第4話 断罪者

「……んー、まぁ、本人も仕方なくと言っていることだし、今回のことは許してあげてもいいんじゃないかな?」


「そんな甘いことを!! 地域住民が見ているんですよ!!」


「そうだねぇ。けど、人間誰しも、急ぎの時と言うのはあるものだから」


 生徒指導室。

 生徒はもとより教師陣からも仏と呼ばれている鹿野先生は、僕のことを庇ってくれた。もちろん、しっかりと反省の意思と、やむを得ない事情について話してのことだ。無条件に甘い顔をするほど、この仏はいうほどやさしくも甘くもない。


 真心でなければ仏に想いは通じない。


 僕は少しの脚色もなく、そして、少しの言い訳もなく、ありのままに事実を鹿野先生に述べた。それが結局、彼の心の琴線に触れて、こうして恩情を引き出した。


 木目調の意匠が天板に施された長机。

 それを二つ並べた生徒指導室。


 かつては喫煙室も兼ねていたらしいそこは、天井が黄ばんでいて微妙にヤニ臭い。今は校内全面禁煙になり絶対に嗅ぐことのできない匂いがそこにはあった。

 同じく、微妙に黄ばんだパイプ椅子に腰かけて、僕と久留木阿左美、そして鹿野先生は今朝の出来事について話し合っていた。


 生徒指導室に入って正面にある机。

 扉から向かって右側に僕。左手側に、阿左美と鹿野先生だ。

 僕を詰問する格好の配置だが――いまや、声を荒げて話しているのは、風紀委員と生徒指導教諭の二人であった。


 窓から入ってくる、午後三時の熱された風が少し鬱陶しい。


「という訳で久留木くん、今回のことは不問と言うことで」


「いけません!!」


「雪下はもうすぐ受験も控えているんだ。成績も――可もなく不可もなくだ。泥を塗ってやりたくない」


「そういう隠蔽体質が周りの不信感を買うんです。分からないんですか、鹿野先生」


「分かる。けれども、一度罪を犯したら、その罪を一生背負わなくてはいけないというのは、行き過ぎた懲罰主義だと思うよ。現実社会には初犯者に対して情状酌量もあるし、執行猶予だってある。雪下は真面目な生徒だ、さっきだって、全面的に自分の否を認めて正直に詫びてきた。なら、それでもう贖罪は十分だと思う」


 ありがとうございますと喉を抜けそうになった言葉をひっこめる。

 ここで迂闊なことを言うと、せっかく出た無罪判決が水に流れる。

 僕は我慢して、パイプ椅子の縁を持った。ひんやりとした冷たさが指先に伝わり、少しだけ気分が引き締まった。


 そんな僕とは違い、阿佐美は立ち上がり、鹿野先生を上から睨みつけた。


「甘い!! 先生は甘いです!! 罪には罰を!! 法による裁きを!! この国は法治国家なんですよ!!」


「それは言われなくても分かっているよ、久留木くん。僕は社会科教師だ」


「だったら」


「けれどもだからこそ、人の心が入り込む余地があると僕は思う。テレビで毎朝見る処刑人サンソンじゃないんだ。あんな風に、なんでもかんでも処罰してしまおうという思想の方が、僕はどうかと思うよ」


「……処刑人サンソン!!」


 久留木阿佐美の顔色が突然変わった。

 それは、鹿野先生の口から件の処刑人バケモノの名前が出た瞬間のことだった。それまで、静かに瞳の中に燻っていた感情が、堰を切ったように顔に溢れかえり、愛らしい顔を見るに堪えない渋面へと変えていた。


 殺意が、その顔には満ちていた。

 何に対する殺意。

 まさか――処刑人サンソンに対してだろうか。


 どうして。

 彼は人類の味方だろう。


 その睨んだ相手を呪い殺すような彼女の表情に驚いたのは僕だけではなかった。鹿野先生も目を剥いて、それから何かを得心したように頷いた。


「そうだったね、すまない。処刑人サンソン――いや、断罪者バケモノについて君の前で語るのは、ちょっと配慮が足りなかったよ。すまない、許してくれ」


「……いえ、大丈夫です。それと、もう、分かりました」


 机の上を滑らせて、没収した生徒手帳を僕に渡す久留木。

 それから、変わらない憤怒の表情をこちらに向けて、彼女は言った。


「……けど、あきらめませんから」


 怒りもそうだが、阿佐美が何もわかっていないことだけははっきり分かった。


◇ ◇ ◇ ◇


 余計な尋問を受けたせいで、すっかりとスケジュールが狂ってしまった。

 家に帰った僕は、すぐに鞄だけを玄関に放り込むと、二ケツ用の後部座席がついた自転車に跨って急いで家を出た。


 朝の原付とそう変わらない速度。

 ママチャリでも頑張ればこれくらい出せる。なら、自転車で通学するんだったと、そんなことを改めて思った。自分の判断力の甘さというか、話に流されやすい体質には、ほんと呆れてくる。


