1-3話 意思


 傘は一通り話し終えた後、再び深呼吸をして長い息を吐き出しました。それはまるで自身が背負った重い荷物を下ろすように、長いこと降り積もったほこりを吹いて払うかのようにとても深い息でした。

 私は先ほどの傘の言うことがどうも信じられず、ミコト様の方を向き問いかけます。


「それは、つまり自らの命を……どうして、」


 ミコト様は黙ったまま私の口に人差し指を立てて触れ、もう何も言うなと合図をしました。ややあって傘が言葉を紡ぎました。


“私は何も気付けなかった。それほどまでに愚かだったのです。”

「そんな」


 そんなことは無い。という無責任な言葉を呑んで止めました。


「信じられないという顔をうちの神使がしておるが、そういう者は意外に少なくないものなのじゃよ。いつの時代も、なあ」

“私には何もできないのは承知です。が、それでもどうすれば良かったのか、何か止めることができたのではないかと、考えてしまうのです”


 こういう時、私はどんな顔をすればよいのか、どんな事を言えば良いのか分かりません。もうこの傘の中では十分答えは出ているのです。しかしそれでも想いを巡らせずにはいられない。そんな苦しい葛藤の中にいる者にかける言葉を得ているほどの経験や知識は私にはまだありませんでした。

 分からないのなら、何もすべきではないと思います。私はただただ1人と1つの会話を見守ることしかできませんでした。


「そうじゃなあ」


 ミコト様は目を伏せて考えているようでした。ひとつひとつ丁寧に言葉を紡いでおられるようです。


「会話が出来ぬお主だけではない。目と目を合わせて言葉を交わせたとしても想いが伝わらぬこともある。そして、他人がしてやれることというのはあまりにも少ないものじゃ。

 お主もつらかったのう」


 他人。

 言ってしまえばこの傘は親兄弟でもなければ互いを知り得て信頼している友というわけもありません。いわば傍観者であり、本来ならば寄生主である人間に情を抱く必要などないのかもしれません。

 それでもこうして人の様に心を痛めて泣きそうになっている姿は不思議で、しかし尊ぶべきもののように感じました。


「お主は優しいあやかしであるようじゃな」


 まるで母が子を慰めるかのように、ミコト様は傘の柄を撫で続けていました。傘は無言ながら安堵しているように思います。


 私はそんな姿を見つめながら想いを巡らせました。

 あやかしとは、一体何なのだろうか。


 私はもっと淡白で自由な存在だと思っていました。死という概念も、命の定義もない彼らには縛られるものが何もないのだから。自由気ままに生き、それゆえ害を成してしまうこともあると。

 しかし実際にここに訪れた者が語ったあやかしたちの中にはこの傘のように違った者もおりました。人と交わり、語りかけ、そして心を痛めている。そうまでしても人と関わることをやめないのは、やはり私たちには心が存在しているからこそなのだと思います。人と生きる理が違うために最後は哀しい思いをするとしても、関わり続けてしまうのだと、そう思うのです。

 気が付けば、私も口を開いていました。


「私は貴方を尊敬します」


 ぴたりとミコト様の撫でる手が止まりました。彼らが私に注目しているのが痛いほど分かります。一瞬にして緊張の糸が張り詰めましたが、臆せず続けようと私は拳を握りしめて自身を奮い立たせました。


「他者を尊び想うこと、向き合おうとすることは容易に出来ることではありません。貴方はそれだけ繊細でお優しい方なのだと思います。ですから……」


 巧い言葉が見つからず尻すぼみになる私の頭を、ミコト様は優しく撫でてくださいました。それからまた傘に向き直ります。


「のう、傘よ。わらわの社に無意識でもたどり着いたということは、心のどこかで願っていたのではないかのう。

 ……お主はもう、前向きに生きても良いのじゃよ」

“前向き、に”

「そうじゃ。忘れることはしなくともよい。が、お主は新しい人生を迎えても良いのじゃ」


 ミコト様は力強くそう断言しました。迷いのない言葉はどうしてこうも頼もしく力に溢れているのでしょう。それも神のなせる技なのでしょうか。

 しばしの沈黙の後、傘から力の抜けた弱い笑いが聞こえてきました。先ほどまでの強張った雰囲気はもうなく、これが彼の本来の声色なのだと感じました。


“神よ、先ほど私を社に置きたいと仰っていたでしょう”

「今も変わらずそう思っているぞ」

“ならば少し時間を頂きたい。彼女のいた街に、あの駅にきちんと別れを告げた後に、再びここに戻ってくると約束しましょう”



***



「おい涼、なんだそれは」

「良い傘だろう、こんなしっかりしているのに軽いんだ。それになんだか差していると涼しく感じて不思議だなあ」


 後日、この社に約束通り戻ってきた傘はすんなりと涼さまの手に渡りました。詳しい経緯は謎ですが、ミコト様がしたり顔だったことが妙に印象に残っています。そのあとはこうして涼さまに気に入られてよく行動を共にしているようです。

