第4章 文月
1話 百舌鳥の自由研究
「貴方たちはそんなところで暑くないのですかね」
境内の道の真ん中に堂々と陣取っている言ノ葉たちにそう声をかけてみても、やはり何の反応もありませんでした。7月に入りこの体が溶けてしまいそうなほど強い日差しの中で、言ノ葉たちは数匹で固まり炎天下でぼうっと道行く人を見つめておりました。目ぼしい人間を見定めているのか、時には引っ付いていたりもします。
地面の砂利は太陽の熱を吸って恐ろしい温度になっています。その向こうの景色が揺らいでいますので、触らなくとも分かるほどです。今ならば焼き鳥ができてしまうでしょう。香ばしくはなりたくないので、私はいつも通り拝殿の軒下、賽銭箱の後ろで人々を迎えておりました。
拝殿の前で祈る人に引っ付いていた言ノ葉が一匹、ぴょんと私の横に飛び降りてきました。そして特に私に目もくれずにそのまま動かずに数回瞬きをしています。
「どうですか、ここはいくらか涼しいでしょう」
もう一度声をかけてみましたが、やはり返事どころか反応もありません。トコトコとがに股の軽い足取りで私の元を去ってゆきました。こうしてまじまじと見ていると黒い毛玉が歩いているようにしか見えません。そうしてまた仲間が集まっているあの炎天下へと戻ってしまいました。あの者たちには暑い寒いの感情は無いのでしょうか。私でしたら、あんなところにいたら数分ともたずに音を上げてしまいそうです。
「考えれば考えるほど謎に満ちていますね……」
「なんじゃそなたは。独りでぶつぶつと」
私が独り言を呟いていたのが聞こえてしまったのでしょう、ミコト様が拝殿の扉から顔だけを覗かせて私に声をかけました。
「あ、すみません。つい言ノ葉たちのことが気になって」
「ほほう?」
私の言葉に関心を持たれたのか、ミコト様は顎に手を当てて言ノ葉たちを改めて観察しているようでした。彼らはミコト様に見られている間も相変わらず、感情の見えない眼で通り過ぎてゆく人びとを眺めています。しばらくそれを眺めた後、「ううん」と唸り声を上げてぽそりと言いました。
「実はわらわも、詳しく調べてみてはおらぬのじゃよ」
意外な返答に「えっ」と思わず裏返った声を上げながらミコト様の顔を見上げました。すると目を反らされてしまい、まるで子供のように口を尖らせながらミコト様は抗議し始めます。
「人の願いの強弱に反応する、ということは分かっておるんじゃがなあ。わらわが目を離している間や人のおらぬ間に何をしておるか興味もなかったしのう。
普段何を考えておるか、そもそも意思があるのかも怪しいところじゃぞ」
春のころにミコト様は言ノ葉たちのことを紹介してくださりましたが、それ以上のことは御存じないようでした。その理由が「たいして興味がなかったから」というのは少し切ないですが妙に納得しました。
どんなにそばにいたとしても、気にならなければいないのと同じことなのですから。
「あの、ミコト様」
「なんじゃ」
「私、今日は彼らのことを観察してみようと思うのです」
彼らは常日頃からこの社にいますが、関わりもなく害もありません。言うなれば背景の一部として存在しているのでした。なので今日こそは彼らに関わってみようと、そう思った次第です。
「おお、良いな。結果はぜひ教えてほしい」
「もちろんです」
私が笑って返事をするとミコト様は「よしよし」と頷きながら、また拝殿の中へと戻ってゆきました。ミコト様が見えなくなるまで見送った後、私は外にいる言ノ葉たちの方へと体を向けました。思わず、つばを飲み込みます。そう、彼らと関わるということはあの灼熱の太陽の元へ足を踏み出さないといけない、ということなのですから。
しかしミコト様と約束してしまった以上、引くことはできません。ここは心を決めないと。
「さて、一歩……あちち!」
深呼吸をして気持ちを整えた後、勢いをつけながら軒下の影から日が照っている地面へと飛び出しました。砂利に足がふれた瞬間、体の芯まで震え上がるような熱さが襲います。最初の勢いもむなしく、私はあまりの熱さに驚いて元の位置へと戻ってしまいました。
