第3節

 職場から家に帰り、喪服があったかクローゼットの中を探す。買ったかどうかさえも覚えていない。結局、いくら探しても見つからなかったので母の使っていた喪服を引っ張り出した。

 お葬式に出るのはいつ以来だろうと漠然と思う。

 今の社会は死なせてくれない。そんなことを朋花が前に言っていた。AIが人間のすべてを代替してあらゆる事故は限りなくゼロになり、病すら人類は克服しようとしている。さらにはオアシスの出現で死ぬことすら無くなりつつある、と。

 確かに人の死は無くなりつつある。そういう意味では彼女の自殺は何かしらの意味を持っているのだと思う。

 喪服に簡単な手入れをして、私はマンションのベランダに出た。お昼過ぎに帰って来たからか、どこからか料理の匂いがしていた。ベランダの柵にもたれ掛かると小さく軋む音がする。

 朋花が自殺した理由。

 そんな本人にしかわからない理由を考えてしまう。今さら知っても仕方が無いのに、なぜか気になっていた。

「まーちゃん、自殺する方法で人間が一番楽に死ねる死に方って何だと思う?」

 中学の時に彼女がそんなことを訊いてきた。

「死ぬのって全部一緒でしょ?」

「そんなことないよ。結構いろんな方法があって、実現可能かは別としてやり方次第で変わるもんだよ」

 彼女はどこか楽しそうな顔で続けた。

「例えば薬を使うとか、飛び降りとかも苦しみを基準にするのか、それとも死体の綺麗さを基準にするかとかで変わるよ」

「自殺する人ってそんなとこまで意識向くかな?」

「意識すると思うよ。だって、自殺は人間の行動の中で一番理性的な行動だもん」

 彼女ははっきりした声で言っていた。普段の声は大人しく、そのせいで余計印象に残っている。

「人間はどれだけ自殺したくても、生存しようとする本能が働く。どれだけ死を望んだって生きようとしちゃうんだよ。それを乗り越えるんだから」

 あの時の彼女はいったい何を伝えようとしたんだろう。結局、一番楽な死に方も覚えていない。それを言いたかっただけなのだろうか。ある程度歳を食った今では、理性的自殺もあれば、感情的というかどうしようもない自殺もあると知っている。彼女はどっちだったのだろう。

 何時間も柵にもたれかかっていたせいか、腕や腰が痛い。彼女の自殺を聞いて感傷的になっていると自分でも思った。私は彼女しか友達らしい友達はいなかったし、高校なんて環境もあるけどロクに人と喋らなかった。何か一言言ってくれればという怒りや不満、死んでしまったことへの悲しみとか、ありきたりな感情ですでに胸がいっぱいだった。でもそれ以上に、自殺研究に信じられないほど傾倒していた彼女はいったい何を自殺する方法の基準に置いたのか、このことばかりが頭を駆け巡っている。

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