3-4話 美しい山


「ということなんだ、どうだろうか」

「いやあ、害はないと思いますけどね」

「(ええええ)」


 ひとしきり男性の話を静かに聞いていた玲さまは、最後にばっさりと断言してしまいました。私は思わず驚愕の声が漏れ、同じく驚いた男性の声と重なってしまいます。

 ですが腑に落ちないのは私とその男性のみで、玲さまとミコト様は頷き合いながら話を進めてしまいます。あまりにはっきりと断言をされるので私たちの気持ちは付いていけずに、おろおろと玲さまの顔色を伺うことしかできません。

 涼さまはというと、お茶を手に私たちのやり取りをにこにこと見守っていらっしゃいます。どうやら聞き役に徹してしまったようで、この件に関してはもう言葉を発する気はない様子です。


「そもそもの話じゃが、それは本当に鬼じゃったのかのう」

「そうだな、もともとそこにいたのは鬼じゃないと思います」

「それはどういう…」

「もし鬼だったとしたら、そんなんじゃ済まないほどの祟りがあるはずだ。だから、それはただのあやかしで、特に開拓したって害のない平和な山だったんだろう」


 男性は納得のいかない、という顔で玲さまを見上げました。私も同じ気持ちです。本当に、そう言い切ってしまってよいのでしょうか?


「それに小さな社があったんだろ?それなりに清めて祀ってんなら業者も無礼な開拓はしてなかったと思いますけど」

「じゃ、じゃああの腕は…!夢はなんだっていうんだ!」

「もうそれは別れの挨拶に他ならんじゃろ」


 他の人間には聞こえないというのにミコト様は積極的に会話に参加なさっているようで、いつの間にか前にのめりこんで熱心に話を聞いています。そういうところは良くも悪くもミコト様らしいところです。

 玲さまだけはその言葉に耳を傾けているようで、時々頷いていました。


「あやかしも意外と寂しがりな生き物でさ、最期に見かけた人間に情けをかけて欲しかったんじゃねえかな」

「そんな…」

「夢の中で完全に消えたんなら、それがほんとの最期でしょう。別れの挨拶ってところだ。気になるなら、また今度その社に行ってやったらどうですか」


 それでも不満げな男性に、ため息交じりに笑って見せました。思ったより優しい笑みでしたので驚きました。


「得体の知れないものでさぞ気持ち悪かったかもしれねえが、あまり邪険にしないでやってほしい。あやかしも悪い奴ばかりじゃねえし、今回のことは、まあ…

 一期一会みたいなもんだと思って、思い出にしてほしいんですよ」

「一期一会…」

「弱ったあやかしが現代技術にとどめを刺されるとは物悲しいもんだしなあ。

 まあ、今のおっさんには変な氣は感じねえから、悪いことは起こらないはずだ。安心していいですから」

「そう、か」


 そう力強く念を押されて、安心したのか男性は息をついてお茶を一気飲みしました。そして勢いよく立って、大きな伸びをひとつ。その顔はどこか晴れやかで、まるで憑き物が落ちたようでした。


「私は小さいことでくよくよ悩んでいたようだ。馬鹿らしくなってきた」

「無いとは思うが万が一、何かあったらそんときゃ優秀な祓い屋を紹介しますよ」

「何もない事を信じるよ」

「あ、あと」


 去ろうとする男性を呼び止め、最後に玲さまは私とミコト様を一瞥してから言い捨てました。


「今日のことはうわさにしないでもらえますか。ウチは普通の神社でやっていきたいんで、あまり特殊な評判は望まねえんだ」


 どうやらその“特殊な評判”とやらの原因が私とミコト様のせいということは承知なようで、ぎりりと睨まれたミコト様は特に悪びれるそぶりもなくぺろりといたずらに舌を出して目を反らすだけでした。


「そうか、今日は悪かったね」

「いいえ」


 そうして去っていく男性を見守り、その姿が見えなくなったところでミコト様が堰を切ったように調子よく声を上げました。


「いやあ大変じゃったなあ玲よ」

「誰のせいだと思ってんだこの暇神が」

「暇じゃない、息抜きじゃ」

「じゃあ屁理屈神だな」

「なんじゃと青二才のぺえぺえの癖に!」


 やいのやいのとお二人が喧嘩を始めてしまったので、どうしたものかを救いを求めるように涼さまを見やりました。しかし、彼は気にせず鼻歌交じりにお茶の容器を片付け始めたのです。その間にもお二人の怒りは増し表記できないほどの罵倒が飛び交い始めました。

 だめだ、これは私が何とかしないと…!