どうしたものでしょう。このままでは観察どころか外に出ることも難しいようです。私は裸足のままなので、少なくとも何か足に巻くものがあれば良いのですが……。
辺りを見ると、拝殿の横に植えられている木の葉っぱが丁度良い大きさと厚さでしたので、これにすることにしました。2枚の葉とそのそばの雑草の丈夫そうな茎を手折って拝借します。葉を足の下に置き、茎で結んで固定しました。非常に簡単ですが完成です。甘めに評価すれば草履に見えないこともありません。ああいえ、これは少し言い過ぎました。
「これでよし」
再び砂利へと一歩を踏み出しました。これなら多少は熱いですがなんとか耐えられそうです。ふと、頭上から鳥の声がしたので空を見上げると、一対の雀が楽しそうに飛んでおりました。
そういえば、野生のあの者たちは平気な顔をして鉄の手すりに止まっていたりしますね。丈夫なのか、はたまた我慢しているのか真相は分かりません。しかし私よりは厳しい環境を生き抜いているのですから、当然のことですね。辛そうな顔など一切見せずに仲間たちと談笑しているあの者たちを「すごいなあ」とぼんやりと思いました。同じ鳥とはいえ生まれも育ちも存在も違うのですから、他人事のようにしか思えないのです。少し切なくなりました。
私がいきなり言ノ葉たちの輪に入ったものですから一応は驚いて警戒したようでした。一斉に私の身体を上から下まで見た後、特に害はないと判断したらしく興味もなくしたようです。すぐにこちらを歩いてくる参拝者に集中してしまいました。
……本日は人の入りが多いようです。たくさんの人にここに、ミコト様のもとに来ていただけることを嬉しく思います。それと同時にもっとミコト様の良さが伝われば良いのにとも思いましたが、見えないからこそ敬うことができるのかもしれないですね。
「こんにちは」
今度は絶対に聞こえるだろうと、言ノ葉たちの目の前であいさつをしてやりました。何かしらの反応はしてくれるだろうと思っていたのですが、予想外です。こちらをちらりとも見てはもらえませんでした。
私の声など、いや、私の存在すら認識していないかのように微動だにしません。
「これは少し傷つきますね」
沈黙に耐えられずに独りでぼやいていました。どうしたら反応するのか考えている内に、私のそばにいた一匹が通り過ぎてゆく人間に飛びつきました。嬉しそうに小さく「キキキ」と鳴いております。
その人が拝殿の前で祈るころには、更に何匹もの言ノ葉たちで賑わっていました。その様子を見て私の眉にしわが寄ります。
(人に引っ付くときには俊敏な動きを見せるのですね)
彼らの表情から感情は読み取りにくいですが、嬉しそうにしているのは分かります。少し憎たらしくなって、私の真横にいた一匹を指でつついてみました。が、何も起こらずにただなすがままにされています。私の指の力加減に合わせてゆらゆらと揺りかごのように揺らされているのに、その顔は何事もない澄まし顔でした。
もう2、3つついてみました。するとさすがに鬱陶しかったのか言ノ葉は3歩程私のそばから離れ、私の指の届かない場所へと移動してしまいました。それでも相変わらず目線は参拝者の方々へと向いており、無表情のままです。
(参拝する人々以外に興味を持たないのですかね)
そもそも願いの強さに反応しているだけのようですので、人そのものに興味があるわけでもなさそうです。人々が願いを唱え終わると散り散りになるわけですし。
そういえば同じ人間でも社に奉仕している者にも私と同じく興味がないようなのです。今、月冴さまが社務所からこちらを見ておりますが、彼女の周りには言ノ葉たちは一匹もおりません。ということは彼らは人自体ではなく、願いそのものに興味を示しているだけといえますね。
ずっと見つめておりましたら月冴さまと目が合ってしまいました。特に用があるわけではないので、会釈だけしてまた言ノ葉たちへと向き直りました。
