1-4話 遠い記憶


百舌鳥もずの強い想いが引き金になったようじゃ。ちと焦ったが結果オーライじゃな」


 あれ、俺は今まで何を?

 数秒前に自分が何をしていたのかも思い出せずに、ただ散らばった意識が集まってくるような感覚だけが俺を満たしていた。


 目の前にはミコト様がこちらに背を向けて立っている。その先には……


「う、」

「おお涼、我に返ったか」


 ミコト様はこちらを振り向くことなく、あのあやかしを見詰めたまま笑う。そういえば、先程まで一緒だった神使様がどこにもいなかった。辺りを見回しても、俺たち以外には誰もいない。


「神使様は」

「わらわの器となっておる」

「器……?」

「そもそもわらわは気軽にやしろから出られんからのう。今は百舌鳥の体を借りておるのじゃて。分身みたいなものじゃ」

「そんなことが」

「わらわが我が子のように力を注いだ神使じゃからのう。体も借りやすかったというわけじゃ。

 ……まあ、とはいえ手間取ってしまったがの。さて、」


 ミコト様は両手を腰に当ててまじまじとあやかしを観察している。呆れたような、哀れんでいるかのような微笑みをたたえていた。


「強い想いじゃな。そんなに涼が、いや、“居場所”が欲しかったか」

「……」


 ずっと同じ言葉を繰り返していたあやかしも、今では黙ってミコト様を見詰め返している。眼光だけは鋭いものの、感情が消えたように無の表情になっていた。


「依り代が無いというのに、それだけの力を保っておるのも珍しい」

「おまえ、神か」


 あやかしとの距離を一歩ずつ縮めていく。あやかしはあの小さな池から動けないようで、なすすべもなくただミコト様から眼を離せないでいる。すぐに二人の距離はお互い手を伸ばせば届くほどに近付いてしまった。


「お主の気配の欠片を涼から感じたとき、もしやと思ったのじゃ。やはり、お主は依り代をなくした神じゃったのじゃな」

「……」

「あのあやかしも、神様……?」


 あのあやかしに話は通じないと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。俺たちが頭ごなしに拒否せずもっと会話を試みれば良かったのか。

 それとも、ミコト様だから成せるわざなのだろうか。


「現代は神社が減ったとは思わんか、涼や」

「へ、あ、はい」


 急に話を振られてすっとんきょうな声を出してしまったが、慌てて気を取り直す。


「神社は年々減り続けています。地方町村の過疎化や神職や氏子の減少、色々理由はありますが」

「依り代や人々の信心をなくした神はただ力をなくして消え行く運命じゃ。

 ……じゃが、もともとたたり神じゃったこやつは消えずに、むしろ人に牙を向く力へと戻ってしまったようじゃの」

「祟り神……」


 日本では神社でまつられている神の中に「祟り神」と呼ばれる神も多く存在する。祟りは単に「悪」ではなく「人間にとって不利益な事象」なだけなのだ。捉え方を変えて、正しく祀れば強い力を持つ神となる。

 しかし、その神を祀るやしろがなくなってしまったら……? 俺は考えたこともなかった。

 ミコト様は再びあやかし改め、祟り神に優しく話しかけ始めた。


「悲しいのう。わらわも首の皮一枚でなんとかなっておるようなものじゃしな」

「……」

「お主がその池からなぜ出られないのかは分からぬが、その呪いの力はいずれこの地にも何か災いを起こすやもしれん」

「……災い」

「お主には同情するが、それでも涼は渡せないのじゃ。分かっておくれ」


 祟り神ははっきりと首を横に振った。拒否だ。


「ほしい、ほしい……」

「そうか。まことに残念じゃなあ」


 禍禍まがまがしく鋭い眼光が少し弱まったように見えた。ちらりと俺を見たその眼差しは、寂しさに揺らいでいるようにも思える。

 俺は何かを勘違いしている?


「今からお主をわらわの力で出来るだけ浄化する。その後は……お主次第じゃな」


 ぱん、という大きな破裂音と光が辺り一面に広がる。それはミコト様から発せられる音と光だった。

 しかしそれも一瞬で、また元通りの世界に戻る。ひとつ違ったのは、祟り神が池の上で苦しそうにうずくまって呻いていることだった。


「ううむ思ったより……」

「ミコト様!」


 俺はたまらずミコト様のそばへと駆け寄った。当の本人は不思議そうに首を傾げている。そして感心したように呟くのだった。


「見上げた精神じゃ。お主、わらわのやしろに来る気はないか?」

「は!?」


 何を仰っているのかすぐには理解できなかった。それは祟り神も同じ気持ちだったようで、ゆっくりと呆けた顔を上げた。


「何年も涼を連れ去ろうとするやからじゃから、きっと人間に恨みつらみが積もった厄介な存在と思っておったのじゃ。さっさと浄化してやろうとしたのじゃがどうも違う。錯乱こそしておったようじゃが、はらうべき穢れはない。

