2話 それから


 目を覚ますと本殿の天井が見えました。はて、私は一体どうしていたのでしょう。涼さまが危ないとあやかしの前に勇んで飛び出していったことまでは覚えているのですが、それ以降の出来事がまったく思い出せません。

 まさか、すべてが夢だったのでしょうか。


「起きたみたいだね」


 声がした方へ顔を向けると、すぐそばで正座をした涼さまが私を見下ろして微笑んでおりました。まだ視界が少しぼやけたままです。頭がくらくらしていますが、私は腕に力を入れて起き上がりました。


「三日も眠っていたんだよ、神使様。そろそろ不安になってきたところだった」

「す、すみません」


 どうやら私はミコト様に体を貸していたそうで、疲労からそのまま眠り続けていたようでした。まだ体が浮いているような妙な感覚がします。それもそのせいなのでしょうか。


「あれから、どうなったのですか。無事で何よりですが……」

「そうだ、まずはそこからだね」


 それから涼さまが細かく教えてくださいました。あの後ミコト様が何をされたのか、あやかしはどうなったのか、どうしてこうなってしまったのか。あのあやかしは“祟り神”と呼ばれる存在だったことには驚きましたが、言われてみれば納得です。あの形相は今でも鮮明に思い出すことができます。あのような存在と和解できたミコト様はやはりすごい方ですね。

 私は次々と流れる情報を整理するように、長く息を吐きました。


「お疲れ様です、大変でしたね」

「俺は何も出来なかったけどね」


 ああ、これで平和な日々が戻ってきた。安心した私は再び眼を閉じて深呼吸をしました。


「ごめんね、神使様。ずっと嘘をついていて」

「私には涼さまを責める理由はありませんよ」

「ううん、違うんだ。最初から、ずっとだったんだよ」


 そう言って目を反らす涼さまに私は首を傾げます。最初からとはどういう意味なのでしょうか、考えてみても私には分かりません。


「忘れてなんかいなかった。昔はこうして力があったこと、あの祟り神のこと。忘れられるはずもなかったのに、俺は過去を忘れたふりをしていたんだ。

 ……玲が忘れていたから、俺は過去を無かったことにしてしまったんだ」

「玲さまが?」

「そう。だから今回のことはむしろ良かったんじゃないかなって思うんだ。皆には迷惑をかけてしまったけれど。だから、」


 涼さまは頷きながら早口で言葉を吐きました。息継ぎもしていなかったように感じます。


「だから、ごめんね神使様」


 そう言って笑う涼さまに違和感がして、まじまじと観察しました。なぜだか、少し強張っているように思えたのです。しばらくして、涼さまの右の頬がわずかに腫れて赤くなっているのを見つけました。

 私がどんどん前のめりになっていくので、その反対に玲さまは後ずさります。


「えっと、どうしたの神使様」

「頬が腫れているように見えるのですが……その祟り神の仕業ですか」

「ああ、これは違うよ」


 苦笑いするその顔も歪んでいます。見るからに痛そうな跡に私は思わず眉間のシワが深まってしまいました。見れば見るほど赤い跡です。

 その後、私は衝撃的な一言を耳にするのでした。


「ちょっと玲に平手打ちされちゃって」



 ***



「玲さま!! 貴方という人は!!」

「うおっ! なんだよ」


 本殿を飛び出してすぐに玲さまを見つけました。もう今度という今度は! 私は思わず飛びかかります。とはいえかなりの体格差があるので、玲さまは微動だにしませんでしたが。

