3-3話 例大祭③
「はい。暑い中お疲れ様です」
この言葉を誰が発しているのか理解するのに数秒を要しました。短い言葉でしたが、その声、振る舞い、表情のどこをとっても玲さまの雰囲気はひとかけらもありませんでした。私は目を見開いて玲さまの様子を伺いましたが、私には一切の反応を示さず目の前の人物にのみ集中しています。その方は同じ神職の袴を履いた、おそらくここの社に奉仕している方のようでした。袴の色が玲さまと違うということは、玲さまより位の高い方なのでしょう。
「今年は本当に助かったよ、まさかこの時期に
「いえいえ。……あれから彼の具合はどうです?」
「なあに大したことは無いそうだ。来週には復帰してくるよ」
「それは何よりです」
背筋がぞわぞわとしてきました。まるで涼さまが玲さまに憑りついたかのように動きがそっくりです。普段不真面目な方が真面目の皮を被る瞬間を、つまり見てはいけないものを見てしまった罪悪感と言いますか、後悔のようなものがずるずると私の腹の中を暴れまわっているようでした。このままでは消化不良を起こしそうです。……私は何も食べていないのですが。
「今年も無事に終われそうで安心しているよ、ぜひ最後まで見ていっておくれ」
「もちろんそのつもりです」
大人の対応としてはこれが正解なのですが、私は一刻も早くいつもの玲さまに戻ってほしいと願いました。やはり人は何も隠さない自然体の方が素敵なのだと改めて思った良い機会でした。玲さまの猫撫で声を聞いている間、私の背筋はずっとぞわぞわしています。
神職の方が去っていくのを見届けてから、玲さまは深い溜め息をつきました。どうやら真面目の皮ははぎ取ったようです。
「私、もう玲さまに“きちんとしろ”なんて言わないことにします」
「あ?なんだそりゃ」
「いつもの方が良いです。絶対に」
「んなこと言ってもなあ、ここは上下が厳しいもんで」
にやにやと頬を突かれても、今は不快感はありませんでした。やっといつもの玲さまに戻ってもらえた嬉しさの方が大きいのです。
しかし安堵したのも束の間、ここにはたくさんの神職の方がいらっしゃるようで次々に玲さまは皆さまに挨拶をしてゆきます。その度に私の背筋は悪寒に襲われるのでした。
「なあ、礼儀正しい俺が気持ち悪いって失礼だと思わねえか」
あいさつの合間にこっそり私に耳打ちしてきましたが、「仕方ない」と開き直ると小さく口を尖らせるのでした。
「あの、噂で話を伺っていたのですが」
そんな話をしてきたのは何人目かの神職の方でした。歳は玲さまより若そうで、同じ浅葱色の袴を履いておりました。玲さまは片方の眉だけを上げて振り返ります。
「貴方の行う占いはとても良く当たるのだとか」
「そうですねえ」
「個人的に占っていただくことはできるのでしょうか」
「
「そ、そうなんですか」
「でも簡易的なものもあるのでそちらはどうです?」
それからお二人はこそこそと日取りや予算を手早く決めて別れました。手際が良いのが普段やり慣れている手口である証拠です。私は満足げに手帳に予定を書き込んでいる玲さまに冷ややかな視線を送って呟きました。ああ、手帳の書き込みは多く、けっこう予定がびっしり埋まっているのが分かります。
「せっかく普段の玲さまを評価していたところでしたのに」
「これは神職と関係ねえよ。副業の占い師さんだ」
「副業?」
「このご時世小さな神社で大の大人二人が神職だけでは食っていけません。涼も何かやってるはずだから今度吐かせてやるよ」
「ええ!涼さまも!?」
確かに、お金の事になるというのなら私が口出せるものではありません。私たちあやかしと違って現実的な経営を考えなければならない人間社会は世知辛いものです。いくら私が理想を掲げても、ミコト様が信仰されていようとも、お金がなければお二人は生活ができなくなってしまうのですから。私は納得して口をつぐみました。
「もちろん奉仕が優先だし、いくらか社にも貢献してるから安心しろよ。この間清掃道具も一新してやったろ」
「おお」
照り付ける日差しに玲さまの笑顔がよりいっそう生き生きとして見えました。そういえばいつもよりじりじりと体が熱いと思っていたのですが、私もこの炎天下にさらされているからでした。涼さまと違って日傘なんて差しませんので。
「それは春の時にした出張の占いとは違うのですね」
「あれは神事の一環だ。未来を占う儀式をして、祓って清めて。
さっきの話は普通の占い師の仕事だよ、恋愛結婚仕事運勢……」
「なるほど」
「神使サマも占ってやろうか?レ・ン・ア・イ」
「それはむしろ御自分を占った方が……」
「あ!?」
大声に周囲の何人かがこちらを振り返ってしまったので、玲さまは我に返りこほんと小さく咳払いをして誤魔化しました。
「しまった、つい。この話はもうやめだ」
「そ、そうですね。周りを探索してみましょう」
「そういやその途中だったな」
妙にチクチクとした居たたまれない空気になってしまいました。月冴さま曰く、この双子の年齢は男女ともに敏感なようで、色恋・結婚・子孫という単語には触れないようにしてあげて欲しいそうです。その話題こそ、ミコト様の十八番だと思うのですが何とももったいないお話です。そんなわけで私たちは仕切り直して、余った時間で境内を散策してみるのでした。雰囲気こそ賑わっていましたが、ここは由緒ある神聖な社だと再認識します。