 ……お主、そんなに悪いやつではなさそうじゃのう」


 そこまで言って、ミコト様は池に手を伸ばした。しかし、その手は池の水に触れることなく弾かれてしまう。


「この池は、自分自身を封じる檻なのじゃな。祟りが漏れ出ぬように……人を、傷付けぬように」

「このまま、朽ちることも出来なかった」


 祟り神が初めて単語以外の言葉を口にした。初めてミコト様と祟り神との会話が成立したのだ。今の表情は無機質でも恐ろしくもなく、緊張が解けて力が抜けたものになっていた。


「朽ちたかったのか」

「朽ちると思っていた」

「お主の力は神として祀られていた時のまま、強く清い。それなのになぜあんなに禍禍まがまがしく涼を狙っておったのじゃ」

「禍禍しく、ない」

「えええ」


 思わず自分の口から不満の声が漏れた。この神のせいで恐怖でどれほど眠れない夜を過ごしたか、玲に申し訳ないことをしたか。

 ……いや、後者は俺自身の責任か。そして神は再び口を開いた。


「始めは沢山の人が私を手厚く信仰した。だんだんと人も減って、ついに社も朽ち果てて土の中。

 でも、恨むのは違う。この地から人が減り、私の役目を終えただけだ」

「そうか」

「でも信じる人がいてもいなくても私の力は強いから、他の神のように風化することはなかった。誰も私を見てくれなくも、ずっと私はここで、独りきりだった」

「……」

「ある日、目が合った。小さな子供、薄い色の髪と瞳の、あやかしを見る目。久しぶりだった」


 遠い記憶をなぞるように、神は眼を閉じて深呼吸を始めた。その間は口を挟むことなく、ただ次の言葉を待つ。


「それだけだった。目が合っただけだったのに、それだけで」

「寂しくて、欲しかったのか」

「もう一度見て欲しかったのに、二度と叶わなかった。次に姿を見たとき、力を失っていたから。悲しかった」

「……そうだね」

「力が戻ったのを知って、嬉しくてつい。済まないことをした」


 そう言って神は悲しそうに眉を下げた。先程までの突き刺さるような空気は何処いずこへ、今はもう面影もなかった。

 俺はふと考える。もっとよく相手を知る努力をすればこんなにも長い間、こんなにこじれずに解決できたのかもしれない。けれど見知らぬあやかしに関わらないようにするのは自分の身を守るためであり、そうすることで危険を回避できたのも確かだった。それを思うと過去を悔やむこともできない。


「神が出向いてくるなんて、この少年は何者だったのか」

「今はわらわの社の宮司をしておる。まあ若いからくらいは一番下じゃがの」

「なるほど……」


 少年ではない。そう反論しかけたが何百、何千年と生きる神にとっては些細な問題なのだろう。俺は野暮なことをするのはやめた。

 そこで祟り神が、何かを思い出したかのように小さく声を上げた。


「お前、一緒に来るかと言ったな」

「おおそうじゃ。ちょうど空いておる場所があるのじゃよ。お主は土地神ではないようじゃし、摂社でも構わないなら一緒にどうじゃ?」

「……そんな簡単にいいんですかね」

「細かいことは気にするでない」


 相変わらずやりたい放題やらかすかただ。それは祖父が若い頃から変わりなかったようで、祖父も色々振り回されたらしい。前に、苦笑しながら教えてくれた。確かに、自由だ。

 けれど、悪い気はしなかった。祟り神も嬉しそうにうなずいた。


「一人は飽きた。少年もいるなら、ついていこう」


 彼女が池の外に一歩踏み出した途端、池がまるで陽炎かげろうのように揺らめいて消えた。あれは本物ではなくて、彼女が造り出したまやかしの檻だったのだ。


「きっと宗治が準備をしてくれとるじゃろう」

「あれはその準備だったのですかね……あ、そうだ」


 俺はふとあることを思い出して後ろを振り返った。俺たちの後を控えめについてくる神と目が合う。


「これから俺たちは、貴女を何と呼べば良いですか?」

「なに、とは」

「俺は貴方の正式な名前も知らないのでお教えください。あと長い名前を覚えるのが苦手な神使様がいるので、あだ名も考えたい」

「あだ名……」


 彼女は顎に手を当てて俯き少し考えたあと、嬉しそうに顔を上げて答えた。


「ゴリョウで良い。そう呼んでほしい」




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