瞬間、僕は再犯者になってしまう気がする。よし、それだけは気をつけることにしよう。


 そんな決意をする横で、阿佐美さんは物珍しそうにスーパーの光景を眺めていた。

 やはり買い出しとかに出ない箱入り娘なのだろうか。

 融通の利かなさはそういう所から来るのだろうか。


 阿佐美さんは、特売のキャベツを奪い合う主婦たちに真剣な視線を注ぎながら、その可愛らしい桃色の唇を弾いた。


「食材の買い出しはしません。ウチは生活協同組合の宅配で済ましています」


「うわぁ、お金持ち」


「……その方が都合がいいんです」


「都合?」


「父が死んで、その後すぐに母が精神を病みました。父の恩給で生活はできていますが、買い出しに出れるような状態ではないんです」


 想像以上に重たい話が飛び出して来たな。


 この娘は、口を開けば極端なことしか言えないのだろうか。

 というか父が死んで恩給ってどういうことだろう。彼女のお父さん、いったい何をしてた人なの。軍人さんか何か。

 いやいや。日本は軍事力は放棄しているから、それはないでしょ。


 ふとその時――家から出る際に耳にした、テレビの内容を思い出した。


『しかし、処刑人サンソンも気になりますが、彼の登場より前に自衛隊を襲った、火炎男ヘクセの同行も気になりますね』


『陸上自衛隊の特殊作戦群の半数を殺害した断罪人バケモノ


 そして、鹿野先生の言葉。


『そうだったね、すまない。処刑人サンソン――いや、断罪者バケモノについて君の前で語るのは、ちょっと配慮が足りなかったよ。すまない、許してくれ』


 もしかして、阿佐美さんのお父さんは、火炎男ヘクセに襲われた陸上自衛隊の特殊作戦群に所属していたのではないか。


 まさか、いや――。


 そんなことを思って阿佐美さんを眺めていると、急にその怒りを奥に宿した瞳が僕の方を向いた。彼女は眉を顰めると、それから気が抜けた様にその緊張した顔を崩して、しょうがないですねという感じに口から息を漏らした。


「軍事機密なので、オフレコでお願いします」


「え、あ、はい」


「私の父はお察しの通り、陸上自衛隊の特殊作戦群に所属していました。それも――対人型生物兵器部隊に」


 対人型生物兵器部隊。


 聞いたことのない名称だ。

 別に陸上自衛隊について詳しい訳でもないけれど、そんな耳にひっかかりのある部隊があるのなら、男の子として記憶していないはずがない。


 あまりに耳に馴染みがなく、そして心にひっかかるものだから、僕はスマートフォンで検索しようとしてしまった。すると、すかさずそれを阿佐美さんが止めた。

 はじめて、彼女は焦った顔を僕に向けた。


「いけません。検索するだけで逮捕拘束されます」


「……本当に軍事機密なんだ」


「言ったじゃないですか」


「信じられるわけないだろう」


 大人しくスマホをポケットの中にしまう。それから、普通に買い物をする体で、僕は彼女と一緒にスーパーの中を歩き始めた。

 生鮮コーナーに群がる主婦の群れを抜けて、もやしとなすび、おくらとじゃがいもを籠に入れると、練り物コーナーへと移動する。そして、ようやく、阿佐美さんは僕に、その軍事機密の話を語り始めた。


断罪者バケモノが最近テレビを賑わせていますね」


「あぁ、見ない日はないくらいだ」


「日本政府はもとより公安・警察・自衛隊は、彼らが表立って活動する前から、その存在について把握していました」


「……マジで?」


「はい。ただし、そういう存在がいるというだけで、その母体となる組織がなんなのか、目的がなんなのかは不明です。陸上自衛隊は、彼らが日本政府に危害を加えるという明確な意思を持って活動していると判断し、対特殊チームを結成しました」


