4-1話 夏の脅威


「おい涼、本当に大丈夫か?」


 例大祭から数日が経った日の事です。やっといつも通りの日常が戻ってきて、皆さまも落ち着けると思ったのですがどうやらそうはいかないようです。あれからというもの、涼さまはぼうっとする時間が多くなりました。

 玲さま曰く、「疲れがたまったんだろう」とのことでしたが、数日経った今でもその体調が改善されることはありませんでした。

 涼さまの目の下にはうっすらと隈があるようにも見えます。私はもっとよくその顔色を見ようと涼さまの肩に飛び移りました。


「大丈夫だよ、少し眠れなくて」

「少しってレベルじゃねえんだけどなあ」


 玲さまの心配をよそに、涼さまは足早にその場を去ってゆきます。私は肩にしがみ付いて置いて行かれないようにしました。


「大丈夫……」

「(本当に、ですか)」


 私が一声鳴くまで存在に気付かなかったようで、涼さまは驚いたように私を見ました。そしていつものように微笑んでくれたのですが、いつものような生気がありません。

 今日だってじりじりと焼けつくような日差しや気温が容赦なく私たちを襲っています。それは例え体調が悪かろうと変わることは無いのです。私はだんだんと心配が募ってどうしようもなくなってしまいました。


「(傘を差していても暑いものは暑いです。本当は室内で休んでいただきたいのですが)」

「いや今日、済ませなきゃならない、事が」


 そこで私は首を傾げました。私の言葉は力の無い者にはただの鳥の鳴き声として聞こえてしまうはずです。それでもお構いなく私は涼さまに声をかけていたのですが。

 ……ただの偶然でしょうか。会話が成り立ったように感じました。

 私は次の言葉を待ってみましたが、それきり涼さまは沈黙してしまいました。たらり、と首筋から汗が流れただけでした。代わりに傘がぼそりと呟くのが聞こえます。


“神使君、この声は聞いているかね”

「あ、はい」

“君も感じたと思うが、涼殿は何かを隠しているような気がしてならないんだ。”

「隠している、ですか」

“時折、違和感がある。だが、しかし隠しているのは本当に彼だけなのか……”

「待ってください。話が良く見えません」


 話についてゆけずに傘に詳細を求めたところで、ぐらりと視界が揺れ平衡感覚を失いました。私の足元が崩れたのです。そのまま私の身体は宙に投げ出され、いきなりの事でしたので体制を整えることも出来ずになすがまま飛ばされてゆきます。


(このままでは涼さまが頭から倒れてしまう!)


 生物にとって頭部は最も守る部位ということは重々承知していました。なのでこのまま涼さまが頭からこの石畳に倒れ込んでしまうのは非常にまずいことは明らかです。

 私は必死で手を伸ばしました。しかし届くはずもなく無駄に空を掻きます。もうだめだ……!


「この馬鹿!」


 なす術もなく頭を打ち付けてしまう、その寸前で玲さまに受け止められ無事に無傷で済みました。きっと心配で涼さまの後を付いてきたのでしょう。


「良かっ、ぐう」


 安堵したのも束の間、私は背中を地面に勢いよく叩きつけながら着地しました。自分自身が宙に投げ出されていたことを失念していたので、受け身の体制をしておりませんでした。失態です。あまりの衝撃に数秒呼吸ができずに放心してしまいました。


「おいおい神使サマもかよ」

「わ、私は自分で立てます」

「本当か? 無理すんなよ」

「はい」


 私がよろよろと立ち上がる間にも玲さまは涼さまに話しかけたり、症状を見てるようです。てきぱきとしていて慣れているようでもありました。


「ごめん」

「意識はあるみてえだな」

「大丈夫、ちょっと眩暈めまいがしただけだよ」

「眩暈、大量の汗に体温も高い。こりゃ熱中症だ馬鹿」


 弱々しく抵抗する涼さまを無視して担ぎ上げてしまいました。力持ちだなあと感心していますとずんずんとこちらに近づいてきます。


「な、なにを。うわあっ」


 暴れるも虚しく力強い腕に捕まりました。右には涼さま、左には私を抱えた玲さまは迷うことなくどこかへと歩みを進めてゆくのでした。



***



「おお、やっと目が覚めたか。心配したのじゃぞ」

「ん、あれ……」


 あれから眠ってしまっていたのか、気が付けばミコト様が私を覗き込んでおられました。その奥には本殿の天井が見えます。どうやら私は仰向けになっているようでした。


「背中を強く打ったそうじゃな。ここへ担ぎ込まれてきた時は眠っておったぞ」

「ああ」


 涼しい。それに聞き慣れない、ごうごうとした風のような音がどこからか聞こえてくるようです。目でその音の正体を探っていると、ミコト様が心配そうに眉を下げました。


「どうしたのじゃ」

「あ、いえ。音がするのでつい」

「恐らくあれじゃろ。ほれ、部屋の隅にある白くて四角いのじゃ」


 ミコト様が指を差す方向に首を向けると、そこには少し大きな四角い機械がありました。どうやらあれから音が鳴っているようです。そのそばには涼さまが私と同じように横たわっておりました。