「あ、あの玲さま!」

「お?」


 私はお二人の間に割って立ち玲さまを見上げました。怒りに任せたお二人の勢いにもみくちゃにされる覚悟だったのですが、意外にもぴたりと収まってくれたようです。


「どうして鬼でないと言い切れたのですか。本当にあの男性は大丈夫なのですか。祓い屋の知り合いなんていらっしゃるのですかっ」

「待て待ていっぺんにしゃべるなよ」


 私は他に怒りの矛先を反らす言葉を探し、先ほどの会話から生まれた疑問をいっぺんにぶつけました。玲さまは始めこそ黙り込んでしましたが、順序良く説明してくださろうとしているのでしょう。唸りながら答えてくださいました、


「話聞いてりゃ分かる。鬼はそんな生易しいもんじゃねえよ。確かにその山には“何か”は棲んでた。それを見た誰かが鬼に違いないと思ってそんな話を広めた。よくあることだ」

「鬼といっても悪い奴ばかりじゃないんじゃぞ。その強い力で善行をして神になった者もおる。しかし人にとっては未知なるものじゃろうからなあ。鬼かそうでないか、善か悪かなぞ分からんじゃろ」

「つまり、無害でしたと」

「そういうこと。一目見れば呪われてるかどうかすぐ分かるし、そもそもこの社になんざ入らせねえよ」


 知らないのに恐れる。いや、知らないからこそ恐れる。今回のことは一見、とある男性の杞憂話ですが、人の本質を知る興味深い話だったのかもしれません。


「あとは、だ。俺はこんな体質だから色んなモノを見たりヤバいのに出くわしたりするから、祓い屋に結構世話になってんだよ」

「御自分では祓わないのですか」

「できるっちゃできるが…あんま関わって穢れたくねえんだよな。境内入れなくなるし」


 そうでした。神は穢れがあると力が弱まってしまうのでした。今までそうやって迂闊に厄介ごとに関わらないようにしていた玲さまにとって、今日の出来事はそうとう心苦しかったのではないでしょうか。


「申し訳ありませんでした」

「あ?」

「あやかしに関わるということは、そういった危険もあるのですよね」

「まあな。…けどよ、」


 謝ると同時に深く下げた私の頭を撫でた後、顔を覗き込まれました。伏せた目を上げ様子を伺います。と、存外優しい眼がそこにありました。


「人だから、人じゃないから…そんなことで出会いを選別したくはねえな。こうして見えちまう限りはよ」

「玲さま…」


 よいしょと立ち上がり、涼さまの荷物(茶器)を半分持った玲さまに思わず呟いてしまいました。


「玲さまは、お優しい方だったのですね」

「は?」

「あ、ほら口調も乱暴ですし少し誤解していたと言いますか…」

「…お前結構ずけずけ言うよな」

「しかし目上の者には口調を改めるようになったようじゃのう。まあ下手くそなですます調じゃったがの」


 せっかく私が玲さまの怒りを鎮めたというのにまたミコト様が火を付けてしまいました。もう世話しきれないと悟った私はお二人の、いやほぼ玲さまの怒号を背に涼さまの元へと向かいました。本殿に向かっている最中のようです。

 鳥として涼さまの肩に乗り、一声上げると嗚呼と気付いてくださりました。


「もういいのですか」

「(あきらめました。困ったものですね)」


 おもむろに人差し指を差し出されたので、甘噛みして見せました。優しく微笑んでくださったものの、何か違和感がして首を傾げると寂しげに眉を下げるのが見えました。


「玲はいつも楽しそうだから、妬けるなあ」


 涼さまの歩みが止まり、前を向いたので私もつられて同じ方向を見やりました。もう本殿に到着していたようです。


「俺もあなたや神様とお話ししてみたいものです」


 そこで私はやっと自分自身が無遠慮だったことに気付きました。私たちに見えているものと涼さまに見えているものは異なっていることに、どうしてもっと早く気付かなかったのでしょう。

 いや、知っていたはずです。しかし、涼さまがあまりに自然に私たちに溶け込んでいたのでそう感じなかったのです。自分が見えないもの、話せないものと楽しそうに話す玲さまを見守る心中はとても私には想像できないものでした。

 しかしそれを知ったところで私に一体何ができるというのでしょう。私の神使としての姿をお見せすることもお話しすることも出来ません。


「(貴方にはいつも感謝をしております。いつか、それを直接伝える日が来るといいですね)」


 私は涼さまに頬ずりした後飛び立ち、彼を本殿の中へと誘いました。あのお二人が来るまで、しばし寛いでいようではありませんか。


「夕拝の時間をとっくに過ぎてしまいましたね。神様はお怒りになられないでしょうか」

「(ミコト様ならまだ火に油を注いでいる最中ではないでしょうか)」


 そして疲れ顔の玲さまと涼しい顔のミコト様がお帰りになるまで、私は涼さまと他愛ないコミュニケーションをとり、彼を元気づけていたのでした。

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