4話 他愛無い話


 空がどんよりと暗く沈んだ雲を浮かべて、弱い雨をしとしとと降らせています。数日前までは真夏日と呼ばれ日差しが攻撃的でしたが、今日は雨に混じって吹く風が少し冷たく感じます。茹だるほど暑かったのが嘘のようです。気温の変化が激しいほど体調を崩しやすいと聞きますので、気を付けなければなりませんね。

 本日の社はというと相変わらず細々とした客足で、人々の砂利を踏む足音だけがかすかに聞こえるとても静かな日です。私も相変わらず賽銭箱の後ろで人々の様子を眺めておりました。ふと何者かの気配がしたので縁の下を覗くと、2匹の猫が寄り添ってうずくまっておりました。目が合ったので挨拶をすると、ぷいと顔を反らされてしまいました。


「こう雨が多いと気分も参るのう」


 拝殿の中にいたミコト様がひょっこりと顔を出して私を見下ろしました。やれやれ、という表情でしたが私と目が合うとにっこり笑ってくださいます。


「涼に紫陽花でも植えてもらおうかのう。そうしたら梅雨も楽しみの一つになるかもしれんな」

「ミコト様は花がお好きですか」


 以前も桜を褒めていたこともあります。きっと季節の花には目がないのでしょう。


「そうじゃなあ、やはり美しいものは良いな」

「そうですか」


 紫陽花。話には聞いていますが、実際に目にしたことはありません。どれほどに美しいのか見てみたくなりました。と、花の姿を想像していたら会話が途切れてしまったので、外の様子をミコト様と一緒に伺うことにします。

 ここは拝殿の軒下になっているので濡れませんが、道の真ん中では言ノ葉たちが雨に打たれながら、数匹で固まりぼうっとしております。濡れても気にしないのか、目を開けたまま空を見上げて雨が降るさまを眺めているようです。時折人を見つめて「キキキ」と鳴いておりました。


「そういや、この時期になると“あいつ”を思い出す」

「あいつ、とは」


 私が首を傾げると、ミコト様は何も言わずにとある場所を指さしました。

 そこは拝殿のすぐ隣にある、人丈ほどしかない小さな社でした。小さいとはいえ立派に作られており、そういえばここのついでにそちらにも手を合わせる人たちもちらほらいたような気がします。


「あれは摂社せっしゃと言ってな、わらわの他に神を祀っておったのじゃ」

「どなたか神様がいらっしゃるのですか」

「まあ、正確には祀って“いた”じゃな」


 ミコト様は意味ありげにふふんと笑いました。表情に別段陰りもなく、ただ懐かしい旧友を思い出している、といった風です。


「あやつはここの土地神でな、昔からここにいたんじゃが。ちょうどこの時期、隣の神社の大祭前に引っ越していったんじゃ」

「へえ……」

「その時の台詞がまた薄情での。“あっちの方が賑やかで広い”じゃと」

「えええ」


 複雑な気持ちの私とは反対に、ミコト様は笑い話だとでもいうようにくすくすと笑ってらっしゃいました。


「あやつは昔から祭り好きじゃったからの、当然と言えば当然じゃ」

「ミコト様はそれでよろしいのですか」

「まあな。じゃが、勝手に出て行ったゆえ人側の手続きができてなくての。社は空っぽじゃが名前はまだここにあってここで祀られておるのじゃよ。

 人間にしてみればちっとばかり切ないのう」


 何もないところに祈る、か。確かにミコト様の言うとおり、今まであの小さな社には誰の気配も感じたことがありませんでした。むしろ摂社というものがあることすら気づきませんでした。

 いや、目には見えていたのです。しかし、いくら景色として見えていても気に留めることが無かったのであれば、それは見えていないことと同じなのです。それほどまでにあの社は長い時の中、多くの人が気に留めないまま通り過ぎてしまうほど存在が薄くなってしまっているのでしょう。それでもそこに手を合わせる人々がいることにやるせなさのようなものが込み上げてきました。


「ミコト様は寂しくないのですか」

「わらわはなんとも」


 あまりにあっけらかんとした答えでしたので、私の方が顔を歪めてしまいました。それを見てミコト様少し驚き、苦笑しました。


「なぜそなたが泣きそうになるのじゃ」

「悲しくもなります」

「別に今生の別れをしたわけではないぞ?神同士、年に一度は必ず顔を出すしのう」

「え」


 俯いていた顔を上げると、なるほど、という顔と目が合いました。


「そうか知らぬのか。わらわたち神は年に一度、出雲に行き顔を合わすのじゃよ。報告と会議じゃな。神無月という名前の由来じゃぞ」

「な、なるほど」


 神無月は10月。出雲とはここからどの程度遠くにあるのか私には分かりません。しかし、全国の神が一堂に会する光景はさぞ圧巻だろうと想像しました。


「ま、あやつも元気に居候しとるようじゃし、もうここへは戻って来んじゃろ。

 ……おお、また人が来たな。わらわはまた仕事に戻るぞ」

「いってらっしゃいませ」


 そう別れの言葉を告げると、また扉をくぐって拝殿の中へ入って行ってしまいました。


 私はというと特にするべきこともないので、またこの社を見守ることにしました。

 相も変わらず言ノ葉たちは、今しがた来た人間の肩に張り付いており、人間が賽銭箱の前で願いを唱えるまではなれません。気ままに見える彼らですが、人の願いには否応なく反応してしまうようです。

