3-2話 例大祭②
初めて余所の鳥居をくぐった私に緊張が走りました。言いようのない不安が体中を飛び跳ね回り、私はびくびくと辺りを見回します。一口に神社と言っても大きな違いだらけです。私は、本当にここに来てしまってよかったのでしょうか。思わず玲さまの肩にしがみつく手に力がこもってしまいました。
「だあいじょうぶだって。ここにも色んな神使サマやあやかしがいるが、取って食われやしねえから」
「私やはり場違いだったのでは……」
「ははは頼りねえなあ」
たくさんいる人の中にあやかしの姿も多く見かけました。彼らは基本お祭り騒ぎが好き、というミコト様の情報は当たっているようです。なるべく彼らとは目を合わせないようにして境内の様子を観察しました。
ミコト様のいらっしゃる社の何倍も敷地のある境内でした。けれどここも神社、大きさは違っても建築物は似たような見た目です。ここでは普段は建物内で祈祷も行っているようで、それ専用の受け付けや道順の案内がありました。本日は受け付けていないため、締め切られておりましたが。
落ち着きなく辺りを見回す私とは反対に、玲さまは手水舎へと迷いなく進み手を清め始めました。私にも軽く手に水をかけてもらいます。冷たい水が気持ち良くて、ずっと水浴びをしていたい気持ちに駆られました。そんな私の葛藤はつゆ知らず、玲さまはまた歩き出しました。
通常は静かであろう砂利の開けたところも今日は出店が並んでおり、人々が賑わいながら買い物をして食べ物を頬張っていました。
「すごく活気があります……!」
「むしろ帰る奴の方が多いけどな、もうメインは終わったし」
「そ、そうなのですか」
「残念だったなあ。もう少し早けりゃ見れたのに」
玲さまが意地悪な笑いを浮かべて私の顔を覗き込んできたので、思わずくぐもった唸り声が漏れてしまいました。それを聞いて更に嬉しそうにする玲さまは本当にいい性格をしていると思います。
「まあまた来年見ようぜ、毎年あんだから」
「はあい」
その時、雑踏の中から微かに澄んだ鈴の音が聞こえました。この音は聞き覚えがあります。振り返ると、白黒の二本の尻尾を優雅に揺らしながら一匹の黒猫が姿を現しました。
「よう、ひさしぶりだな神の使い」
「猫又さん。貴方もお祭りに?」
「まあ猫は気まぐれだ。そんな気分だったのさ」
あれから姿を見ておりませんでしたが、猫らしく気ままに過ごしているようで安心しました。彼らは猫又になってからというもの、更に猫らしく自由に、何にも縛られない人生ならぬ猫生を謳歌しているようです。お互い微笑み合ったところで、ずっと黙ったままの玲さまを不思議に思い横顔を盗み見ました。何か神妙な面持ちで猫又を見つめながら、ぼそりと呟きました。
「……猫又って魚食うんか」
「ご相伴にあずかってやらんこともないぞ」
「そうか」
なるほど。もう彼らはあやかしなので、動物の言葉が分からない玲さまも彼らとは会話ができるのでした。そして何も言わず屋台の方へ歩き出したかと思えば鮎の塩焼きを買って猫又の足元に置いたではありませんか。それも塩のあるところはきちんと省くのも忘れずに。猫又は満足そうに鮎を咥えて踵を返しました。
「ありがたく食ってやろう」
「塩は残ってても食うんじゃねえぞ」
「あやかしだから心配は無用だ。これを食ったら静かなところで寝るとするか」
人間に対して態度が大きいのも猫の性質のようです。そのまま猫又は姿を消しました。尊大な態度でも二本の尻尾が嬉しそうにぴんと立っていたのが実に愛らしいです。私は彼らの姿が見えなくなった後、玲さまの顔をまじまじと眺めながらちくりと言葉を投げました。
「玲さまも猫好き日本人の一人だったとは」
「んだよ、別になんだっていいだろ」
