2話 不穏
「玲さま、私はあなたの御力が強いと常々聞いているのですが、実際に証明していただいたことがありません」
「な、なんだよ急に」
「そもそも力とは何なのですか、強いとはどの程度なのですか!知りたいのです」
そんなことを勢いでまくし立てた私に玲さまはたじろいで、歯切れの悪い返事をすることしかできなかったようです。
***
事の始まりは朝拝の後のことです。
梅雨も始まり今日で三日連続の雨が降り続き、じめじめと湿気を帯びた空気が肌にまとわりついてきます。私の鳥の羽もまだ雨露にさらされていないというのに水分を含んでしんなりしてしまっているように感じます。
そんな日ですから皆の気分も落ちてしまい、終いには玲さまが愚痴をこぼしてしまうほどでした。
「やる気がせん、今日はこのまま寝てえなあ」
「玲はいつもたるんでるような気がするんだけどなあ。とりあえず神の御前で愚痴はこぼさない」
玲さまはこの社の代表として様々なところを飛び回っている時はとても凛々しいお姿なのだそうです。しかし、私はそんな彼の姿など一度たりとも見たことがありません。こうしてだらしなく愚痴をこぼしているところばかり見ているので到底信じることができないのです。
このままでは私は玲さまのことを涼さまと同等に敬うことができなくなってしまいそうです。いや、もうすでにできなくなりかけています。そうしている内にまただらしなく欠伸をしております。
我慢のならなくなった私はついに立ち上がり、冒頭の発言に至るというわけでした。
「もう私は玲さまのことが良く分かりません」
「そうじゃなあ、そなたにはこんな醜態しか晒しておらぬからなあ」
私たちの様子を横から見ていたミコト様が寝転んで頬杖を突きながら「うんうん」と頷きながら呟きました。
「醜態って」
「どうしたんだい玲」
事の把握ができずに首を傾げる涼さまに、玲さまは隠さず説明しました。そういうところは潔いとは思うのですが……
「俺が普段だらしねえから神使サマがお怒りだ。実力を見たことが無くて信じられんからいっぺん力を見せてみろ、だとさ」
「ああ……」
涼さまも納得したように力ない相槌を打ちました。どう助け舟を出したらよいかわからない、という感情がありありと表情に現れてしまっています。
「そうだね、一応玲はきちんと仕事はこなしているんだけどね。昔から口と態度と顔のせいで不真面目に思われてしまうよね」
「……お前が一番毒舌だわホント」
この二人のやり取りは見ていて面白い。やはり双子だからでしょうか、漫才のように会話の息がぴったりです。しかし流石に傷ついてしまったのか玲さまはがっくりと肩を落としてしまいました。
「じゃあ、見せてあげればいいんじゃないかな」
「は?」
「今日は大きな用事はないからもう少しくらいゆっくりしても大丈夫だよ。俺も久しぶりに凛々しい玲が見たいなあ」
「お、それは良い考えじゃのう」
「だってよそ行きの時しかちゃんとしないからさ」
「一度見せてやれば百舌も納得するじゃろうて」
まるで聞こえていないのが嘘のようにミコト様と涼さまも息の合った相槌を打ちました。まあ、ミコト様が合わせているのですが。
「おいちょっと待てよお前ら、やんねえよ恥ずいだろ」
この流れはまずいと思ったのかぴしゃりと言い放ちましたが、私たちも引き下がりません。しばらく睨み合っている内にとうとう玲さまの方が根負けしたようです。やれやれと両手を上げて降参の合図をしました。
「分かった。やるよ、それで満足すんならさ。けどよ」
そう言うと、玲さまは辺りを見渡しました。ふとご神体に目が留まったようです。
この社の本殿には二種類のご神体が保管されています。人の頭ほどの大きさの銅鏡と、翡翠で装飾を施した刀身のない柄のみの剣。
「期待されないように最初に言っておくが、俺は別に戦う神主サンとかじゃねえからな。祈祷や祓いは別にお前らには必要ねえし、占いじゃ準備が多いし……そうだ」
何かひらめいたようにご神体の前まで行くと、迷いなく剣を手に取りました。
「神使サマはこれを使った儀式は見たことねえだろ」
「はい」
玲さまは得意げに、慣れた手つきで剣を一振りして見せました。黒の柄にちりばめられた翡翠の装飾、鮮やかな緑の飾り紐がゆらりと舞い、とても綺麗でした。
「あの鏡は門外不出だが、この剣は年に一度の大祭の時に儀式で使うんだ」
