4話 愚痴でも言わねばやってられない


 春の暖かで包まれるような陽の光が降り注ぐ季節は終わり、今日は肌を突き焼かれるような夏の日差しがじりじりと社を襲っています。これからこういった日が続いてゆくのでしょう。時の流れを感じますが、相も変わらずこの社は平和に時を刻んでいます。強いて言えば参拝に訪れる方が少し減り、静かになってしまい寂しくなってしまったことくらいでしょうか。しかしミコト様に尋ねるとこの時期は仕方ないようで、むしろ休憩期間だと笑っておりました。

 そんな訳で私はいつも通り賽銭箱の後ろでまばらになった人々の拝む顔をぼんやりと眺めています。ここはちょうど陰になっており、日差しを避けることができてとても快適です。


 そういえば、この頃涼さまが日陰や家屋の中にいることが多くなりました。外の用事は朝早い時間に済ませてしまっているようで、こうした日中はめっきり見かけなくなってしまったのです。この件についてもミコト様は笑ってこう仰っておりました。


「涼は人より少しばかり日光に弱いのじゃよ。まったく駄目というわけではないから必要なら出ておるが。まあ、あまりむやみに外に出るのはやめておくのが賢明じゃの」


 人の事情もいろいろあるものらしいです。大変だなあと思いながら息を吐くと、すぐ横で誰かのあくびが聞こえてきました。男性の声です。振り向くと一仕事終えた玲さまが縁側の淵に腰かけていました。


「駄目ですよこんな所で。誰かに見られてしまいますよ」

「分かってる。けど今日は暑くてよ…」


 竹ぼうきを杖代わりにうなだれている玲さまに注意しますが、やっぱり聞き入れてもらえませんでした。


「手水舎の清掃は終わったのですか」

「まあ朝の内にな。ったくあいつら俺が仕事で出張してんのいまいち分かってねえんだよなあ」


 玲さまが帰ってきた次の日、涼さまと月冴さつきさまから「遅すぎる」とお叱りを受けていました。どうやら連絡を寄越さなかったことと、忙しい時期に丸々席を空けていたことで二人の機嫌を損ねてしまったようです。そこで玲さまは罰として大変な場所の清掃や雑用をこなしているのでした。


「でも定期的な連絡はするべきだと思います」

「忙しくてそれどころじゃねえんだよ」

「ほら、寝る前に一報でも良いじゃないですか。人には便利な道具……めーる? とやらもあると聞きましたよ」

「……お前意外と容赦ねえよな、ちったあ愚痴らせろよ」


 じろりと抗議の視線を送られて私は首を傾げました。何か間違ったことを言ってしまったでしょうか。


「まあいい、じゃあな」

「もう行ってしまうのですか」

「お前が行けっつったんだろが」

「今は誰もいませんよ。ミコト様もいらっしゃらないですし、少しお話ししませんか」

「要はお前、暇なんだな」


 図星で思わず「う、」と言葉に詰まってしまいました。玲さまは言葉遣いこそ悪いですが私が話しかければきちんと欲しい言葉を貰えます。宗治さまは厳かすぎて気軽に話せる雰囲気ではないですし、今までミコト様しか話し相手がいなかった私にはこれとない刺激でした。また私は社の外に出たことがないので聞きたいこと、話したいことがたくさんあります。

 言葉に詰まる私を楽しそうに鼻で笑い、彼は上げかけた腰を再び下ろしました。


「いいぜ、あらかた大きな仕事は終わってるし」

「ありがとうどざいます」

「外のこと、知りてえんだろ」


 私は玲さまの隣に移動し腰かけ直しました。もう何度か尋ねてしまっているせいか、彼には私が何を聞きたいのかお見通しのようです。


「玲さまの外でのお仕事、もっと聞かせてもらえませんか」

「そうだな……まあ、いろいろあるが」


 顎に手を当てて目を閉じてしまいました。どうやら話す順序を立てているようなので、私は大人しく次の言葉を待ちます。


「まあ出張ばっかだが大まかに分けて二つだな。

 一つは俺の仕事。出張で占いや儀式をやってる。その仕事はほぼ永代が代々請け負ってきた大事な案件だ。失敗は許されないし、力を使うから気が休まらん。今こうしてだらけてんのはその反動もある」


