3話 月冴の憂鬱
私はこの社が好きよ。とても静かで、厳かで、落ち着けるもの。
この境内に足を踏み入れた瞬間から、どこか現実から切り離された気がするの。そんな不思議な感覚。ここだけはきっと他と違って時の流れ方が違うのだと思う。
だから、最近のとあるブームにほとほと嫌気がさしている。
***
今日は久しぶりの快晴で、いつもより気分も晴れやかに過ごせています。言ノ葉たちも無表情ながら心なしか嬉しそうに見えます。それともここへ参拝する人々の感情を反映しているだけなのでしょうか。いまだにこのあやかしの生態は分からないままなので、あとでじっくり調査してみるのも面白いかもしれません。
それにしても最近は太陽が沈むのが遅くなりました。今ももうすぐ夕拝の時間だというのに空が明るいままです。基本的に私のような動物は日が落ちたら眠るものなので、つい夜更かししてしまいがちになってしまいます。
さて、今日は久々に
私は授与の窓口から部屋に入り、月冴さまに声をかけることにしました。
「(ずいぶん熱心に読まれていますね)」
「あら」
あまりに集中して読書をされていたので声をかけるのを少しためらってしまいましたが、思ったよりも軽い返事が返ってきました。彼女はぱたんと勢いよく本を閉じ、私の方へ体を向けました。
「さぼってるんじゃないのよ。ほら、自分で言うのもなんだけど努力家だから、私」
先ほどまで読んでいた本の表紙を指さしているので覗き込むと、なるほど、神社の知識本だったみたいです。基本的な作法と知識が書いてあるようで私も興味が湧いてきました。頼めば私にも貸してくださるでしょうか。
「(これはこれは)」
「今日の仕事は私が手伝うほどじゃなかったみたいだから、ここでお留守番ね」
そう言って月冴さまは窓から顔を出して外の様子を注意深く見始めました。それはまるで何かを探しているかのようなそぶりだったので気になって同じように視線を追ってみます。途中、掃き掃除をしている涼さまが目に映りました。
「そろそろね。今日こそ言わなきゃ」
「(はて。誰に、何をでしょうか)」
何か敵を探すかのような鋭い視線に思わず私は生唾を呑みこみました。もともと月冴さまは鋭く冷静な目つきをしていますが、さらに拍車がかかり殺意のおまけもついているようです。
しばらくそうしていると、やがて境内が騒がしくなってきました。声のする方に目を向けると、最近よく見かける制服姿の女子が三人ほどこちらに向かって歩いてきておりました。
「(月冴さまと同じくらいの年齢に見えますが…ってうわあ)」
話しかけながら月冴さまの方を向いた私は驚きのあまり妙な声を出して後ずさりしてしまいました。どうやら彼女のお目当てはあの女子たちだったようで、般若の様に目を見開き眉間にしわを寄せて睨んでおりました。
「また来たわね」
苦々しく呟いた直後、女子たちの嬉しそうな声が響いてきました。
「ラッキー、今日は近いんだけど」
「あの和風傘似合う!映えるわ」
「ねね、行っちゃう?」
あの三人の視界の先にはなんと涼さまが。なるほど、彼もなかなか隅に置けないですね。
そう感心していたのも束の間、いつの間にか社務所を出ていた月冴さまがずんずんと彼女たちに歩み寄って声をかけたのです。
「ねえ、ちょっといいかしら」
「あ、月冴じゃん」
いきなり決闘か何かが始まるのではないかと肝が冷えましたが、どうやら知り合いだったようで安心しました。
「巫女服かわいいねえ」
「そう、ありがとう」
可愛らしくお礼を言ってはいますが、依然その顔は殺意に満ちすぎて無表情です。先ほどの安心が塵の様に消え失せました。
「来るのは良いのよ。でもね、ここは神聖な場所だから。ちゃんと参拝してほしいの」
「えー」
「あとあの宮司さんはアイドルじゃないんだから、黄色い声は出しちゃダメ」
「でたでた、月冴はマジメちゃんだねえ」
そうなのです。実は彼女たちは以前からきちんと参拝をしないできゃあと何かに騒いで帰ってしまっていたのです。その目的が涼さまだとは驚きましたが、せっかくの月冴さまの注意もけたけたと笑って茶化す彼女らに私まで憤りを感じてしまいました。