 そんな彼らの繰り返しの行動をいつまでもぼうっと眺めていられるほど、今日はとても静かでした。


「何かをしようにも、無意味に雨に濡れるのは少し嫌ですからねえ」


 そう自分に言い訳をしてさらに遠くを眺めていると、玲さまの後ろ姿が見えました。あの蛇の目傘を差して社務所に入ってゆきました。同じ格好をして、傘を差して頭が見えなくてもあの二人はすぐに見分けがつきます。姿勢や歩き方、仕草一つ一つとっても特徴があるのです。神職らしくいつでも優美な振る舞いの涼さまに比べて、祭事でない時の玲さまはいつもどこか気だるげです。

 そういえば、今日は朝拝以来涼さまの姿を見ておりません。気になったので後を追いかけて、私も社務所へと足を運びました。



「あ、何してんだよ。びしょ濡れじゃねえか」


 授与所の窓から中に入り挨拶をした途端、玲さまは困った顔をして手招きをしました。大人しく従って駆け寄ると、手拭いを頭から被せられ少し乱暴に私の頭をかき回されました。


「わ、わ」

「ったく少しは考えろよ」


 呆れ声の中に心配と優しさを感じて私は思わず笑みがこぼれてしまいました。不服だったのか、私の髪を拭く手に力がこもり眉間の皺がさらに深くなってしまいました。しまった。


「お前なあ」

「すみません、痛いです」


 痛いと抗議するとやっと強い力から解放されました。助かったと思いぶるぶると体を震わせ自分でも体の水気を飛ばしました。しかし、服の方はしばらく時間が経たないと乾きそうもありませんでした。


「雨が強くなってしまいましたね」

「そうだな」

「あの、涼さまはどちらへ」


 まさか体調でも崩されたのでしょうか。ですが返ってきた答えは意外なもので、玲さまはどこか誇らしげに答えてくださいました。


「あいつは隣の神社にいるぜ。あっちの例大祭の準備の手伝いをな」

「手伝いですか?」

「ああ。基本的に大きな行事は近隣同士、お互い助け合わねえとな。ウチの大祭の時もそうだ。持ちつ持たれつってやつだな」

「へえ」

「俺も涼と交代で行ってるんだがな。あそこは祭りの規模がでかいから準備もだいぶ前から始めてるみてえだ。大変だよなあ」


 そういえば来月に隣で大祭があると、いつだったか涼さまが言っていたのを思い出しました。

 私は祭りは初めてです。この社から出てはいけないとミコト様から仰せつかっておりますが、果たして私も顔を出すことができるのでしょうか。


「そうだ、今年も涼が祭りの演奏に加わるんだとよ」

「そうなのですか」

「おう。毎度何かしら助っ人に行ってんだけどよ、やっぱ重宝されんだよなあ楽器の巧い奴は」

「ぜひ見たいです……!」


 涼さまの晴れ舞台となれば見ないわけにはいゆきません。こうなったらミコト様に拝み倒してでも演奏の時は見に行きたいものです。


「どうせ月冴やじいさんも見に行くだろうし、皆で行こうぜ」

「はい!」


 それからしばらく玲さまと他愛ない話をしていると、いつの間にか雨が止んでしまいました。まだ空は灰色の雲が重くのしかかっていますがひとまずは安心、と言ったところでしょうか。


「玲さまもその傘を使うのですね」


 少し気になっていたので傘の話題を振ってみると、存外穏やかな返事をされたので驚きました。


「ああ、お前らが言うから俺もこいつと話してみたんだよ」


 そう言いながら玲さまは扉にあった傘を掴んでこちらまで持ってきました。合わせて私も傘の柄に手を置きます。


“話すのは久しぶりだね、神使君”

「ええ、お元気そうで何よりです」

「触らなきゃ声が聞こえないっつうのは、むしろそこら辺のうるさいあやかしよか何倍もマシだな」


 意地悪な言葉を遣っておりますが、どうやら初対面の時のような敵意は無いようです。私はほっと胸を撫で下ろしました。


“ここはとても穏やかな時間が流れているね。羽根を伸ばしすぎてしまう”