 少し言い訳のように聞こえますが、ミコト様も信頼しておられるということはきっと玲さまは良い仕事ぶりなのでしょう。私は何も言いませんでした。


「まあ、彼らがいるからこの社は今もこうして無事に運営できるわけだし、大変でも感謝しねえとな。

 で、もう一つが宮司代行の出張。年に何回か集まりがあるんだが、涼はあんま行けないからその時は代わりに参加してる。報告と、方針決めだな」

「涼さまはお体があまり強くないと聞きました」

「社の中は護られてるらしく元気だが、離れるとやっぱダメみたいだ。まあそれでも昔よりだいぶ強くなったけどな」


 それでも、宮司は涼さまなのですね。

 そう口を開こうとしてやめました。失礼な言葉だと思ったからです。しかし、気になるものは気になります。どう訊こうか思案していると、頭上から笑う声が聞こえてきました。


「お前は良く顔に出るな」

「そ、そうでしょうか」

「それでも、宮司は涼のが相応しいんだよ」


 まさに言わんとしていたことを当てられてどきりと心臓が跳ねました。居心地が悪くそわそわしていると、玲さまに背中を軽く叩かれました。


「あいつはこの社への想いが誰よりも強いんだよ。俺はそんなあいつに影響されただけだし」

「想い……」

「この話も機会があったら話してやるよ」


 そう呟く玲さまはどこか遠くを見つめていました。きっと、遠く遠く、私の知らないお二人が歩んだ人生に思いを馳せているのでしょう。


「ま、それに俺は責任者っつうポジションは好きじゃねえんだよ。涼を隠れ蓑にしてる節もあるしな」

「それには私も同意見ですね、玲さまは自由が好きそうです」

「そういうことだ。総合的に見れば圧倒的にあいつの方が相応しいよ……さあて」


 もうおしまい、と言うかのように彼は勢いよく立ち上がりました。仕事の続きに取り掛かるようです。しかし、3歩程歩いたところで何か思い出したように振り返り私に声をかけました。


「そういやずっと気になってたんだが」

「なんでしょう」

「お前、その羽根の柄はオスだろ。見た目に違和感はねえけどよ、巫女装束で良いのか」


 また私は言葉を詰まらせました。たいして気にはしていませんでしたが、やはり誰しもがそう声をかけるということは相当おかしい事なのでしょうか。


「せっかくミコト様と涼さまが用意してくださいましたし、私は気に留めなかったのですが…」

「まあ、本人が良いなら何も言わねえけど。お前も苦労してんだな」


 ひらひらと手を振り去ってゆく玲さまを見送りながら、私は本日2回目の首を傾げたのでした。



***



 玲さまが去った後のことです。私は社務所から一歩も出ない涼さまが気になったので顔を出してみることにしました。受付の窓からそっと覗くと、部屋の隅でこちらに背中を向けています。机に向かって何か作業をしているようでした。

 私はくちばしで器用に(自分で言うのもなんですが)窓を押し上げ中に入り、彼のそばへと降り立ちました。すぐ隣まで来ましたが、集中しているようでこちらに気付きません。

 邪魔にならないように何の作業をしているのか覗き込んでみました。涼さまは机いっぱいに小さな紙を並べて、それを見ながらパソコンと呼ばれる機械に高速で打ち込んでいます。時折何か呟きながら小さな紙を整理してまとめてもいます。その様子はさながら鬼か修羅のような気迫があり、容易に声をかけられる様子ではありませんでした。

 どうしたものかと悩んでいましたが、後ずさりした鳥の足が小さな紙を踏んでしまい滑って思わず大きな音を立ててしまいました。

 びくりと涼さまの肩が揺れます。


「(すみません!)」

「ああ! 動かさないで!」


 いつも穏やかな涼さまに叱られてしまい反省しながら動きを止めます。そして落ち着いたところで、もう迷惑をかけないように少し離れたところにある小物の上まで移動しました。