珍しく玲さまが言葉に詰まったかのように口を尖らせて目を反らしたので、私は“勝った”と静かに笑みをこぼしました。いつもの意地悪の仕返しです。
「あーあ、猫に鮎なんてもったいないねえ。あたしが食べてやりたかったわ」
急に目の前の
以前ミコト様に伺ったことがあります。ここの社の神使は狐なので、狛犬ならぬ狛狐が神の御前に鎮座しているのだと。なのでこの方はこの社の神使様なのでしょう。
「これは狐の神使サマ、ご機嫌麗しゅう」
「相変わらず良い男だねえ」
玲さまは自然な笑顔であいさつを交わしました。ご近所付き合いとして頻繁に訪問しているそうなので親密そうなのも頷けます。神職らしく“神や神使に最上位の敬意を払う”を信条にしている玲さまは狛狐様に恭しくおじぎをしました。私やミコト様にするより丁寧に見えるのは気のせいでしょうか。それを見た彼女は満足そうに微笑みます。
……私にあまり敬意を払ってくれないのは、私がまだ未熟な神使だからでしょうか。それならもっと経験を積んで早く一人前にならなければ。
「祭りってのは良いもんだねえ。人の活気で溢れて、我々の力も漲るよ」
「今年も無事に終われそうだな」
「一時はどうなることかと思ったけれど、あんたたちのお蔭だねえ。まさかうちの神楽の
「お互いさまだ、こっちも毎年世話になるし」
「うむ。……それと、」
会話が弾んでいたのも束の間、狛狐様が私をじろりと見つめてきました。訝しがるような鋭い視線に私の身体中から悪寒が暴れ回ります。居心地が悪くなり玲さまの肩の上で無意識にもぞもぞと体を揺すってしまっていたので、今度は玲さまがぞくぞくと体を震わせてしまいました。
「やめろくすぐってえよ」
「あ、すみません」
不満の眼で睨まれたので苦笑いでごまかします。
「あんた、あっちの神使なのかい」
「あ、はい。神使の
「生き神使なんて滅多に見ないからねえ。ま、他の社の神使自体あんまり会うことは無いんだけどね」
名前を明かしたので警戒を解いてくださったのでしょう、優しい微笑みに戻ったので私も笑い返しました。神使は社を守る存在ですので、名を明かさない輩には警戒を怠らない。神使のお手本だと思いました。
「生き神使は珍しいのですか」
「ここらじゃまず見ないさ。遠いところだと鶏がいたけれど」
「同じ生き神使ですか、会ってみたいですね」
「……いつも思うんだけどね、あんた」
彼女の白銀の毛の中できらめく緋の眼がとても印象的でした。まるで心の中まで見透かされそうなほど澄んだ色をしております。
「終わりがある生ってのは哀しくはならないのかい。ましてやあんたは人間を見つめる神使だ。それなのにその人間と同じ寿命しかないのはねえ」
「すみません、私はまだ生まれたばかりなので。そこまで考えたことはありませんでした」
「そうかい。我々は人の生きる様を長い年月をかけて見てきたから、ちょっと気になってね」
「そうですか」
哀しいという言葉をかけられたのは初めてだったので驚いてしまいました。私はこれが役目だと思っていたので考えたこともありません。玲さまは黙って私たちを見守っているようでした。
「私は、玲さまや涼さまたちと同じ時が過ごせて楽しいです。同じ目線で、同じように生きていくことは哀しい事ではありません。
……と、そう思っております」
「そうかい、余計ことを言ってしまったようだねえ。許しておくれ」
「いえ!そんなことは」
「我は長く生き過ぎたせいでいろんな考えが固まってしまったようだ。あんたのような新鮮な者がいることに意味があるのだろうねえ」
初対面の、しかも他の社の神使のことまで案じることができる方は中々いらっしゃらないように思います。私は極力心配させないように笑顔に勤めました。狛狐様も笑顔に戻って頷いておられました。
「久しぶりに神使と会えて嬉しくなってしまってね。基本神使は自分の社から出ないものだから、わざわざ来てくれたんだろう」