 それと同時に――。


「走ってついてきてるよ。なに、あの娘。元陸上部員とかなのかな」


 周りに必要以上に気を配ってしまう、自分の神経質さが嫌になってくる。

 ハンドルに取り付けられたバックミラー。それ越しに背後に見えるのは間違いなく――隠れることなくフルスプリントで駆けてくる久留木阿佐美であった。


 あきらめませんから。


 何をあきらめないのかと思えばこういうことだ。

 彼女は生徒指導室を出たそのあとすぐに、僕のストーキングを開始した。


 初犯だから裁けないのならば、再犯させればいい。


 おおかたそんなことを考えているのだろう。

 彼女は僕の些細な犯罪を見つけ出して再度生徒指導室に呼び込もうと考えているらしかった。なるほど、なんとも面倒な正義感である。


 どっちが犯罪者なんだという気分だ。

 これ、僕が訴えたら立派に勝てる事案だよね。


 そう思いつつ、弱みを見せないように左側通行。少しだけ遠回りをして、僕は光太のいる幼稚園――その隣にある小学校と合同の学童保育所に到着した。


 誰も止める者のいない駐輪場に自転車を止めて鍵をかける。

 正門に回る前に、ちらりと背後を確認すると――細い電柱の陰に隠れる阿佐美の姿が見えた。僕が振り返ったのに、慌てて電柱の陰に半身になって隠れる。


 全力疾走しておいてそういうことをするかね。


「……変な娘」


 素直な感想だった。


「すみません、雪下光太の兄ですけど」


「あっ、はーい。光太くん、お兄さんが迎えに来てくれたわよー」


 一人でお絵かきをしていた光太は、学童保育のボランティアさんの声にすぐさま頭を上げた。たぶん、学童保育に預けられる子供というのは、そういうものなのだろう。同じように顔を上げた子が何人かいた。

 迷わず、学童保育施設の入り口を見た彼は、描いていたお絵かきの紙を折りたたむと、こちらに向かって駆けて来る。


 あーちゃん、と、間延びした声。

 ぴょんと跳ねて僕の胸に飛び乗ってきた光太を、なんとか僕は受け止めた。

 帰宅部員にはちょっとつらいお出迎えである。正直、光太がやせっぽっちで助かっているが、なにぶん成長期だ。いつまで受け止めてあげられるか自信はない。


 そんな僕たち兄弟のやり取りを見て、学童保育のボランティアさんが笑う。

 バレッタで髪をまとめて結い上げている彼女。歳の頃は宗介兄さんと変わらないんじゃないだろうか。どうしてこんなボランティアをしているのか分からないが、こなれた感じからいろいろ事情があることは察せられた。


 彼女は、またね光太くんと手を振って、僕たちを玄関から送り出してくれた。


 どうせまた自転車の後ろ籠に乗せなければならない。

 抱っこしたまま、僕は駐輪場へと向かう。


 楽しそうに光太がにひひと笑った。

 上機嫌だ。何か、いいことでもあったのだろうか。


「今日は何して遊んでたの光太」


「おえかきー」


「おえかき? 友達とは遊ばなかったの?」


「あそんだー。けど、おえかきがたのしかったー」


「そっか」


 人見知りの気があるのかな。家族の前では天真爛漫だが、幼稚園や学童保育での様子を知らない僕には、光太が他の同年代の子とどういう関係を築いているのかよく知らない。もし、孤立しているのだとしたら、それは問題だ。


 今度、それとなく志保さんや、さっきのボランティアのお姉さんに聞いてみようか。


「よくかけたからねー、そーちゃんにあげるのー」


「そっか。きっと、宗介兄さんも喜ぶと思うよ」


「うん!!」


 宗介兄さんの似顔絵だろうか。

 なんにしても上機嫌なのは結構なことだ。


 このくらいの年頃の子は、何かにつけていやだいやだとぐずるものだが、光太はそういう所が少しもない。反抗期がないというのはかえってよくないとは聞いたことがあるが、正直、それに対応する余力のない我が四兄弟の現状では、彼の聞き分けのよさはとても助かっていた。