 どうやら涼さまは物凄く気が立ってるようで、今訪ねたことを後悔しました。このまま大人しく立ち去った方がよいでしょうか。


「すみません。神使様にきつく当たるつもりはなかったのですが」

「(こちらこそ、お忙しいところ申し訳ないです)」


 それにしてもこんなに涼さまを苦しめているものとは一体何なのでしょう。私は気になって仕方なくなり、今度は邪魔にならないように遠くから覗き込みました。しばらくそうしていると、また涼さまの手が止まり目が合いました。


「……気になりますか」

「(はい)」


 迷わず私がそう答えると、くすりと笑われてしまいました。そこにはもう鬼の顔は無く、いつもの優しい顔に戻っています。私はとても安心しました。


「では少し、俺の愚痴に付き合っていただけますか」

「(もちろんです)」


 そう言うと涼さまは私から目を反らし、机の小さな紙たちを眺めだしました。


「玲の奴、仕事は出来るんですよ。評判もあるし、成果も出してる。しかし、しかしですよ。

 ひとつ、重要な欠点があるのです」


 ごくり、と私は生唾を呑みこみました。一息おいて、堰を切ったように涼さまが立ち上がり勢いよく私に顔を向けます! あえて音を表現するなら「くわっ」という風で、そのまま声を荒げて不満をあらわにしました。


「奴は、本当に、事務処理をしない!

 毎回毎回出張が終わったあと領収書を押しつけられ「よろしく」と言われる私の気持ちが分かりますか! あああせめて出張期間が短くて月を跨いでいなければ経費計算もしやすいのに…」


 最後の方は力尽きたのかよろよろと机に座り直し頭を抱えてしまいました。私には何を仰っているのか大半は分かりませんでしたが、とりあえず大変な苦労をなさっている事だけは分かりました。

 どうやら涼さまが外に出られないのは日光のせいだけではないようです。


 どうしたらよいか分からず、とりあえず私は涼さまの肩に乗って頬ずりをしてみました。今の私には適切な慰め方は教わっていません。ですが充分気持ちは伝わったようで、溜め息交じりの笑い声が聞こえてきました。


「ありがとうございます。労わってくださるのですかね」

「(元気を出してください…)」

「でも、大きな声を出して少しすっきりしました」


 始めより幾分晴れやかになった涼さまの顔を見届けてから、私はまた拝殿へと飛び立ちました。


 そういえば「できるだけ多くの人々の話を聞いてみた方が良い」というのはミコト様の方針であり、私もそれに倣って行動しています。今回も玲さまと涼さまの話を聞いて分かったことがあります。

 結局はこの世は持ちつ持たれつ、補い合って生活していること。お互い違う苦労を抱えていることを認め合えばあのお二人のようにうまくいくのかもしれません。


「なんじゃ難しい顔をして」

「あ、ミコト様」


 いつの間にかミコト様が背後にいて私を見下ろしておりました。ちょうどよいので、先ほどあった話と私の思ったことを伝えてみました。


「ほほう、あの二人は双子とは思えん程似てないからのう。むしろ正反対じゃな」

「また私の知らないお二人の顔を見れました」

「そうじゃなあ、特に涼は細かい仕事が得意じゃから玲も甘えてしまうのじゃろ。玲のスケジュール管理も涼の仕事じゃし、言われてみれば意外に負担は多いのう」

「すけじゅうる…」

「なんじゃ百舌よ、現代の神使たるものカタカナ語も扱えなくては時代錯誤じゃぞ」


 最後にちくりと勉強不足を指摘され言葉に詰まってしまいました。まだまだ私は多くのことを勉強し、多くの人の話に意味を傾けなければならないようです。私はミコト様に聞かれないように小さく溜め息をつき、空を見上げました。雲が高く、水色の空が広がっています。新しい季節はすぐそこまで来ているようでした。


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