「それが、君のお父さんが所属していた部隊って訳か」


 はい、と、阿佐美さんは頷いた。


 さりげなく覗き込んだ彼女の瞳には光がない。

 父のことを語る彼女はなぜか、ここにいてここにいないようなそんな不思議な雰囲気があった。


 それはそうだろう。

 年頃の娘が、父を失ったのだ。

 それも――得体のしれない断罪者バケモノの手にかかって。


 なんだかそんな顔が放っておけなくて、僕は彼女のプライベートに失礼を承知で足を突っ込んでみることにした。


 だって、はいそうですかだけじゃ、あんまりじゃないか。


「すると、お父さんは、火炎男ヘクセとの戦いで?」


「いいえ、違います」


 おかしい。

 これまでの話を総合すると、彼女の父が戦死する場所は、火炎男ヘクセとの衝突の時以外考えられない。

 それより以前に、彼らと自衛隊が戦うような事態は――。


 あぁ。

 違う。


 だからなのだ。


火炎男ヘクセとの戦い以前から、父たちの対特殊チームは断罪者バケモノたちと戦っていたんです」


「……その戦いの中で、お父さんは」


「はい、とある断罪者バケモノと戦って、殺されました」


 その殺し方を僕は知っている。

 その断罪を僕は知っている。

 その処刑人バケモノを僕は知っている。


 何度も何度もマスメディアのいやらしい作為により目にした。

 このところは毎日だって目にしている。


 阿佐美さんは僕の顔をじっと見つめて、そして、どこにも向けることのできない、明確な殺意を込めて言葉を紡いだ。


「父を殺したのは――日本政府に寝返る前の処刑人サンソンです」


 阿佐美さんは今にも泣きだしそうだった。その狂気に、今にも叫び声を上げて、どうにかなってしまいそうな、そんな顔を彼女はしていた。


 人類の守護者が、彼女の父の仇なのだ。

 それはつまり、日本政府を――彼女の目に入るすべての世界を――彼女は敵に回しているということと同じだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 豆腐。油揚げ。ウィンナー。納豆。一個三十円のコロッケ。アジフライ。人数分。

 それを灰色をした買い物かごに放り込みながら、僕の心は少しも落ち着かなかった。隣を歩く阿佐美さんも、少しも落ち着いていないようだった。


 どうしてそんな話を僕にしてくれたのか。

 阿佐美さんは――僕のプライベートに深く踏み込んだ対価だと言った。

 確かに、自動保育所まで着いて来たのはやりすぎだと思うが、その対価として話してもらうにしては、いささか重たい話のように思った。


 もっと、軽い話でもおつりはきたのに――。


 いや、そもそもは僕が入店時に、彼女に不必要なことを聞いたからだ。


「君から聞いた話は、全部嘘だったと思うことにするよ」


「そうしてください」


「阿佐美さん」


「はい」


「せっかく知り合ったんだし、よかったら、今後も仲良くしようよ。僕なんかでも、もしかしたら、何か君の力になれるかも」


「安っぽい同情は要りません」


 彼女は最初に会った時のような表情で僕に言った。

 ずっと、僕の手を追っている彼女の視線は、相変わらず鋭く、そして、冷たい。その冷たさで、指先がしもやけを起こしそうだ。


 そして今は言葉さえも、凍り付いたように冷たい。


 ようやくレジの前にたどり着いた僕は、もうどうしていいのか分からない気持ちで、列をなしている主婦たちの最後尾につけた。発光するレジ稼働中を現したランプを眺めてみたが、少しも心の動揺は収まりそうになかった。


 今日はなんて日なんだろうか。


「君が正義に燃えるのはそんな理由?」


「いけませんか?」


「いけない……とは思わない。けど、間違ってる、とも思う」


「発言が矛盾しています」


 分かっている。

 心を言葉に落とし込むことは難しい。


 そこに加えて、こと彼女の身に起こったことについて、明確に言語化して気持ちを整理するのは、容易ならざることに思えた。

 だからこそ、当事者である僕の隣に立っている少女は、迷い、苦しみ、そして、歪んだ感情に囚われている。


 彼女の精神を病んでしまった母親と同じだ。

 阿佐美さんも程度は分からないが病んでいる。


 僕にどうできるものではないと思った。


 けれど、やっぱり――。


「……救いたい」


 そう思った。


「やっぱり、僕、君を放っておけないよ」


「……青志先輩?」


「友達になろう、阿佐美さん。なんでも相談してくれ。僕、これでけっこう友達からは頼りがいのある奴だってよく言われるんだ」


 そんなことを彼女に語り掛けたその時だ。

 急に彼女の眉間に深い皺が浮かんだ。


 怒りだ。

 僕を捕らえた時にみせた怒りが彼女の顔に満ちている。

 何が起こった。そう思って視線を向けると――なんてことはない、スーパーの喫煙コーナーで男子高校生が煙草をふかしていた。


 こんな所で堂々と、何を考えているんだ。

 いや、何も考えていないのだろう。


 見ればそいつらは、府内でも屈指の低偏差値で知られる高校の生徒だった。中学校の頃から、煙草やシンナーや、下手をすればドラッグなんかをやっている、そういう奴らが集まっている高校なのだ。