「あーちゃんは、このあと、おかいものー?」


「そう。本当は、お迎えに来る前に済ましたかったんだけれど」


「なにかあったのー?」


「まぁいろいろとね」


 それより、光太、お留守番できる。

 僕は幼い弟とに問うた。


 できないと言えば、また踵を返して学童保育に預けるのだけれど――。


「できうー!!」


「そっか」


 光太は両手を振り上げて言った。

 ついでに、その振り上げた手が僕の顎を打ったけ。

 幼稚園児のパンチだ、たいしたことはない。けれど、ちょっと元気が良すぎるかなと僕は弟の将来のことが心配になった。


 やっぱり躾というか、一般的な社会常識を身につけさせてあげた方がいいんじゃないだろうか。今度、宗介兄さんに、そのについて相談してみよう。


 僕は自転車の後部座席に光太を座らせる。

 それから――いつもはつけないヘルメットを彼の頭にかぶせて自転車のカギを解除した。


 相変わらず、電柱から正義に燃える少女の視線はこちらに飛んでいた。


「いつまでついてくるつもりかな」


「あーちゃん?」


「なんでもないよ。独り言だから、気にしないで」


◇ ◇ ◇ ◇


 光太を家に連れ帰り、テレビを付けてソファーに座らせる。


 ちょうど光太が好きな処刑人サンソンの特集番組がやっていた。

 気持ち悪いとか、悪趣味だとか、矛盾しているだとか、彼のマスコミの扱いについて散々なことを言っておいて頼るのもなんだが、光太がこれを見ていてくれれば大人しくなるのは間違いない。

 助けに船だった。


「サッソン!! サッソン出てる!!」


「出てるね光太」


 今朝見たのとはまた別の映像だった。

 ミミズあるいはゴカイを人型に大きくしたような、節くれだった触手の断罪人バケモノ。いくつもの腕を持つそいつが、息を吐く間もなく繰り出してくる鞭のような打撃攻撃。それを躱しながら、処刑人サンソンが地を蹴って大きく跳躍した。


 振りぬいた黒い外骨格を纏った処刑人バケモノの腕から、何本もの針が射出される。頭上から浴びせかけられた黒い鉄杭に貫かれて、触手の断罪人バケモノはその幾つもある腕を封じられてしまった。


 そのまま、いつものように、処刑人サンソンは断罪人の顎を掴む。


「断罪の時だ。懺悔があるなら聞こう」


 そのキメ台詞と共に、映像は切り替わり、気さとは違う昼映えのするコメンテーターが画面に映し出された。

 つまらなさそうに唇を尖らせる光太。

 その横で、僕はスーパーに向かう準備をする。


「いやー、強いですね処刑人サンソン。頼りになります。しかしいったい何者なんでしょうか」


断罪人バケモノたちの死に際の台詞から、どうやら元は彼らの仲間だったようですね。いやはや、それがどうして人類の味方に寝返ってくれたのか」


「なんにしても頼もしい限りです」


 そんなに全面的に処刑人バケモノを信頼していいのだろうか。

 同じ断罪人バケモノなのだろう。だったら、彼だって、他の断罪人バケモノを襲う傍らで、人間を襲っているのかもしれない。


 人間を守る正義の味方。

 そういう風に処刑人サンソンは装っているだけかもしれない。


 そもそも断罪人バケモノたちが、何故、人間を襲うのか。

 そこからして謎なのに――仲間だ敵だと言いあうことに意味があるのだろうか。


 結局、このテレビの中のコメンテーターたちは、バケモノたちのやり取りを、エンターテイメントとしてしか見ていないのだ。本当に性質タチが悪い。マスメディアとは、大衆の目を正しい方向に向けるために存在するんじゃないだろうか。

