1-5話 幼き日

 【とある過去の話】


 それは今から十年以上も前のこと。あるところに、幼い双子の兄弟がいた。代々続く神社の宮司の孫であった。

 その家系は代々人ならざる者“あやかし”が見え、神と対話ができる特殊な力を持っていた。双子の父もそうであったが、人ならざる者に怯えるあまり家業を継がずに家を飛び出してしまう。その先で家庭を築く。やがて時が経つ内にその不思議な力は失われてしまったという。


 最初に双子の兄に兆候が見られた。

 幼いながらも何かを悟ったような表情を浮かべながら、あらぬ方向に向かって何かと対話していた。ある時は何もないところでつまずいて転んだり、何か見えない大きなものを避けながら道を歩いていたりしていた。

 父はかつての自分自身と重ねながら、しかし認めたくない一心で見て見ぬふりをしてしまった。

 ……それがさらなる不運を招くとも知らずに。


「だれかが、ぼくを呼んでいる」


 ある日、双子の兄がそう繰り返し呟いた。父が何度も「気のせいだ」と諭しても兄は憔悴しきった目で見上げてくるのみだった。

 やがて一日中落ち着きなく辺りを見回していたり、夜も充分に眠れなくなったらしい。幼い子供が大きな目の下に隈をこしらえているのである。父は居ても立ってもいられなくなり、とうとう双子を連れてあの神社に助けを求めに行った。

 派手な親子喧嘩をして勘当されたあの日から一度も会っていない父親、つまり双子の祖父の元へ。

 祖父はその日も変わらず神職を勤めていた。静かな神社の境内で、しゃんと伸びた背筋に厳かで優美な動作。その姿は双子の眼に強烈な印象を残した。



 ***



「幼子のくせにずいぶん疲れた顔をしておるのう」


 お父さんが神主さんとどこかに消えてしまってすぐ、ぼくはに声をかけられた。玲は遠くのほうで木の枝を振り回して遊んでいる。ぼくは玲に気づかれないようちいさな声で返事をした。


「あなたはだれ?」

「おお、すまんすまん。名乗るのを忘れておったな」


 見上げるとそこにはきれいな女の人が立っていた。長い黒髪はお日さまに照らされてキラキラと輝いている。気さくで人のいい笑顔を向けられているのに、ぼくは不安になって後ずさりをした。

 ……この人は、人間じゃない。


「わらわはここで神様をしておるのじゃ」

「かみさま?」

「さよう。あっちおるのはわらわの神使じゃよ」


 わるいやつではなかったようだ。ぼくは強張っていた体から力を抜いて、神さまが指をさす方向を見つめた。少し離れた神社の建物にある、賽銭箱の横に女の子がちょこんと座っていた。ぼくと同じくらいの年の見た目の彼女は、それにこたえて軽くおじぎをした。なのでぼくも同じようにする。


「可哀想にのう。人には見えぬはずのものが見えて、つらい思いをしているとみた」

「……どうして」

「わらわはずうっと人と共に暮らしてきたゆえ、なんとなく分かってしまうのじゃよ」


 そうなのか。どうやらこの神さまはなんでも分かってしまうらしい。ぼくが感心していると、ふわりと背後で風が動く気配がした。


「ただのお節介です」

「わああっ!」


 とつぜん耳元で声がしたので、おどろいて大声を上げてしまった。振り返ると先ほどの女の子が目の前にいた。

 ここからけっこう距離があったはずだ。この女の子はほかのやつらと違って生気があったので気付かなかったが、どうやら人ではなかったらしい。


「ところであなた、ここへ一緒に来た男の人は父親ですか」

「は、はい」

「やはり……」


 そう呟いて女の子はうつむいて何かを考え始めたようだった。会話しているのは女の子なのに、まるで大人の人と話しているようだった。それほどにとても落ち着いた声だったのだ。

 どうやら見た目通りの年齢ではないらしい。


「良かったですねミコト様。血筋は絶えていないようですよ」

「まあまあ今は良いじゃろう。それより、」


 ぼくはわけが分からず首を傾げる。すると二人はくすくすと笑った。


「お主の悩み、わらわに話してみないか。力になれるやもしれんぞ」

「お節介はいつもの事で趣味なので、遠慮せず話してみてください」

「お主、最近厳しくないか?」

「気のせいです!」


 この人たちならなんとかしてくれるかもしれない。そんなことを初めて思うほどに頼もしかった。普通ならぼくの言葉を信じないだけではなく、気味悪がって避けられてしまう。「話してみて」なんて言われたのも初めてだった。

