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 そんな時に社会はどうしたかと言えば、オアシスの弾圧である。オアシスは絶対悪であり、殺人だとしたのである。大人はいつでも保守的である。ちなみに私が若者の流行に乗らなかったのも保守的だったからかもしれない。そうすると、昔から年寄りだったのかもしれない。

 オアシス弾圧を弾圧したのは生きることに疲れた若者が行ったことで、その若者のほとんどはオアシスにいる。そして私の知り合いも多数いる。どういう訳か、会ってくれない奴もいるが、それなりの人数の奴と会話することが出来ている。友人と直接会って馬鹿話が出来ないのは残念であるが、友人が疲れた顔で生きていると辛いものだ。特に好きな異性などがそうだった場合。そういう意味では本当に良かったのだろうし、いつかはその世界に行ってみたいと私は思っている。

 オアシス弾圧の弾圧に精を出していた私の親友は私にこう言った。

「オアシスが弾圧されてしまえば俺たちは俺たちである意味が無くなる」

 今思い返しても的外れ極まりないと思う。私たちは私たちであるし、オアシスがあろうが無かろうが私たちである意味などあまりない。ましてや、オアシスがお墨付きをくれる訳でも無い。要は生きる意味、私たちの意味が欲しかったのだ。そして、それを検討する機会を与えられた私たちは非常に幸運だった。答えなど出るはずもないが。

 今までぼんやり考えていたことをつらつら書いたが、逃げ場所があることの意義は非常に大きい。これだけは言いたい。戻ってこられないが、そんな恐怖すら凌駕してしまうことからは確実に逃げた方が良い。少なくとも逃げ道の提示はされるべきなのだ。オアシスが見せてくれることなどはオマケの暇つぶしであり、メインディッシュはこっちであると私は思っている。

 オアシスの本当の魅力は逃げ道の提示だと私は思っている。生きていたい奴は生きていればいい。死ぬことも対象だとすれば、オアシスは今後も維持されるのだろう。いつか私も向かうことに決めているが、快適かどうかだけが気がかりだ。もっとも、オアシスのモットーは「誰もが人に優しく、幸せな世界」というものらしく、殺人鬼などはどうなるのだろうかというくだらないことを考えたり、楽しそうであるとは思っている。

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