「はい、今日はどうしてもここへ来たくて」
「条件付きの、な。短い時間内だが涼を見たくて来たんだと。あれだろ、神使サマが外に出られないのは守り人の使命とか、神への忠義心とかなんだろ」
今まで話を聞いていた玲さまがゆっくりと言葉を選ぶように声を発しました。
「そんなところだねえ、あまり主である神から離れると力も出せなくなるから。
……でも」
「でも?」
「神の
「そんなこともあるのですか」
「まあこの平和なご時世そんなこともないだろうけどね」
ミコト様の代わりに外の世界へ、つまり鳥居の外へ出る。どんな理由の時かは想像もつきませんでしたが、余程の事なのだということだけは分かります。私がしばらく唸っていると狛狐様はくすりと笑いました。
「まあ、楽しんでおいで。あんたのとこの坊やの笛の腕もいいけど、神楽の舞もちゃんと見ておくれよ」
「はい」
「じゃあ俺たちはこれで」
私たちは手を振り狛狐様と別れようとしましたが、「あ!」と大きな声を出されてまたこちらへと駆け寄って来られました。私たちは揃って首を傾げます。
「一つ言い忘れていたよ。数百年会ってないんだけど、あんたの所の狛犬は元気かい?というより話したことはあるかい?」
「え、ええ。以前に一度」
何か重大なことなのかと息を呑んで言葉を待っていたのですが、なにやらただの世間話だったようでほっとしました。気が抜けてにやけた私と反対に、狛狐様は眉間にしわを寄せて私の顔を覗き込みました。近すぎる距離と威圧感に思わず体が固まってしまいます。
「たった一度?本当かい?」
「はい。彼らは夜の守護者だと言っていましたので」
「そういや俺も最後に話したのはいつだったか……」
彼女は「やっぱり」とでも言いたそうな目で私たちをじとりと見つめました。呆れたような溜め息のおまけ付きです。
「我ら神使は狛狐・狛犬像が依り代だよ。石だから人間みたいに睡眠なんてとる訳ないじゃないさ。まあ夜も守護しているのは間違いないけどねえ」
「えっ」
「あの二体は本当に人見知りの引き籠りだねえ、今度昼間にからかってみるといい。我が教えたと言ってもいいぞ。必ず怒るだろうけどね」
「えええ……」
最後にとんでもない爆弾発言をして、彼女は満足げに帰ってゆきました。私は頭を抱えます。一体どんな顔をして社に帰ればよいのでしょう。いっそ何も聞かなかったことにして普段通り狛犬様たちの事は触れないようにしましょうか。話しかけるのは余計なお世話になる気もします。
「ま、あの話はあとにしよう。社に帰っても覚えてたら、考える」
「ええ、分かりました」
「しかしほんとによくしゃべる神使サマだよなあ。正直うちの神使サマは大人しくて助かるぜ」
「本当に大人しいと思っていますかねえ」
「思ってるよ」
意地悪に返事をして様子を伺ってみます。玲さまは意外にも上機嫌に私の頬を人差し指でぐりぐりと突いてきました。力が強いので少し痛いですが、我慢します。
「神使サマはここは初めてだから、祭り以外の周りも色々見て回ろうぜ」
「わあ、お願いします」
ここにはどんな神様が、どんな風に祀られているのか知れる良い機会です。一体どんな神様がいらっしゃるのでしょうか。私のわくわくした気持ちを乗せて玲さまが一歩、別方向に歩き出したその時です。また背後から知らない声が玲さまを呼びました。
玲さまはどうやら人気者のようですね。
「あ、君。
その瞬間玲さまの纏う雰囲気ががらりと変わりました。ゆっくりと玲さまは声の主の方へ振り返ります。ああこれは、話には聞いておりましたが。まさか。
……そして私は驚きのあまり腰を抜かしてしまうのでした。
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