 私が玲さまの肩に力の限りしがみつくと、やる気のなさそうな声で「ぐえ」と白旗を挙げるのが聞こえました。


「やめてくれ神使サマ。息苦しい」

「やめません! 涼さまの顔に傷ができたらどうするのですか」

「お、俺は窒息死しても良いのかよ!」


 やんややんやと騒ぎ散らしてしまいましたが、すぐに涼さまが来て私たちを諌めるように引き剥がしました。私は大人しく涼さまに従い、彼の肩の上へと移動します。

 なぜだか涼さまには逆らえない、そんな無言の圧力のようなものがあると思うのは私だけでしょうか。玲さまもそうだったらしく、今は俯いて頭を掻いております。


「良いんだよ神使様。むしろ少しスッキリしてるんだ」

「俺はスッキリしねえけどな」


 そう言って口を尖らせる玲さまはまるで駄々をこねている子供のようで、思わず口許が緩んでしまいました。した。やはり玲さまは直情的ですが、どこか憎めないのも彼らしいところです。その感情には裏表も計算もないからでしょうか。私はそう思います。


「結局涼の一人相撲だったんじゃねえか」

「返す言葉もないよ」

「もう、余計な気ィ遣ったりすんなよ」

「そうする」


 もうお二人の間では、すでに衝突も和解も終わっているようでした。ならば、私の出る幕はありません。


「お主らここにおったのか、探したぞ」


 すると遠くの方からミコト様がやって来るのが見えました。ひらひらと手を振りながら近づいてきます。なにやら上機嫌のご様子で。


「ゴリョウ殿もお気に召したようじゃぞ」

「ゴリョウ殿?」

「あの祟り神じゃよ。ほれ、皆も来い」

「ええ!?」

「そっか、神使サマは知らなかったんだっけな」


 私はそこで初めて新しく神様がおいでになったことを知りました。てっきり和解して去ったものだと思っておりましたので、これから毎日顔を合わせるかと思うと少し背筋が冷たくなりました。

 確かに、以前ミコト様は拝殿の隣の摂社せっしゃに誰もいなくて寂しいと仰っておりましたが、まさかこんなことになろうとは。

 私達が摂社に着くと、誰かの後ろ姿が見えました。おそらく摂社の主本人なのでしょうが、綺麗に結わえた髪に神装束姿はまるで別人のようです。あんなに恐ろしいと思っていた雰囲気はどこにもありませんでした。堂々と胸を張って立っている様子は、こちらが本来の姿だったことを物語っています。


「宗治のおかげじゃなあ。祟り神は祀り方さえきちんとしておれば決して恐ろしい存在ではないのじゃ」

「摂社で良かったんか? 本当に」

「本人がそう言っておるから問題ないじゃろ」

「適当だなあ」


 よく見れば摂社の雰囲気もどこか違うように見えます。宗治さまが彼女用に変えたのでしょうか。それとも、主が変わったことによってそう見えるだけなのでしょうか。いずれにせよ、元の姿があまり思い出せないので考えるだけ無駄な気がします。これまで風景の一部として存在していた摂社が、今は意思を持ち、地に足をついて存在しているようでした。

 しばらく私達がぼうっと彼女を眺めていると、さすがに視線に気づいたのかくるりとこちらを振り向きました。その表情も柔らかく、ミコト様のような神の風格がありました。


「詫びと、礼をしなけれぱならない」


 彼女はゆっくりとした口調で、しかしはっきりと言いました。


「悪戯に恐怖を植え付けてしまったこと、私に再び生を与えてくれたこと」


 ひとつひとつ言葉を確かめるような言い方は、まだ“話す”ということに慣れていないような印象を受けます。長い間、独りであの山にいたことを考えるとその口調も理解できるような気がします。


「これからは私も、再び人に寄り添って生きてゆこう」

「よろしくお願いいたします」


 にこやかに笑う涼さまを見て、彼女が安堵した笑いを浮かべたのが見えました。


「あの、すみません」

「どうした」

「御名前は……ゴリョウ様でよろしいのですか?」

「ああ、構わない。この神も“ミコト”と名乗っているのだろう?」

「まあ、私がそうお呼びしているだけですが……」

「ならば、それと似たようなものだ。私のこともそう呼ぶと良い」

「はい」


 優しい風が私たちの髪を揺らしながら通り抜けて行きました。それは新しい日々が始まる予感のように思います。これからの日々が平和で安らかなものになることを祈りながら、私は静かに目を閉じました。


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