 関わってはいけない相手。

 自分の人生には関係ない存在。

 そうして、見えないものとしてしまえば、何の問題もない。


 けれども――裁かれない罪を激しく憎む少女の瞳に、彼らの姿はいささか刺激が強すぎた。いけない、と、声をかけるよりも早く、阿佐美さんは駆けだしていた。


「阿佐美さん!!」


 スーパーの出入り口に向かって走り出した少女。

 体格差など考えてもいない。

 あるいは、彼女の父の死の話により、感情が高ぶっていたのかもしれない。


 なんにしても、彼女が今、普通の状態でないのは間違いなかった。


 どうする、どうすればいい、何が正解なのか。

 考えるより先に僕は手にしていた買い物かごをその場に置いて、彼女の背中を追っていた。


「ダメだ阿佐美さん!! ちょっと落ち着いて!!」


 主婦の群れを突っ切って、最短経路で彼女に追いつこうとする。

 しかしながら間の悪いことに、タイムセールを終わらせてバックヤードに戻ろうとする店員とぶつかった。


 尻餅をついて立ち上がる間にも、彼女は喫煙所の不良高校生の前にたどり着いている。そして、僕にしたように――今度は頭二個分も違う相手に向かって――怒りの咆哮を上げていた。


 いけない。


 そいつらは暴力なんてなんとも思っていない奴らなんだ。


 ダメだ。


 そいつらは規律ルールなんて理解しようともしない獣なのだ。


 よすんだ。


 そいつらは断罪者バケモノよりもよっぽど性質の悪い存在なのだ。


 どうして無視できないんだ。


 バカ。


 気づいた時には、阿佐美さんが睨みつけていたリーダー格と思われる金髪男が、彼女の顔面を拳で殴りつけていた。よろめいて倒れた阿佐美さんを、彼はまるで米袋かなにかのように担ぎ上げる。

 体の小さい彼女は、顔を真っ赤に腫らせていた。

 男の一撃で気を失ってしまったのだろう。


 怒りに燃える瞳は綴じられていた。

 けれど、その感情の残滓のように――。


 瞳の端から流れた涙が、唇から流れる血と混じって、地面に落ちた。


 僕の中で何かに火がついた。

 そんな気がした。


 ボケッとしている場合なんかじゃない。


「阿佐美さん!!」


 スーパーに入ってくる人を避けながら急いで出入り口を抜けた。


 緑色をしたダイヤモンド形状の格子で仕切られている駐車場の向こう。

 駐車場の奥――工場と工場の隙間になっている路地裏に入っていく、阿佐美さんを担いだ不良高校生たちの背中が見えた。


 警察を呼んでいる時間はない、警備員さんの姿も見当たらない。

 一刻も早く、彼女の下に駆け付けなくては――。


 もう一度、僕は彼女の名前を叫んで、アスファルトを蹴る。

 駐車場を走る軽自動車。その前を突っ切り。柵の前に駐車されている車のボンネットを駆けあがり、そのまま、金網を飛び越えた。迫ってくる工場の壁にしたたかに体をぶつけて落下。そして、すぐに彼女たちが消えた路地裏へと入って叫んだ。


「おい、止めろよ!! その娘になにするんだ!!」


 僕は叫んだ、正義のヒーローでもないのに叫んだ。


 けれども、ここは叫ぶ場面だった。


 阿佐美さんの服を脱がそうとしていた男子高校生たちが振り返る。


 ロン毛。

 丸刈り。

 アフロ。

 モヒカン。

 そり込み。

 そして金髪――。


 悪い奴らがよりとりみどりだ。


 けれどもその瞳の奥にはどれにも、阿佐美さんの瞳に宿っていたのとは違う――どす黒い暴力性を帯びた殺意が揺らめいていた。


「……んだてめぇ」

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