「大祭は確か秋の終わりごろでしたね、私はまだ生まれていませんでした」
大祭とは、その社の神に最も重要な意味を持つ祭祀のことを言い、この社にももちろん存在します。秋の終わり、それはミコト様が神として目覚めた時期であり、いわゆる生誕祭というやつです。
「まあこの神社は小さいしそこまで大々的な祭りじゃねえんだが、それでも大祭最後の儀式の舞は圧巻だぜ。
……まあ、俺が舞うんだが」
「えっ」
「こうやって、な!」
突然の風を切る音に驚きましたが、それだけではありません。構え、空を切り、回る。それは大祭の儀式の舞の一節の再現でした。
大勢を剣でなぎ倒すかのような力強い動きですが、舞らしい軽やかで美しい所作でした。玲さまが剣を振るたびに、シャン、シャンと心が洗われるかのような良く響く音が鳴ります。柄の中に鈴が入っているのでしょうか。
「不思議だなあ。玲が剣を振る時だけ、こんな綺麗な鈴の音が鳴るんだ」
「この音は人の心の穢れを浄化するのじゃ。音が響くほど、またそれが美しい音であるほどわらわの力を受ける器が大きいということじゃ」
シャン!と一際大きな音が鳴ったところで、玲さまは舞をやめました。私は圧倒され、小さく息をすることしかできません。
「どうよ」
「わあ……」
普段からは想像もつかないほど凛々しく実に神職らしい、威厳のある姿でしたね。
そんな余計なひと言も普段なら難なく言えたのですが、今の私は何も言えずただ感心することしかできませんでした。純粋にただただ感動しています。
「神使サマは生意気だが意外と素直だよな」
「可愛いじゃろ」
「あ、神使様」
そこで思い出したように涼さまが私に話しかけました。我に返り振り返ると、そこには玲さまと同じように得意げな顔をした涼さまがおりました。
「玲が舞う間、俺は演奏をしているのですよ。雅楽は得意なんです。今度俺も楽器をここへ持ってきて演奏して差し上げますね」
「こら、まだ俺のターンだぞ割り込みすんな」
「もういいでしょ」
「正当な才能に話題を持ってくな立つ瀬がない」
「玲のは唯一無二の才能だから立つ土俵が違うんだよなあ」
なにやら言い合いが始まってしまいました。喧嘩するほど仲が良い、ということなのでしょうか。私はどうしたものかとミコト様を見上げて助けを求めますが、嬉しそうにその様子を見守っているだけでした。
「そなたも涼の演奏を後で聞くと良いぞ。あまりの巧さに他の神社から応援要請が来るぐらいじゃからのう」
「それは楽しみです」
すると突然、あ!という声と共に双子の言い争いは終わりました。
「そうだ、もう一つこの剣で出来ることがあるんだった」
そう言い放つと同時に玲さまは目をつむり、聞き取れないほどの小さな声で何かを唱え始めました。シャン、と再び柄を振ると刀身があるべき窪みから小さな玉が一つ飛び出してきました。透き通った金色をしています。
それを見たミコト様がなぜか一番感心し、前のめりにそれを覗き込みました。
「神サマの力のほんの一部を俺の力で具現化することができる。綺麗な色は神サマの力を忠実に具現化してる証だ。俺の力が強いっつうことだな」
「金色とは驚いたのう……宗治ですら緋色じゃったというのに」
何色が正解なのかは分かりませんが、どうやら金色は相当すごい事のようです。
ふと私はあることを思い出しました。念玉を前にも見たことがあるのです。
「ミコト様、4月に訪れた娘が持っていたものにそっくりです」
「ああ、あれか。たしかにそうじゃ、同じように神の力を込めた玉じゃ。強力な守りになるじゃろうて」
ミコト様の力がこもった念玉。ぜひ欲しいと思いましたが玲さまは涼さまに手渡してしまいました。駄々をこねるのも変ですし、残念に思いながらそれを見守っておりました。
「やるよ」
「いいのかい?ってうわ!!」
どうした事でしょう。涼さまが玉に触れた瞬間、小さな破裂音がして跡形もなく粉々になってしまったではありませんか。先ほどまでの空気は何処、緊張で静まり返ります。
「おい大丈夫か!」
「ちょっとびっくりしたよ、どうしたんだいこれ」
皆を心配させまいとにっこり笑う涼さまでしたが、私は当然落ち着くはずもなく。おろおろと掌をさする涼さまを見つめることしかできませんでした。