 まあ、人間ではないのだから当たり前か。少しがっかりしたが気を取り直し、ぼくは山で会ったおそろしいものの話をした。彼女たちは真剣に話を聞いてくれた。


「なるほどな」

「目が合っただけでそれとは、相当執着されていますね」

「しかし呪いの印はないようじゃぞ。約束も契約もしておらぬなら引き離すのは簡単じゃの。お主、ここに来てその声はまだ聞こえておるか?」

「あ、ううん。聞こえてない」

「ある程度距離を置けばいいのか、ミコト様の結界内では手が出せないのか……」

「こんなさびれた神社の鳥居もくぐれんとは大したことないのう」

「自虐はおやめください」


 一通り話を聞き終えた彼女たちはしばらく話し合っていた。ぼくは口を挟まず大人しく結論が出るまで待つことにする。ときどき投げられる質問にはきちんと答えながら、見守った。

 しばらくして話し合いが落ち着いたようで、二人がそろってぼくのことを見た。


「おそらく、お主が“見てしまったから”執着しておるのじゃなあ。それほどに、人が人でないものを見るということは珍しいことなのじゃよ」

「そんな」

「その上お主が呼びかけに反応するから余計じゃなあ。今まで孤立していたのじゃろ。反応してくれるだけでも嬉しいとみた」

「どうすれば」

「そう、だからこそ今後は無反応を貫くのですよ。目もくれず、耳も貸さない。そうすれば、そのあやかしはあきらめてくれると思いますよ」

「そんなこと言われても……」

「わらわの力がおとろえておらねば祓ってやることも、言いくるめて大人しくさせることもできるのじゃが……すまんのう」


 神さまは悲しそうに眉をゆがめてほほえんだ。神さまって万能だと思っていたのだけど、どうやら違うらしい。


「どうしておとろえているの?」

「ここは参拝者きゃくじんも来ない寂れた神社じゃ。人に愛されず、忘れられるほど神は力を失くしてゆくのじゃよ。

 社の後継者もおらず、宗治……お主のじいさまも歳には勝てん。そろそろ潮時かもしれんのう」

「そんな……」

「弱音ばっかり吐かないでくださいよ」

「すまんすまん」


 女の子が神さまに悪態をつきながら軽く小突く。その仕草とは裏腹に、彼女は今にも泣きそうな表情をしていた。神さまはへらへらと笑った。


「しかし、こんな老いぼれでもお主のその力を何年か封印することくらいはできるぞ。永遠には無理じゃが、お主が大人になる日まで、な。そうすればお主はしばらくは怖いものが見えなくなって、聞こえなくなるじゃろうて」

