ある作家の思い

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 死が無くなった。オアシスが一気に広まった時、あらゆる人々が口をそろえて言った。人の死をついに克服したと。人の意識を摘出するというのは肉体を捨て去って生活するというSFみたいな話を現実化したと世間は捉えた。それは私も思ったし、私は今でもこのシステムについては肯定派であると言っておきたい。

 では、なぜおまえは意識摘出を行わずに偉そうにふんぞり返って文章を書いているのかと石を投げられそうであるが、それは仕方が無い。単純に怖いからしないのである。

 このシステムが発表された時、私はまだ大学を卒業したばかりであったが、世界は非常に荒れていた。世界中で戦争やテロ、貧困に自然災害とこの世の終わりのような有り様で、それは日本も例外ではなかった。世界的な紛争などで食糧事情が悪化していた。折しも世間全体が孤立化し、少子化もあって希望なんかまったくなかった。仕事は全自動化されて働かなくても済むはずなのに、機械を動かすエネルギーが無いというどうしようもなく間抜けな事態のせいで畑仕事をしていた。今そんなことになっていないのは自前のエネルギーがあるからであって、そのエネルギーが尽き果てれば、今この文章を読んでいる老若男女問わずすべての人が昔ながらの方法で農作業をし、平等に腰を痛めることになるだろう。

 とにかく、そんな時代であった。一緒に卒業した人間が隣で泥まみれになりながら作業しても何とも思わない時代である。異常なのかほのぼのなのかわからないが、そんな時代に突然現れたシステムである。一番最初に飛びついたのは私と同じ世代だった。もともと、今もあるオアシスのコミュニティが広く浸透しており、そこから一気にオアシスの意識摘出は広まって行った。

 あの時代に生きるのは難しかった。おそらく世界的に見ればかなり治安も安定し、生活は快適ではなくてもそこそこのものだったはずだ。その証拠に、こんなボンクラ作家が大学を出て、こうやって雑誌に文章を書き散らすまで生きることが出来ているのだから。それでも我々の世代は憤っていた。自分の親世代が昔はもっと良かったと言い出すたびに、なぜ私たちの世代は違うのだと大いに憤ったものである。だからこそ、オアシスの意識摘出を受けたのだ。責任の割に見返りが少なすぎることに抗議したのだ。

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