 さすがは長年人の世を渡り歩いていた傘ですから、涼さまの望む通りの機能になっているようで、現代科学で説明のつかない高性能の蛇の目傘になってしまいました。

 そして今に至ります。上機嫌で境内を歩く涼さまを玲さまが見つけ、ただの傘でない事を一目で見抜いたのでしょう。こうして詰め寄っているのでした。


「そうじゃねえよ、どこで手に入れたんだそんな不気味なもん」

「失礼だなあ。この前、朝拝に行ったとき本殿に祀ってあってね。なんとなくミコト様が俺に授けたのかなと思ってありがたく頂戴したんだよ」

「なんでお前はそういう損するところで察しが良くなるんだよ…」

「もしかして、ミコト様からじゃなかったのかな」

「いいや、そうだ絶対そうだよ残念ながら!まじで何考えてんだあいつは!」


 ああ、大変です。想像した通り玲さまは般若のごとく顔を歪ませて踵を返しました。そしてもう涼さまには構うことなくずんずんと別方向へ歩いて行ってしまいました。


「どこへ行くの」

「あいつに!抗議だ!」


 ぼうっとその様子を見届けていたら……しまった。玲さまがいつの間にか目の前に現れ、逃げようとする私の首根っこを捕まえて無理矢理顔を掴まれました。


「おいこら神使サマ」

「あっ、いえ、あの」


 片手で顔を鷲掴みにされ頬のあたりで押しつぶされているので、唇がタコのように寄ってしまいとても不格好な表情にされてしまいました。それに加えて、至近距離で玲さまに睨まれ私は恐怖のあまり視界が涙で滲んでしまっているようです。もともと鋭い眼光が殺気をまとい私に牙を剥いているのです。私はきっとこのままその牙の餌食になってしまうのでしょう。

 ああ、一体ミコト様はどこにいらっしゃるのでしょうか。私が玲さまに取って食われてしまう前にせめて一目だけでもお会いしたかった。


「聞いてんのかお前」

「ひいいい私は美味しくありませんよおお」

「あ?」

「その辺にしておけ玲、可哀想じゃろう」

「てめ…って、あ!」


 ミコト様の声を聞き油断した隙に私は玲さまの手を勢いよく振りほどき、ミコト様へと一直線に駆け寄りました。


「おおよしよし、可哀想にのう。弱い者に非情な奴じゃ」

「あのなあ……」


 玲さまはばつが悪そうに頭を掻きましたが、すぐ気持ちを切り替えたのか本題に移りました。


「なんで涼にあんなもの寄越したんだよ」

「あんなもの、とな」

「傘だよ。知ってるぜ、あの手のは宿主の生気を吸い取って生きてんだ。なんで涼にそんな危ねえもん渡したんだよ」

「それは違うぞ」


 憤る般若の玲さまに屈せずミコト様は得意げにふふんと鼻を鳴らしました。あの者に怯まないのはきっとこの方だけなのではないかと思います。全く意に介さないようでした。


「あの傘は“涼の”ではない、“この社の”所有物じゃ。この社のいろんな人間の活気をほんの少しだけ頂戴するだけの良いあやかしじゃ。まあ主に涼に所持してもらうが、そんな物騒な輩ではないことはわらわが証明するぞ」

「本当だろうな」

「誓って」


 しばらく無言で睨み合っておりましたが、観念したのか先に玲さまが目を伏せて溜め息をこぼしました。


「分かったよ」

「あの傘は今まで特定の人間を一人決めてその者と人生を歩んできた。しかし、こうやっていろんな人間と関わりながら生きてゆくのも悪くないと思ってな。

 それに、こちらにも良いことがあるんじゃよ」


 良いこと、とは私も初耳でした。私たちはじっと次の言葉を待ちます。


「あの傘はその特性ゆえ目には分からない感情の機微きびも氣で感じ取れるらしい。どんなに感情表現が希薄な者でもこの境内に入れば喜怒哀楽や不安、善悪、恐怖、体調の良し悪しまで読み取れるらしいぞ。

 お主らがなかなかわらわに悩みを相談してくれなくとも、何か悩んでいる時は傘に聞けばすぐに分かるのじゃ」

「とんでもないお節介だな、涼には絶対言えねえ」

「干渉するつもりはないのじゃ。ただ、わらわの知らない間にお主らが何か事件に巻き込まれたりしておったら悔みに悔やみきれん」

「そうかい。もういいや、悪用すんなよ」

「わらわを何と心得るか、神じゃぞ」


 やれやれといったように玲さまは首を横に振りました。どうやら一応の納得をしてもらえたようです。


「神とはいえわらわは全知全能ではない。占いだって完全ではないから、我が子のようなお主らが心配で心配で」

「分かった分かった。だが危ねえと判断したらすぐ追い出すからな」

「お主は相変わらず涼には過保護の過干渉じゃのう」

「何か言ったか」

「いんや、何も」

「……そんなんじゃねえよ」


 何はともあれ傘もこの社の一員として迎え入れることになりました。私も時々は涼さまの目を盗んであの傘と会話をしてみようと思います。まだ彼の話を聞き足りないのですから。

 楽しいこと、嬉しかったこと。哀しい思い出の他にもきっとそんな素敵な話があるはずですから、たくさん聞いてみたいのです。


 遠い視線の先、触れられぬほどの距離にいるはずなのになぜか傘のふっ、と笑う声が聞こえたような気がしました。

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