「気に入っていただけたようで」


 傘も今ではすっかり気持ちが落ち着いたようで、声色が前より自然になったような気がします。少しでも心の傷を癒やすことができたのならば、これほど良いことは無いでしょう。


“君は玲といったね”

「ああ」

“君のように人と話したのは初めてだったので驚いたよ。それと、あの涼という青年もとても良い氣を持った人間だ”

「あんま吸い過ぎんなよ」

“大丈夫さ。私は人に害を及ぼすほど落ちぶれてはいないさ”

「なら良いが」


 前にもミコト様が仰っていたように、確かに玲さまには心配性のきらいがあるのか涼さまのことになると途端に慎重になると言いますか、過保護になるような気がします。実際は涼さまはとても元気に見えるのですが。


“おや、噂をすれば青年が社に帰ってきたようだ”

「便利だなお前」

“人の気配を感じるのは得意でね”


 そういった訳で私たちは室内で話をするのをやめて外に出ると、ちょうど涼さまが隣の神社から帰ってきたところでした。


「お」

「ただいま」

「(おかえりなさい)」


 涼さまは玲さまから傘を受け取ると、日はかげっていますが差して頭に掲げました。


「次は」

「来週。あとは音合わせだけだし、また俺が行くよ」

「おう」


 二人で言葉を交わした後、涼さまは私にも挨拶をしてくださり、私も続けて挨拶をします。そこで何か思い出したように玲さまが「ああ」と呟きました。


「そういや涼、神使サマがもっと気軽に接してくれってさ」

「気軽に?」

「俺や月冴にするみてえに、くだけた感じでいいって」


 はて、私は玲さまに相談したことがあったでしょうか。確かに涼さまに敬われる度にそんなことを思っていましたが……

 もしかしたら私の独り言を聞かれていたのかもしれません。恥ずかしいですが、日頃から私を気にかけてくださったことに嬉しさも感じます。こうして一緒に過ごしていると、人の本質と言いますか、意外な一面も垣間見えるものです。


「そんなこと言ってこいつが一番敬語なんだけどよ」

「へえ……ねえ神使様、さっきの話は本当ですか」

「(はい)」


 涼さまが私の様子を伺うように顔を覗き込んできました。今は玲さまの肩に乗っていたので必然と私が見下ろす形になってしまいます。私が肯定の返事をすると、どこか照れくさそうにはにかみました。


「ええと、じゃあよろしくね、神使様」

「(よろしくお願いします)」

「顔が近え……」

「あ、玲さま。ありがとうございました」

「ん」


「何だか楽しそうじゃのう。わらわも混じるぞ」

「あ、ミコト様。お疲れ様です」


 いつの間にか私と玲さまの背後にいたミコト様は、そう声をかけると強引にみんなの輪の中に入って来られました。


「俺の周りに集まんな狭い」

「まあそう言うなて」

「どうしたの?」


 事の把握ができない涼さまが疑問を投げると、玲さまは私たちの間に距離を開けながら面倒くさそうに呟きました。ミコト様にまでその態度は失礼ですね。本人が怒らないので私は何も言いませんが。


「神サマまで寄ってきやがった」

「え、ミコト様が!すごいじゃないか。どこ、どっち向きにいるの?」

「ここ」


 玲さまが指を差した方向に向かって涼さまは恭しくお辞儀をしました。ミコト様もご機嫌にお辞儀を返します。


「お前はすげえよな、信心深いというか疑わないというか」

「だって玲がそういうんだから本当なんでしょ」

「ま、そうだけどよ」


 確かに、“見えないものを信じる”というのはとても難しいものです。なにせ自分ではその存在を証明できないのですから。涼さまに手放しに信頼されて気恥ずかしいのか玲さまは目を反らして顔を背けてしまいました。


「よいよい、楽しいぞ。この社もずいぶん賑やかになったものじゃ」

「そうでしょうか」


 私には落ち着いた雰囲気に思えますが、ミコト様には違って見えるようです。


「ああそうじゃ。人もあやかしも寄りつかぬ場所などを守ってもちっとも楽しくないからのう」


 ミコト様はぐるりとその場を一回転して見回しながら、しみじみと仰ったのでした。





「さて玲。油を売るのはここまでにして、そろそろ夕方の清掃をしようか」

「は?」

「雨はやんだし、やることはやらなきゃ」

「戻ってきて早速だな。真面目かよ」

「お前がだらしない」


「確かに、賑やかかもしれないですねえ」

「な、そうじゃろ」


 立ち話も終わりにするようでしたので、私たちもその場を離れ拝殿の軒下に腰かけます。そして遠くから、ああ言って悪態をつきあいながら笑いあう二人を見守るのでした。

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