「そっか……」

「どうじゃ?」


 今までこの力を持って良かった事なんて一つもなかった。ならば、答えは一つだ。うなずこうとしたその時だった。


「おい涼!」


 いつの間にか玲がすぐそばまで来ていたようで、ぼくの耳元で大きな声を出した。ぼくはびっくりして息が止まってしまい、我に返った時には盛大にむせこんでいた。


「また変なのとしゃべったな! 父さんが心配するぞ」

「ううう……」

「また変な声が呼んでんのかよ! ここまで追いかけて来たのか!」

「今はそいつじゃないんだ、だから」

「……なんとも頼もしいちんちくりんじゃのう」

「ミコト様、それは褒めていないです」


 玲に神さまたちは見えていない。しかし見えない何かからぼくを遠ざけようと木の枝をぶんぶんと振り回していた。


「れ、玲。大丈夫だから落ち着いて……」

「ったく! なんでいっつも涼ばっか!」

「玲ってば」

「おれの方が頑丈なのに! 涼はすぐ倒れるし、すぐビビるし! 神サマは不公平だ!」

「ちょっと玲、神社で神さまの悪口はやめてよ……」

「何度でも言ってやるね! おれの方がぜったいによかった!」


 ぼくはバチが当たるんじゃないかと思うと気が気じゃなかった。けれど玲はかまわずに叫び散らす。


「涼が苦しんでるのにおれはちっとも分かってやれない! 神サマがいるんならおれにもその力をくれってんだよ!」

「ええええ」


 ぼくは困ってしまっておろおろすることしかできない。玲がぼくのことを思っていてくれているのは分かる。けれど、そんな怒りをぶつけられてもどうしたらいいか分からない。

 そんな様子を見て神さまはくすくすと笑った。


「威勢が良いのう。もしやお主の兄弟か」

「双子の弟だよ」

「あ!?」


 ぼくが急に見えない何かと話したので、玲は固まってしまった。ぼくと同じ方向を見て正体を探ろうとしているけど、当然見えるはずもない。玲は首をかしげてぼくを見つめた。


「面白い。まだのようじゃが、その子供にもお主と同じ力が眠っておる。それも、お主以上の力が」

「えっ」

「放っておいてもいずれ目覚めるじゃろうが……あ、」


 途端に神さまは悪だくみをしているかのように怪しい笑顔を浮かべた。嫌な予感がする。


「その子に尋ねてみるがいい。今すぐにその力が欲しいかとな。望むなら、目覚めさせてやろうではないか」


 なんて答えたらいいかわからない。ぼくは迷ってしまった。神さまに「早く」と急かされてぼくの口は勝手に動く。

 だって、玲が力を手に入れたい理由は、


「おい涼、だいじょうぶかよ」

「えっとね。玲。もし神さまがその力をくれるって言ったら、どうする?」


 玲が力を手に入れたい理由は、ぼくのことを理解したいからなのだから。


「もちろん! 今すぐくれって言うね」

「おお! 度胸のあるやつは好きじゃぞ」

「……っ」


 ぼくは力を失いたいと思っているのに、これじゃ入れ違いじゃないか。

 これじゃあ、玲がぼくの身代わりになってしまったのと同じだ。そんなぼくの気も知らず、神さまは本当に楽しそうに笑った。




 それから、ぼくたちは神さまの妙な儀式を受けた。ぼくは力を封印され、玲は力を目覚めさせたらしい。というのも、一夜明けないといけないらしいのでまだ実感が湧かなかったのだ。そのあとぼくたちは神主さんに連れられて、その人の家の寝室に寝かされた。気が付けばもう空は真っ黒で、お星さまが輝いていた。

 これでぼくは助かったのだ。あの変なやつから呼ばれることももうなくなる。でも、玲は……


「ねえ玲」

「なんだよ」

「これからきっと、イヤなものがずっと見えるんだよ。どうして力がほしいなんて言ったの」

「おれはなあ、涼みたいにうじうじくよくよしないんだよ!」

「うっ」

「おれは頑丈だし、蹴散らせる。それに」


 玲はそこで一呼吸おいてから、ぼくを見つめて強く言い放った。


「おれ、ここの神主さん見て思ったんだ。この力は持ってなきゃいけない。なんか分かんないけど、そう思った」

「そっか」


 そこで初めてぼくはあることに気がついて、とてつもない寂しさにおそわれた。ぼくは力を失くしてしまった。それはつまり、もうあの神さまにも会えないということなのだ。あの飄々ひょうひょうとしているのにどこか寂しそうなほほえみを思い出した。

 どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。けれど、この方法以上に良いものが思い浮かばなかったので仕方がないのかな。

 明日になったらもう神さまにも、神使の女の子にも会えないのだ。胸がすこし息苦しくなって、ぼくは両手で胸を押さえながら布団の中でうずくまる。短い出会いだったのに、哀しくてどうしようもなかった。




 次の日、朝食時。ぼくは朝ごはんを囲むみんなの前で宣言をした。


「ぼく、ここの神主さんになる!」


 がちゃりとお父さんが茶碗を落とした。運がいい事にテーブルに落ちたので大きな被害はなかった。


「おまえ、本気なのか……!」

「キグウだなあ涼」


 やっぱり同じ考えだったのか、玲がニタリと満足そうに笑う。ぼくたちは顔は似ていないけれど双子だ、考えていることはすぐに分かった。


「おれもそう言おうと思ってた!」

「そうか……そうなのか」


 お父さんは見るからに肩を落としてため息をついた。でも反対はしないということは、ここにぼくたちを連れてきた時から覚悟はしていたのだろう。

 おじいさんは何も言わずにただごはんを黙々と食べていた。




 身支度を終えると、ぼくたちはお父さんに手を引かれて神社の境内を横切っていく。行きと違うのは、玲がおっかなびっくりしながらきょろきょろと辺りを見回していることだ。そして急に驚いたように声を上げた。

 ふと何かの視線に気づいてその方を見ると、一羽の小鳥がぼくたちを見守っていた。なんとなく、神使の女の子だと思った。そうなると、きっと隣には神さまがいるはずだ。


「ありがとう。きちんとお礼言えなくて、ごめんなさい」


 そう小さくつぶやくと、優しい風が頬を撫でた気がした。


 いろいろなものが見えていた時は気づかなかったけれど、あそこはなんて寂しい場所なのだろう。廃退はいたい的というか、物悲しい雰囲気が境内を包んでいた。

 いつか、必ずあそこに戻ってくると心に決めた。これ以上神さまの力を弱まらせたりなんてしない。そして、もう一度会って、今度こそきちんと話がしたい。そう願って、ぼくは神社を後にした。


 あの人に、ミコト様にもう一度会うために。

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