 なのに、こんな風に――盲目的に違う方向に話をすり替えるなんて。


 マスコミ批判なんてしても仕方ない。

 僕はリビングに置いてあった折り畳み式のエコバックが常備してある、黒いキャンバス地のショルダーバックを手にする。

 そして光太に、行ってきますと静かに言った。


 光太はこちらの様子に気がつかない。

 テレビはまだ、処刑人サンソン特集を続けてくれるらしい。


「しかし、処刑人サンソンも気になりますが、彼の登場より前に自衛隊を襲った、火炎男ヘクセの同行も気になりますね」


「陸上自衛隊の特殊作戦群の半数を殺害した断罪人バケモノ。まだ、処刑人サンソンと戦ってはいませんが、今後激突は避けられないでしょう」


「有識者の話では、火炎男ヘクセは周囲を一瞬で摂氏2000度まで燃焼させる特殊能力を持っているといいます。それに、勝てますかね処刑人サンソンは」


「勝ってくれます。いえ、きっと勝つ。なぜなら処刑人サンソンは人類の」


 聞いているだけで胸焼けのしてくる話だった。


 再び自転車に乗ってスーパーまで行こうと思っていたのだけれど――止めた。


「阿佐美ちゃん!! 出て来なよ!!」


 僕はショルダーバクを握りしめながら、久留木阿佐美が居る電柱に向かって声を張り上げた。彼女は、学童保育所からまた全力疾走した疲れが残っているのか、肩で息をしていたが――のっそりと電柱の陰からその姿を現した。


「ちゃんは要りません」


「うん、阿佐美」


「なれなれしいです」


「どうしろっていうのさ」


 ちゃんを付ければ怒って出てくるだろう。

 なんとなく、この娘が、知的な見た目に対して正義感に燃える直情タイプであることは察しがついていた。


 というか、そんな単純な頭をしてないと、自転車を走って追いかけるなんて馬鹿なことはしないでしょう。


 笑って彼女に近づく。

 逃げるかと思ったけれど、彼女はすんなりと僕が近づくのを許してくれた。


 さて。


「これから僕は近くのスーパーまで行こうと思うんだ」


「なるほど。そこで万引きをするんですね」


「しない」


「偽札を使うんですか」


「しないよ」


「じゃぁ、毒物を仕込んだお菓子でも置くんですか」


「君は考え方が極端だ。普通に買い物だよ」


 どうしても僕のことを犯罪者に仕立て上げたいらしい。

 それにしても、軽犯罪からどんどんと跳ね上がっていく罪の内容に、聞いていて背筋が凍りそうになった。もし本当に、仮にだけれども、そんなことをしてしまったら、僕はいったい懲役何年を喰らうことになるのだろう。


 流石に、未成年だからでは済まされないような気がした。


 阿佐美は相変わらず、頭一個分足りない位置から僕を見上げて睨んでいた。彼女の視線もまた相変わらずで僕を睨み殺そうという気負いがむんむんと伝わってきた。


 勘弁して欲しいなと、むずがゆくなって首の後ろに手をまわして襟首を掻いた。


 この真っ直ぐな視線に邪悪なものがないのはよく分かる。

 よく分かるのだけれど。


 それを向けられても、僕は君の期待に応える行動をすることはできないんだ。

 どうそれを納得して貰おうか。


 男は女に態度と行動で誠意を示すものらしい。

 どこぞの下半身に脳みそがついているバカ兄貴は、無茶苦茶やっても女性から受け入れられているので、どうも怪しい話だとは思うのだけれど。

 ここは僕が目の前の後輩に誠意を示す必要があるように思えた。


 その為には、納得するまで、その視線を受け続けるしかないんだろうな。


「こそこそと隠れてついてこられても気持ち悪いしさ、一緒に行かない?」


「行きません」


「行こうよ。どうせ後ろからついてくるんでしょう?」


「いやです」


「手元がよく見えた方が、僕が万引きしたときすぐ逮捕できるよ?」


「分かりました、行きましょう」


 ちょろいな。

 阿佐美はそう言うと僕の隣にぴとりと並んだ。視線はまだスーパーについていないというのに、僕の手に向けられている。


 どうしてこうも極端なのだろう。


 朝の摘発といい、生徒指導室でのやりとりといい、融通が利かない。

 面倒な女の子だな。


 きっと、こんなんじゃ、彼氏なんていないんだろう。

 僕が心配してどうなるものでもないけれど。


 ふと、そんなことを思った時だ。


「あぁ、ちょっと待って?」


「はい?」


「位置が逆」


 僕は阿佐美を道路の外側になるように場所を入れ替わった。

 別に雨も降っていないし、車どおりが多い場所でもないが、車道側を歩かせるのは男の子のすることじゃない。


 これでよし、そう言って微笑むと、阿佐美は一度だけ僕の手から視線をずらして、プラスチックフレームの眼鏡越しに僕の顔を覗き込んだ。


 顔は――思いのほか渋面だった。


「セクハラです」


「誤解だよ!!」


 万引きの前に違う内容で逮捕されることになりそうだ。この娘、隙だらけのようで、意外と隙がないな。こんなに間抜けなのに。


 あるいは僕が間抜けなのか。

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