今日1日を使って言ノ葉たちを観察して分かったことと言えば以下の4点くらいでした。
そもそも自我や意思はなさそうということ。
参拝者の願いにのみ興味を示すこと。
願いの強さに応じて付く数が変わること。
そして拝んで願いを唱えたら、その者から離れて散り散りになるということ。
以前ミコト様が“願いの種類によっても反応が違う”と仰っておりましたが、残念ながら今日はそのような様子は見られませんでした。まあ、そんな頻繁に良くない願いをする者が現れても困るのですが。しかしそういった反応をするということは、言ノ葉たちはこの社に参拝をする方々の願いの強弱や善悪を測る役割を担っていることになります。それは熱心な仕事人といっても良いのではないのでしょうか。まあ、それもミコト様が大して気にしていないので役に立っているかは触れないでおきましょう。
ずっと彼らを集中して観察し続けていたせいか、気が付けば日が傾き橙色の光が青空を下方から侵食している最中でした。夕日の光は空だけではなくこの社も同じ色に染めてしまうようです。
もうすぐ夕拝の時間になってしまいます。その前にミコト様とお話ししようと振り返った途端、都合よく拝殿の扉からミコト様が歩いて御出でになられました。
「どうやら非常に真剣な様子じゃったのう」
「お疲れ様です」
ミコト様は私の顔を見て満足そうに頷くと、私の前でしゃがみ込んで目線を合わせてくださいました。
「で、どうじゃったかの」
「それがですね……」
私は今日見てきたこと、分かったことをすべてお話ししました。結果は取り立てて面白いようなものではありませんでしたが、ミコト様は私が話すすべてをただ微笑みながら頷きながら聞いておられました。
「結局、新しいことは分かりませんでした。本当に、あの者たちは一体何者なのでしょう」
「まあ、そういうものじゃて。特に意味もなく生きておる者がおるのは人もあやかしも同じじゃ。
まあ、そなたは1日頑張ったようじゃのう」
まるで我が子にするように、ミコト様は私の頭を優しく撫でました。いえ、私はミコト様により生まれたのですからそれは正解なのでした。
「でも」
「いいのじゃよ。そなたが何かを思いつき、何かを決めて実行した。それが価値あることなのじゃからな」
「そういうものでしょうか」
「ああ。近頃はわらわの与り知らぬところでもそなたは行動し、何かを得ているようじゃからのう。良いことじゃ」
そういえば最近はミコト様が熱心に拝殿の中にいらっしゃることが多いので、一人で行動することが多いような気がします。褒められるのは嬉しい事ですが、出来ればもう少し一緒にいたいと思ってしまいます。
「ミコト様は最近お忙しいようですね」
「なんじゃ、寂しいのか」
素直に頷いて見せるとミコト様はにやりと笑って私を抱きすくめました。仕事をさぼられているとそれはそれで不安になりますが、こうも熱心だと寂しく思ってしまうのは不思議な感情です。ミコト様の腕の中は清らかな木々の匂いがしました。この前訪れた鎮守の森の奥の空気に似ています。
「ほんとうはちっと手を抜きたいのじゃが」
「それは駄目です」
「ありゃ」
口では不真面目なことを言いつつも、実際は誠実に己のすべきことを成す方だということを私は知っております。笑いながら冗談を跳ね除けると、やはりという目でミコト様もまた笑いました。
「ま、そなたはこれからもどんどん色々なものに興味を持って進んでゆくと良いぞ。わらわや社の者もついておるわけじゃからな」
「はい」
私がたくさんの方に見守られていることも承知しております。皆優しくていい意味で世話好きな方たちばかりですから。
改めて考えると少し気恥ずかしさを覚えながら、それでも感謝を示すように私はミコト様にはにかみました。
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