「あ! 涼さま」


 先ほどまで寝ぼけていて頭からすっかり抜けていましたが、やっと涼さまの事を思い出して急いで駆け寄ります。静かに眠っているようでした。私は安堵のため息をつきます。


「熱中症だそうじゃ。症状も回復しておるようじゃし、このまま良くなるまで安静に、と玲に念を押された」

「そうでしたか」


 どうやら四角い機械は冷たい風を作るものだったようです。私は思わず頭を風の出口に突っ込みました。冷たい空気が直に当たって気持ちいい。


「あの時の玲さまはすごく手際が良かったです。看病は慣れているのですかね」

「まあ、熱中症も今回が初めてではないしの」

「そうなのですか」

「今年は調子が良かったんじゃが……やはり張り切り過ぎたようじゃの」


 どうやら例大祭の夜に仰った「嫌な予感」が的中してしまったようです。困った顔のミコト様と一緒に涼さまの顔色を伺いました。

 涼さまのそばには中身の減ったペットボトルがあり、脇や首に濡れたタオルや青い湿布のようなものが貼り付いています。きっと体温を下げるためなのでしょう、献身的な看病の跡が見えました。寝顔は安らかですが、まだ顔色は良くないようです。もう少し安静にしていた方が良いと私たちは判断しました。

 はだけた袴から覗く肌があまりにも白いので、こうしていると人形のようにも思えてしまいます。思ったことを口にすると、ミコト様は苦笑しました。


「面と向かって言ってやるなよ。案外気にしておるようじゃからな」

「褒めているのですがねえ」

「涼は玲のようになりたかったようじゃからな」

「涼さまの方がモテるのに……」

「それは、玲には言ってやるなよ。たいそう気にしておるからな」

「……人間とは難しい生き物ですね。そういえば、玲さまはどこに」


 辺りを見回してみますが、私たち以外に誰かがいる気配はありませんでした。外にでも出ているのでしょうか。


「玲なら先刻出て行ったぞ。用事を済ませてくるらしい」

「お仕事ですかね」

「ま、そんなところじゃろ」


 そういえば涼さまも今日中に終わらせたい用事があると言っていましたが、大丈夫だったのでしょうか。今はもちろん休むべきですが、後日不具合が起きないことを願います。


「この様子だとじきに目を覚ますじゃろ。わらわも拝殿に戻るとしよう」

「私はここにいます」

「それが良かろう。なにかあったらわらわの元へ来るのじゃぞ、玲に伝えるためにな」

「はい」


 玲さまはミコト様の力の依り代なだけあって、遠くに離れていてもミコト様の意思が伝わるようです。以前、一種の“神託”のようなものだと仰っておりました。

 本殿の扉の閉まる音と共にミコト様が姿を消すと、一気にこの場の空気が冷えてゆくのを感じました。誰もいなくなった今、聞こえるのは機械音と微かな涼さまの寝息だけでした。そのほかの音がないので、機械のごうごう音も更に大きく聞こえます。


 冷たい風に当たりすぎて頭が冷え切ってしまいました。私は風の出口からやっと頭を離します。髪が乱れてしまったので、手で梳かして整えました。

 それにしても涼しい。まじまじと機械を観察してみると、後ろに太い管が繋がれているのが見えました。やけに長く、ここからではこの管がどこに繋がっているのか分かりません。触ってみると、想像以上に熱くて驚きました。


 ひとしきり観察をして機械への興味を失くしてしまったので、今度は涼さまの様子を伺うことにしました。落ち着いているようです。思えば、涼さまの寝顔は初めて見ました。いつもより幼く見えます。


(なんだか、また眠くなってしまいました)


 人気のない部屋に、寝ている病人。静かにしていようと大人しくしていたところ、再び私は睡魔に襲われました。

 また寝てしまおうと思う反面、こんなに寝てしまって今夜きちんと眠れるか不安にもなります。けれど結局はなす術なく瞼が重くなってきました。

 私は涼さまの隣に横たわって、ゆっくり目を閉じました。

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