第6章 長月
最終話 変わらぬ日々
「今日も暑いですねえ」
暦では9月となり、新しい季節がやって来ました。とはいえ今日も真夏と変わらぬ太陽がじりじりとこの社を照らしています。いつになったら気温が下がって過ごしやすい“秋”という季節になってくれるのでしょうか。羽根も巫女服も暑くて仕様がないので、夏は苦手な季節になりました。いくらミコト様の加護の御力があって体調を崩さなくても、じりじりと日差しに焼かれるのはごめんです。
またいつもの通り拝殿の賽銭箱の裏の空いた空間に座り、ぽつりと独り言を漏らしていると、背後から声をかけられました。いつの間にそこにいたのでしょう、少しびっくりしてしまいました。
「今年は酷暑が続いているからね。そろそろ落ち着いてほしいけど」
振り返ると涼さまが箒を片手に、優しい眼差しで見下ろしておりました。今日は予定に余裕があるのか、そのまま私の隣に静かに腰を下ろしました。
「いつまでこの暑さは続くのですか」
「どうだろうねえ、来月まで暑い年もあるよ」
「それは困ります」
しばらくそうして遠くを見詰めながら言葉を交わしておりました。なんてことはないありふれた挨拶程度の内容でしたが、涼さまとお話しをすると心が落ち着くようです。
「そういえばさ、神使様」
「なんでしょう」
「気を悪くしないで欲しいんだけども……」
「悪くなんてしませんよ」
口ごもる涼さまは、ばつの悪そうな、それでいて少し照れている表情をしておりました。私は首を傾げます。
「昔を思い出して、あなたは先代の神使様に似ていると思った」
「先代の……?」
「雰囲気とか、真面目な所とか。まあ、言われてもなんだよって話だけどね」
「そんなことありませんよ」
先日、涼さまが先代たちのお墓を掃除していたのはきっとその方のためだったのではないかと、ふと思いました。しかし、それを探るのは野暮なことなのでやめましょう。
長い間見詰め合っていたせいか照れ臭い。どちらともなく笑った所で、人の気配がしました。
鳥居をくぐる
そんなことを考えていると、月冴さまは私たちの目の前に仁王立ちして見下ろして来ました。この暑さでも涼しい顔をしています。
「楽しそうね。
「学校はもう終わりかい? 早いね」
「今日は始業式。……神使様とお話し出来ないの、私だけになっちゃったわ」
多少は大人びて見えるものの、月冴さまはまだまだ子供っぽい所があります。頬を目一杯膨らませて、私と涼さまを交互に睨み付けました。
「着替えてくる」
「そうかい」
短くそう告げると、足早にどこかへと去ってしまいました。
「あの……」
「ん? ああ、気にすることはないんじゃないかな。早く神使様と遊びたいだけでしょ」
「不機嫌だったように見えますが……」
涼さまは何も言わずにくすくすと笑うだけでした。意味が分からず首をかしげていると、また誰かの足音がします。今日はよく皆が私たちをかまう日のようです。
「涼がヒマしてんのは珍しいなあ」
「お疲れ。玲も座ったら?」
「……雪でも降るんじゃねえだろな」
「玲さま、雪が降るのは冬ですよ」
「
玲さまが可笑しそうに肩を震わせながら私の隣に腰を掛けました。これは絶対馬鹿にされている笑いです。眉間にしわを寄せながら睨み付けると、さらに笑われてしまいました。
「怖くねえなあ」
「今に見ててくださいよ」
「そーしとく」
いつの間にか涼さままで笑っております。私は二人に挟まれて、行き場のない不満に頬を膨らませました。
「人が忙しい時に楽しそうじゃのう」
「ミコト様」
すぐ後ろで
「すげえ顔だな、今日は空いてるし仕事そんなねえだろ」
「お主は一度シメてやった方が良いかのう」
「玲は失礼だね。ミコト様だってそれ以外の仕事くらいあるだろうに。ねえ神使様?」
涼さまは気を遣ってミコト様をフォローしましたが、事情を知る私は何の弁解もできないまま苦笑いを続けておりました。涼さま、私の顔を覗き込むのはお止めください。
何かを察した玲さまはニヤニヤと私とミコト様を見比べるのでした。
「そうかそうか、それ以外の仕事なあ。もちろんあるよなあ」
「そ、そうじゃよ」
「そろそろ神無月だもんなあ。毎年溜め込んだ仕事をこなすのも大変だよなあ」
「え、ミコト様……毎年なのですか?」
これ以上は神の威厳が、とかなんとかぶつぶつ呟きながら目を反らしてしまいました。玲さまは勝ち誇ったような顔で見下ろしております。
涼さまが首をかしげているので説明をすることにします。咳払いを一つ。
「ほら、ミコト様は一応縁結びの神なので。神無月での神の定例会議で一年のノルマが決められているそうなのですよ」
「……ああ、なるほどね。十月と言えば出雲か。それまでにこなさなきゃいけないんだね」
「毎度計画性がねえよなあ。夏休み終わり間際の小学生かよ」
「……っ! お主ら、ひそひそ話のつもりじゃろうが全部聞こえておるからな」
「あ、やべ」
これ以上ミコト様を怒らせてしまったらどうなることか。私たちは急いでその場を離れました。少しして振り返り様子を伺います。ミコト様は怨めしそうに私たちを睨んだまま、そっと拝殿の奥へと戻ってしまいました。
ぱたりと静かに扉が閉まる音が響き、中から小さく物音がするだけです。もうお役目に集中しているようでした。
「ミコト様をからかうのはお止めください」
「んだよ、神使サマだってノッてただろ」
それは、と口ごもると得意気な笑み。私のことまでからかおうとしているようです。油断なりません。
「この神社も平和になったねえ」
私が身構えるのと同時に、逆に涼さまが力の抜けた声でしみじみと呟き、ため息をつきました。空回って思わずよろけた所を、玲さまが私の腕を掴んで支えてくれます。
茶化しは終わりなのか、玲さまも気の抜けた声を漏らしました。
「そーだな」
「以前は平和ではなかったのですか?」
まあそんなことはないけどさ、と涼さまが続けます。
「でも、俺たちが来る前はもっと寂しい所だったんだ」
「神サマもあんな元気じゃなかったしな」
「ほう……それではお二人のおかげなのですかね」
「それはどうかなあ」
実際に、お二人はこの社を照らす柔らかな光だと思います。そんなことを言ったら笑われそうなので言いませんが。
私もお二人がいてくれて良かったと心から思います。そして、この日々がずっと続いてくれたら、これ以上の僥倖はありません。
「ちょっと涼兄、ちゃんと先月棚卸したの? 黄色のお守りなくなりそうよ」
「ああ、入れ替えるからいいんだよ。秋仕様にしようと思って」
月冴さまが巫女服をまとって戻ってきたようです。肩に飛び乗ってあげると、少し微笑んでもらえました。
「ほら、前に月冴が考えてたデザインあったでしょ」
「えっ」
「感謝しろよ、俺の案だからな。予算に余裕あったし」
「……デザイン料を貰っていないわ」
「はあ!?」
「それもそうだね」
「月冴さまは素直ではないですねえ。嬉しいなら喜んだ方が良いと思うのですが」
かつて真剣にお守りのデザインを考えていた月冴さまの横顔を思い出します。私は顔は嬉しそうなのに憎まれ口ばかり叩く月冴さまを微笑ましく見ながら、三人の掛け合いを楽しみました。
……ざあざあと木の葉が風で揺れています。九月の風はまだ温く、木々も青々としています。
秋はもうすぐでしょうか。
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