ポラリスと万華鏡

にほんしゅ

手紙

お久しぶりです。

 前略

 お久しぶりです。生まれて初めて紙に手紙を書きました。昔から手紙を書く時の作法があるようですが、便箋や万年筆を手にしたのすら初めてなもので、無礼をお許しいただけたらと思います。何よりも郵便システムがまだ残ってること自体知らなかった世間知らずですので。

 さて、今回先生に手紙を出したのはお別れの挨拶でございます。決して遺書ではありませんので誤解しないでください。

 しかし、ある意味では遺書なのかもしれません。どういう意味かと申しますと、私は肉体を捨てることに決めました。流行りの「意識摘出プログラム手術」を私も受けることにしました。わたしの意識は「オアシス」にのみ今後は存在し、システムがある限り生き続けることになりました。

 もちろん、最初は大いに悩みましたが、「オアシス」にいる間だけ、私は私であったように思うのです。仮想世界に逃げているだけ、と先生は仰るかもしれませんが、現実世界に私は疲れてしまいました。AIがいくらでも仕事を肩代わりしてくれ、私の存在意義そのものが機械やAIよりも下になってしまった気がしてしまうのです。先生が私くらいの年齢だった頃のことは、先生の下で研究していた時にある程度学んだつもりです。その時に比べたらどれだけ素晴らしい世界なのかもわかっているつもりです。

 ただ、それはあくまで相対的な問題なのです。私と先生の価値観は当然違いますし、私の精神的限界は私が一番わかっています。なので、私は特に後悔をしていませんし、明日には私の意識は「オアシス」に入っています。

 以前、忘年会の席で先生が仰った話が今になってどういう訳か印象深いのです。それは、「私が生まれたころは地獄だった。そして、今日生まれた子も何十年後かに私と同じことを言えば、私たちの役目の9割は達成したも同然だ」という言葉です。お酒のせいか、珍しく饒舌に話されていたので覚えているのですが、どういう訳か印象深いのです。この言葉の解釈はたくさんあると思うのです。普通は前向きに捉えるべきことです。特に先生は歴史学者という立場もありますから。しかし、私にはまったく違う意味があるように思えてならないのです。

 ですが、もうどうでも良いことです。先生が手紙を読んでいる頃にはすべて終わっています。身の回りの整理も終わりました。先生がお嫌でなければ、「オアシス」に来てくださいますと嬉しい限りです。私は不義理者かもしれませんが。

 短い文章かつ、弁明しかありませんが、これでご挨拶とさせていただきたいです。今までありがとうございました。

                                 敬具

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