残りの二人は険しい顔で押し黙ったままです。どちらからともなく目で合図し合って意思疎通をしているようでした。
「おい、これって」
「そうじゃな……」
当の本人たちは真剣な表情でしたが、私はそれを見て二人にしかわからない合図を送っていることを羨ましい、と場違いなことを考えてしまいました。
しばらくして玲さまが重い口を開きました。
「おい涼、しばらく境内から出るな。一歩もだ」
その言葉に驚いたのは私だけではありませんでした。涼さまも戸惑いを隠しきれません。
「ええ、困るよ。もうすぐ隣の神社の大祭準備の手伝いもあるのに」
「俺がやる」
「玲は楽器下手くそでしょ」
事の大きさは私にはわかりませんが、玲さまはまだ真剣な目をしています。このことから、冗談を言っているのではないことは分かりました。それにしても突拍子もない台詞です。神職として奉仕している涼さまと平行線の言い合いになってしまいそうな予感がしました。
「まだ詳しいことも分からんうちから焦るな、玲」
ここで一言、ぴしゃりとミコト様がこの場を諌めました。鶴の一声とはまさにこのことだと感じました。
「だが、神サマよ」
「分かっておる。じゃが、わらわが今まで気付かなかった所を見ると“同業者”の可能性もある。そうなると動きがない事には……今のままではどうにも出来ん」
「んな悠長な」
「あ、あの。これはどういう」
訳の分からないまま話が進み、私と涼さまは置いて行かれてしまっています。私が説明を求めると玲さまは少し悩んでから、言葉を選んで説明してくださりました。
「今しがたあれは神の力を込めたお守りだと言ったよな。しかも割と強力なやつだ。
そんなもんがはじけ飛んだんだ、ビビるに決まってんだろ」
「まさか涼さまの身に……?」
「憶測は良くない、現に今は本当に何も感じないのじゃ。玲もそうじゃろう」
「けどよ」
それでも何か言いかけた玲さまの両肩を掴み、ミコト様は真正面に立ちました。
「わらわの加護の中にいるのじゃから安心しておれ。今回のことは探っておく。じゃからお主らは今まで通りでいればよいのじゃ」
「……頼むぜ、神サマ」
「お主らは今日のことは忘れろ。大丈夫、わらわの力は偉大じゃからな」
そなたもじゃ、と私にも釘を刺しミコト様は普段通りの笑顔に戻ってしまいました。
「ささ、お主らももう戻れ。ずいぶんと時間が経ってしまったようじゃ」
***
あれから二人は通常の業務へと戻ってしまったので、本殿の中は静かになってしまいました。ミコト様も外に出る準備をしていますし、私だけがこうして取り残されたようにうずくまっていました。
「そなたも外に出るぞ、今なら雨もやんでおる」
「ミコト様、一つだけ聞いても良いですか」
「……一つだけじゃぞ」
ミコト様は忘れろと仰いましたが、一つだけどうしても引っかかることがありました。無理を承知で尋ねると、呆れながらも答えてくださいました。
「“同業者”とは、ミコト様と同じ神様のことなのですか」
「まあ、なきにしもあらん、というところじゃ」
やれやれといったふうに首を横に振られ、思わず「すみません」と呟いてしまいました。
「本当に何も気配がないのじゃ。誰の仕業でもないかもしれん。とにかく今のところ害はない。
何かあったら全力でどうにかするつもりじゃから、安心してくれんかのう」
「はい。…すみませんでした」
「まあ、そなたも涼を気にかけているということじゃな」
よしよしと頭を撫でられて幾らか不安が薄れました。良くは分からないままですが、ミコト様が仰っていることに間違いなどありません。いつまでも分からないことを悩んでいても仕方ないと思いました。
私はよし、と勢いよく立ち上がりました。ミコト様に続いて本殿の外を出ます。梅雨の朝の空気は水分を含んでいるからか少しひんやりしている気がします。昼なればまたじめじめした暑さになるのでしょう。だから私はこの時間帯が好きでした。
今日もまた一日が始まります。私はまたいつもの特等席に向かうべく、拝殿に向かって飛び立ちました。ちょうど社務所へ向かう涼さまが見えたので、挨拶を交わしました。
この日の真相が明かされるのは、まだずいぶん先の話になるのです。それはもう、本当に忘れてしまったころに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます