1-2話 化け傘の話


 私どもはモノノケやらアヤカシやらと人々から呼ばれておりますが、そう一括りにされましても古今東西様々な者がこの人の世を闊歩しているのです。

 人を騙し喰らったり弄ぶ者。人に依存し執着する者。または人から隠れるようにひっそり暮らす者。


 私はというと少し特殊でして、人に気付かれないように人の暮らしに紛れて溶け込むのが好きなのです。そこで生き生きとした人間たちの氣をほんの少しばかり頂いて、目まぐるしく変わる時代とやらを眺めているのです。


 そこで人の暮らしに必要な小物なぞに化けるのですが、特に傘は素晴らしい。雨の日は肌身離さずいてくれるので共に街に出かけることができるし、晴れの日でも玄関から主人の生活をぼうっと眺めることができる。

 最近では晴雨兼用の雨日傘とやらも流行っているようで、ますます私は傘に化けるのが大好きになっていたのです。


 しかし今の時代は何もかもが飽和しているようです。モノが溢れかえり、人々は一つのものを大事に扱うことが少なくなっているように感じるのです。

 傘なぞはその最たる例で、一度大事にしたと思えば柄や形にすぐ飽きて捨てられたり、どこか出かけ先に置き去りにされることが多くなってきました。


 ほんの百年前は主人の生涯を微笑ましく見守ることができましたが、今はどうも数年と経たずにまた新しい主人を探さなくてはなりません。

 とても骨が折れますし、なにより寂しく思います。


「わあ、この傘とても綺麗な柄ね」


 どうやらかわいいお嬢さんがお気に召したようです。

 自ら言うのは恥ずかしいものではありますが、私は長年傘に化けてきたせいか、その時代・年代に合わせたものに化けるのが得意なのです。


 私の予想どおり、一人の小さな少女が私の柄に夢中になっています。淡い桜色に白く可愛らしい花の刺繍を施してみました。キャラクターものから卒業して少し背伸びをしたい少女向きです。


 なぜそうしたかというと、先ほども話したとおりでございます。

 また昔のように誰かの生涯に寄り添ってみたくなってしまったのです。一期一会というのも人の世の性ですが、そればかりではやはり寂しい。


 幸い私は化けるのが得意なものですから、歳を重ね大人になるにつれてこっそり柄を変えようと思っていたのです。これで落ち着いた大人になっても問題なく使えるようになる。我ながら良い案でした。


「お母さん、わたしこれがいい」


 私は嬉しさのあまり頬が緩みました。まあ傘ですから頬などないのですが。これから彼女とどんな世を歩むのかとても楽しみでした。


 楽しいと、思っておりました。


 彼女は私のことを大層気に入ってくれたようでした。雨が降る時には必ず私を連れて出かけましたし、そうでない時も玄関の扉をくぐる際は私をチラリと見てまるで挨拶をしてくれているようでした。

 これからこうした穏やかな日々を送ることができると、信じてやまなかったのです。


 しかしどうしたことでしょう。彼女はどんなに私を気に入ろうと、彼女の通う学校には連れて行くことはありませんでした。

 私は学生鞄を持ち出ていく彼女を見送りながら想像します。彼女の通う学校を。そこで過ごす彼女の姿を。素直で優しく、そしてよく笑う彼女のことですから、きっとあちらでも眩しい青春の日々を送っている事でしょう。


 そう信じて止まなかったのですが、どうも実際は違っていたようなのです。とある春を過ぎてから少しずつではありますが彼女の中で異変が起こっていたようでした。

 始めに私は主人の氣を糧にしていると申したでしょう。毎日見守っていると分かるのです。彼女のその氣がだんだんと薄暗い影のように彼女自身を蝕んでいるように感じました。

 これは私の経験上とても良くない状態です。しかし表面上は何の兆候も見られず、彼女の両親も気付いていないようでした。


 彼女は確かに笑っていました。ですが、その変化を感じ取ってからその笑顔に温度を感じられなくなってしまったのでした。



 あれは私が住み着いて二年ほど経った朝のことです。

 その日はちょうどテレビで梅雨明けを宣言していて、空は高く澄んだ青空が広がっていたことを覚えています。彼女はいつも通り制服に着替え玄関に向かいました。すると、私の柄を掴んだではありませんか。

 こんなことは初めてです。学校に行くのに私を連れて行くなどということは。

 しかし外は清々しいほどに晴れ間が広がっています。午後から雨、なんてこともありません。それでも私を連れて行ったのです。



 彼女の学校はバスと電車を利用し、駅から少し歩いた先にありました。とても大きな建物でした。彼女と同じ目的を持った若者たちが次々とその建物に吸い込まれてゆきます。


 ところが彼女は門の前で立ち止まり、一向に進もうとしません。どうしたというのでしょう。私は疑問に思っておりましたが、しばしそうしている間に何やら彼女の周囲がおかしくなっていったのです。

 それまで楽しげに談笑していた若者たちが、彼女を見つけては笑いの色を変えていく。

 それはとても顕著な変化で、私は寒気がしたのです。心配になり彼女の顔色を窺えば、その双眼は何も捉えておらずただ虚空を眺めているばかりでした。


 一人が彼女の肩にぶつかります。

 それが引き金になったのでしよう。彼女は弾かれたように踵を返し足早にその場を去ったのでした。


 行く道は学生で溢れていました。皆同じ目的を持って同じ場所を目指しています。彼女だけがその波に逆らい、ただ独りで歩いています。それが今の彼女の境遇そのものなのでしょう。私はとても悲しく思いました。

 彼女はおもむろに私を広げ頭に掲げました。もちろん雨など降っていません。私はすぐにそれが他人の視線から逃れるためだと理解しました。深く深く、彼女に濃い影を落としてやる他に私がしてやれることは無いのが残念でした。


 いつの間にか元来た道をたどり、先ほど出てきた駅に再び着きました。彼女は歩みを止めず改札を抜けます。それがいい。今日はもう家に帰るといい。

 再び戻ってきた学生に興味を示したのか、改札横に立っていた駅員が彼女に話しかけました。


「忘れ物ですか」


 彼女は少し歩みを止め、口元だけ笑って見せたのです。


「いえ、大丈夫です」


 そう言って逃げるように駆け出しました。もう誰も彼女を止めることなど叶わないのです。

 やがて彼女は駅のホームの一番端、一両目が止まる辺りで立ち止まりました。ぎゅ、と私の柄を握る手の力が強まったと同時に、彼女の体が震えだしたのです。きっと気疲れしていたのでしょう。ほどなくして彼女の最寄駅で止まる電車が停車しました。軽やかなメロディと共にたくさんの人間が足早に通り過ぎていきます。


「間もなくドアが閉まります。ご注意ください。」


 てっきりこの車両に乗り込むのかと思いきや、彼女は呆然と立ち尽くして動かなかったのです。ただただ無表情に、去っていく車両を見つめるのみでした。


 どれほどそうしていたでしょう。いくつか電車が行き来をしました。いつの間にか彼女の体の震えは止まり、落ち着いてきたように思えます。


「どうして、こうなっちゃったんだろう」


 弱々しく吐かれた言葉は私以外の誰にも聞き届けられずに消えてゆく。

 周囲の人や物が慌ただしく走り、騒ぎ、流れていく中、彼女だけが時が止まったかのように静かでした。

 しばらくそうしている内に、一際大きな音が近づいてきました。間違いなく電車が走行する音ですが、けたたましい音が弱まるばかりか強くなっているということは恐らく貨物列車か快速の類でしょう。

 と、そんなことをぼんやり考えていた時です。


 ふ、と彼女の手が私から離れました。


 私は宙に投げ出されながらすべてを理解しました。

 ああいけない、なんてことを!!


 ……申し訳ありません。最初に私は“傘に化けるのは得意”と言いましたが、本当は傘以外には上手く化けることができないのです。彼女を引き留めるための腕も口も無い私をこれほど恨めしく思ったことはありません。

 私が情けなく地面に転がる頃には、とうとう彼女は成し遂げてしまったのです。けっして褒められたものではない、暗く淋しく哀しい悲願を。


「通過します。危ないのでお下がりください。通過します…」




 そこから先はあまりよく覚えていません。私の姿を傘の形に保てなくなり、もやとなってあてもなくただ漂っていました。最期に流れてきた彼女の氣はとても深い虚無と悲しみ、それでいて割れた硝子のような鋭くて痛いものでした。

 私には到底理解できないものなのでしょう。だから私は最期まで彼女を救うことはおろかその痛みに寄り添うことも出来なかったのだと思います。


 誰かの生涯に寄り添いたいと思っていました。

 しかし、こんな形を望んでいたわけではなかったのに。


 私は靄になることにも飽きて再び傘の形に姿を変えました。時代錯誤で重厚な真っ赤な蛇の目傘は、私の一番好きな形です。

 もうしばらくは誰かに触れられるのは遠慮したい。誰の目にも触れないような静かで暗い場所に自分を転がしました。そして目を閉じ、雨風やその他自然の流れに身を任せることにしたのです。そして今まで出会った数多の人間の生涯にゆったりと思いを馳せていたら、どうしたことでしょう。

 こんな妙な傘を無遠慮に鷲掴みする輩が現れたではありませんか。何事かと驚いてその人をまじまじと見れば、ああ。貴方様でした。


 人ではない者に触れられたのは久しぶりで少し残念ではありましたが、心地良い様な感覚もありました。貴方様だからでしょうか。


「ふむ、上等で面白い傘じゃの。しかしずいぶんと疲れ果てておるようじゃなあ」


 それからまじまじと私を品定めするように眺めて、ふふんと満足気に笑いましたね。


「わらわの社で休んでいくと良い。連れて帰ってやろう」


 そして私は貴方様の腕に抱かれるやいなや、安らかな微睡の中に落ちて行ったのでした。

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