どうすれば分かっていただけるのでしょう。私が押し黙って考えている内に、月冴さまの方が動いてしまいました。
「ねえ、とても残念なのだけれど……」
喧嘩してしまう!と焦ってしまいましたが、どうやら杞憂のようです。私が思うより彼女はずっと落ち着いた大人でした。
「彼はもうすぐ三十路になってしまうのよ」
「ウソだ!!!」
「本当よ、だって考えてみて。宮司って神社で一番偉い神主さんなのよ、十代なわけないじゃない」
「詐欺だあああ」
女子たちはそろってうずくまり頭を抱えだしました。残酷なことに、彼女たちの淡い恋心は無残にも砕け散ってしまったようです。
……それはそうと、今の会話が涼さまに聞かれていないことを願います。
「ショックだわ……」
「でも斜め上過ぎて逆に立ち直れる」
しばらく唸って気が済んだのでしょう。のそのそと立ち上がった彼女たちの顔は不思議と晴れやかでした。
「ねえ月冴、せっかくだからホントのお参りの仕方教えてよ」
「そうだね、何かの縁と思って参拝しよっか」
「っていうかここ縁結びの神じゃん」
「……過程はどうあれ結果オーライ、ってところかしらね」
それからというもの、三人と月冴さまの間に謎の友情が芽生えたようです。
鳥居のくぐり方、手水舎の作法、拝殿までの歩き方や参拝の仕方まで楽しそうに一緒に実践して教えてあげておりました。月冴さまの始めの般若の顔が嘘のように笑っています。また三人も素直に話を聞いており、帰るころには御守り、書き置きご朱印もろもろで両手がふさがっておりました。あんなに奉納させるとは、月冴さまは中々のヤリ手のようです。
嵐が去り、再び静かになった境内を月冴さまはしみじみ眺めて呟きました。
「やっと静かになった」
私は月冴さまの肩に乗って、ねぎらうように額を彼女の頬に擦り付けました。くすぐったかったのか、少し笑って身じろぎをしました。お返しだと言うように指でくちばしをくすぐられてしまいました。
「私はね、この社が好きよ。いつまでも厳かで、落ち着いていて、非現実であってほしい」
「(非現実、ですか)」
「それは私たちだけじゃなく、来る人たちにも守ってもらわなきゃね。
今日は更生大成功だわ」
私はそこで社務所での本のことを思い出し、あっと声を上げました。あの本は自分のためではなくて、彼女たちに教えるために一から学び直していたのだと。
「(本当に、貴女は努力家ですね)」
「月冴、今の女子高生たちは友達?」
いつの間にか涼さまがすぐそばまで来ていたようで、月冴さまの顔を覗き込んでいました。月冴さまは少し悩んで、正直に答えたようです。
「そうだと言えばそうなるし、違うと言えば違うわね」
「ふ、複雑だね。
でも、ちょっと彼女たちには困っていたから助かったよ。あんまり強く言うわけにもいかないしね」
「そ、そうね。でも涼兄もはっきり言った方が良いわよ」
「そうだなあ」
「あ、あのね涼兄」
「なんだい」
「さっきの会話、どこまで聞いていたかしら」
あんなに目立っていたのですから、もしかしたら聞かれてしまっているかもしれません。月冴さまは申し訳なさそうにもじもじしながら目を泳がせておりました。涼さまはというと特に気にしている風もなく何でもないように笑います。
「聞き耳は立ててないから安心して」
「そう……」
月冴さまは心の底から安心したようにため息をつきました。胸に手を当てて深呼吸し、体の力を抜いているのが分かります。
「そうだ、玲がもうすぐ帰ってくるからもう少しここにいなよ」
「そうね、そうしようかしら。清掃手伝うわ」
「ありがとう」
二人は仲の良い兄妹のようです。微笑ましく見守っていると、先を歩いていた涼さまがふと歩みを止め、こちらを振り返りました。穏やかな笑顔をたたえていましたが、心なしか目元に不穏な影が見えます。
……まさか。
「俺はまだ三十路にはならないよ」
私と月冴さまが凍りついたのは言うまでもありません。
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