「どこも神の御力が満たされているように感じます」
「隅々まで張り詰めた、静かで厳かな空気だよな。こういう所にも神サマの性格が出んのかね」
ミコト様の力は例えるなら静かに湛える澄んだ水のように、清らかで落ち着いたものです。ここの神様の力はミコト様と違ってぴんと張り詰めた弓の弦のような、息を呑む緊張と力強さ、そして危うさのようなものを感じました。もし今ここの神様が姿をお見せになったのならば、私は問答無用で
「ここにはミコト様のように結界で隠した空間はあるのでしょうかね」
「さあ、どうだろうなあ」
独り言として発してしまったのですが、玲さまは律儀に答えてくれました。いたずらっぽく楽しそうに笑っております。こういう所はなんだかミコト様に似ているような気がしました。
「あったとしても、ここの人間みてえにあやかしを見る力の無い奴や、俺たちみてえな部外者には入れねえさ。つまり、誰も入れねえんだろうなあ」
「でもミコト様は部外者にも結界の池を見せたことがありますよ」
「ウチのは例外っつうか、なあ。通常はまずない。通常神サマっつうのは位が高いから、人間と気軽に交流しないもんだ」
「そういうものなのですかねえ」
「そういうもんだ。まあ、俺は例外も嫌いじゃないがな」
散策のついでに出店も回ってみました。私が棒が付いた紅い半透明の球体に興味を示していると、玲さまが二つ購入されました。
「夕拝の供物が決まっちまったなあ神使サマ」
「ええ、それは食べ物だったのですか」
「おう、りんご飴だ。中は普通のりんごで、外のは甘い飴……まあ砂糖みてえなもんだ」
「りんご飴……」
「昔から人々に愛されてる祭りの風物詩だからな。神サマもきっと喜ぶんじゃねえか?多分」
「ありがとうございます」
お楽しみはミコト様と頂くことになるようです。ミコト様は果たして喜んでくださいますでしょうか。
「大変お待たせいたしました。これより十分後に神楽のお時間となりますので、ぜひお立ち寄りください」
聞こえてきたのは遠くからでも良く通る若い巫女の声でした。それからその方は小さな看板を立てかけてどこかへ、おそらく最後の準備へと行ってしまったようです。看板には神楽の開始時間と演目内容などが書かれています。
「玲さま」
「わーってる、行くか」
「はい!」
神楽殿はそう遠くない場所にありました。屋外観覧のようですが、きちんと日陰になるような傘や屋根、簡易椅子はあるようです。玲さまはその内の後ろの方の真ん中の席へと腰かけました。
「前列ではないのですか」
「いやまあ、同業が前は陣取りづらいっつうか、その」
「大人の事情ですね」
「話が早くて助かる」
そんなわけで、少し残念な気持ちと共に開始時間まで待つことになりました。しかし、ここからでも十分舞台は良く見えます。細かいことは気にしないことにしましょう。
人も揃い、いよいよ開始となりました。私は心躍らせながら、その一部始終を見届けたのでした。
***
「して、どうじゃったかの」
こうしてミコト様の元へと帰ってきた私は、予告通り夕拝に出されたりんご飴を前に、本殿にてミコト様と夜を過ごしております。
「はい。社も出店も神楽も良かったです。あ、これはお土産のりんご飴です」
「ほう、懐かしいのう」
ミコト様は何のためらいもなくりんご飴を手に取って、真ん中の飴が薄いところを齧りました。じゃくり、と良い音が本殿に響きます。
「ご存じだったのですか」
「昔にな。神の供物としてはいかがなものかと思うが、個人的にわらわは好きじゃよ」
「良かった」
見よう見まねで私も齧ってみました。糖度の低いりんごを使っているようです。しかし脳天を直撃しそうな飴の甘さに、酸味のあるりんごは丁度良いと思いました。
「神楽はどうじゃった」
「巫女の舞も演奏も素晴らしかったです。が、笛は舞台裏なのですね。涼さまの姿は見えませんでした」
「そういえばそうじゃったかの。しかし笛の音は聴けたじゃろう」
「はい。それはもう立派で……」
涼さまの演奏する姿を直接拝見することは叶わなかったのですが、伸びやかで優雅なその音色はしっかりと耳に届きました。それだけに見たかった、残念です。
「巫女の舞の真ん中に、実際に神様が混じって舞をしていたのには驚きました」
「あの男神は踊り好きで有名じゃ、見事じゃったろ。なにせウチの摂社にいた神もそれに惚れてほいほいついて行ってしまったくらいじゃからな」
「えええ」
「あ、その飴は分解した方が良いぞ」
お互いに飴を頬張りながら会話を続けていましたので、いつの間にかりんご飴は寂しい棒切れのみとなってしまいました。また機会があれば食べたいと思います。玲さまにまた買っていただきましょう。
「しかし涼の奴、大丈夫かのう」
「心配ですか?」
「いつもより張り切っているように思ってな。少し嫌な予感がするのじゃ」
「ううむ」
「まあ、明日はゆっくり休ませるとしよう。わらわたちもそろそろ寝ようかの」
「分かりました」
そして私たちも眠りにつくことにしました。ミコト様の腕に抱かれてゆっくりと微睡の中に落ちてゆきます。
……さすがはミコト様、仰ったとおり見事に“嫌な予感”は的中してしまうことになるのでした。
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