ある研究者の思い

第1節

「例えば目の前に人が倒れていたとする。この場合、まず間違いなく社会的に褒められる行動は何か」

「駆け寄って声を掛け、場合によっては救急車を呼ぶ、ですかね。まあ、倒れているので無条件に救急車を呼んで当然なのかもしれませんが」

 真顔でこんな話を何十分もしているのだから、俺と先輩は少々欠陥があるのかもしれない。そんなことを考えながら、俺はまだ馬鹿話に興じていた。

「そういうことだ。テクノロジーがいくら発達したって、このことは何十年も前から変わらない。人が人に対してこういう場合に抱く感情も。社会的に褒められる行動ってのは結局、当然のことってことなんだろうよ。そしてその当然は、意外と認識されてなかったりするし、当然のことだから、褒められるかもわからんな」

 先輩はそう言うと目の前のコーヒーを一気に飲んだ。

「でも人が周りに大勢いる場合、誰かが助けるだろうって放っておかれるケースもありますよね。傍観者効果って言うらしいですけど」

「確かにそんなのがあるな。その場合は確かに称賛されるかもしれない。でも、その傍観者効果の原因は、お前が言ったように人任せ故だ。もちろん、周りが動いていないからだとか、何を言われるかわからないとかってのもあるがな。いずれにしろ、人任せが大きな原因であることは間違いない。そんな時に出ても当然とも思われないだろうな。むしろ、現場にいない人間が聞けば遅いというかもしれない」

 俺は小さくため息をついた。

「先輩ってなんでこんな仕事してるんですか。見た目はもちろん、話せば話すほどこの仕事してる理由がわからないんですけど」

 目の前で今飲み干して空になった紙コップを握りつぶしながら豪快に笑う先輩。見た目はゴリラみたいに大きな体格で刈り上げの頭。誰がみても体育会系なのに今まで運動をしたことが無いという。どこまで本当かわからないが、本人が主張するのならそうなのだろう。しかもこの研究所で最も優秀な研究者とさえ言われている。

「あ?別にどうだっていいだろ。その質問はオアシスに意識を移す奴にどうしてだ?って訊くようなもんだぜ」

 そう言ってまた笑う。この人は意外と細やかで知的だ。

「お、もう時間だ。昼休みは終わり。さっきの研究についてのデータ処理はそろそろ終わった頃だろ」

 そう言って立ち上がりさっさと行ってしまった。こんな風にこの話はいつもうやむやになる。

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