3-1話 もう一人の神職
涼さまが呟いておられたのですが、昨日までの数日はゴールデンウィークなる恒例の行事のようなものがあったそうです。そこで現世の人間たちはこぞって休暇を取り、様々な場所へ出かけていく習わしがあるようです。
今日はまたいつもの境内の雰囲気に戻っていて安心しました。どうやらその行事とやらは終わったようです。ここしばらくの間の目まぐるしさを思い出して思わずため息をついてしまいました。昨日までの参拝者の数といったら、今まで私が見てきた中で一番だったのではないでしょうか。
涼さまと宗治さまが交替で社務所の番をし、空いた時間も休む暇なく他の用事を済ませるなどとても忙しそうでした。なんでも近くの大きな神社がテレビで紹介されてしまったとかなんとか。
ミコト様も人々の願いを聞き入れるのに忙しく私のことも構ってもらえなくなってしまったので、私はお二人の清掃のお手伝いをこっそりしておりました。
というわけでまた今日からミコト様と静かな日々を迎えられる、と思っていたのですが。
「いやあ百舌よ、今晩はまた賑やかになるようじゃぞ」
「どういうことでしょう」
「それはお楽しみというやつじゃ」
また何か気配を察知したのでしょう。ミコト様は人の気配や動向を先読みするのが得意なようで、このように何かを感じては楽しそうにしています。これも仕事柄、というものでしょうかね。
それからは特に変化もなく、一日が過ぎてゆきました。今日は日差しがじりじりと焼けるように熱く感じました。昼間のほとんどを影がある場所に身を置いていたように思います。特にいつもの賽銭箱の後ろはやはり他より涼しくとても良い場所なので、これからも私の特等席となるでしょう。
そろそろ夕拝の時間になったので私はミコト様と一緒に本殿へと向かいました。毎日涼さまが欠かさず朝拝と夕拝を行ってくださるので、私たちはそれを心待ちにしているのです。涼さまの献身的な祈りと、米や酒などの供物と。特にミコト様は季節の果物がお好きなようで、態度が明らかに変わるのが面白いです。
「今日の朝拝では苺がありましたね」
「なかなか美味であったぞ」
他の神様は分かりませんが、ミコト様は本当に食べてしまうので涼さまは最初とても驚いていたようです。まあ、目に見えないミコト様が本当に存在すると感じられる数少ない証拠のようなものでしょうか。
「さて、と」
扉を開けて中に入った時、私は息を呑みました。
人が、寝ている。
本来涼さま以外は立ち入り禁止なこの本殿の中、しかも部屋の中央に何者かが気持ちよさそうに寝そべっているではありませんか。こんなこと許されるはずがありません。
「ミコト様、ふ、不法侵入です!」
「おお、そなた難しい言葉を覚えたのう」
「そんなのんきなこと仰って…!」
「よく見るのじゃ、やつの服装をな」
もう何を言っているのか分かりません。頭に血が上ったままずんずんと無礼者のそばまで進んでゆき、頭からつま先まで眺めました。
体格が良く、健康的な肌の成人男性に見えます。涼さまと歳が近そうですが、なにぶん彼は線が細く色白なので比較しづらいものがあります。ですが信じられないことに、この男は涼さまと同じ
「神職の方、なのですか」
「そうとも、そなたも耳にはしておったじゃろう。涼の双子の弟、もう一人の神職の玲じゃて」
「な…なんという」
この方が涼さまのご兄弟? 同じ神職? 豪快に寝ている間抜けな顔と涼さまの顔が重なり、とうとう私の堪忍袋の緒が音を立てて切れるのを感じました。
「やっぱりそれでも無礼です!」
自分自身でも思いもよらない大声が出てしまいました。するとミコト様はなぜか笑い出し、無礼者はやっともぞもぞと起きだし目を開けました。
「第一印象は最悪じゃのう…くすくす」
「うるせえな…なんだよまったく」
「あ、あなたって人は!」
神聖な場所に神聖なはずの人のあるまじき行動に黙っていられません。そんな私の態度とは裏腹にこの男は胡坐をかき痒そうに首を掻いてため息をついたのです。
「わらわ想いの良い神使じゃのう」
「ああ、帰ってき…」
「この、この無礼者!」
「お? なんだ、まあ落ち着けって」
「これが落ち着いていられるものですか! この場所で無断で昼寝ですか!」
「ああ、いや俺もこんな硬え床で寝たくはないんだが、ここが一番力が回復すんだよ」
ずんずんと鼻と鼻が付きそうなほどに詰め寄り睨みつければ、降参とばかりに長いため息と共に両手を上げてしまいました。
「まあそのくらいにしてやれ、お互い自己紹介もまだじゃろう」
「自己紹介なんて…っ」
私の言葉を遮るように、そしてなだめるように抱きしめられて背中を撫でられました。顔を肩に埋めているうちに上っていた頭の血がゆっくり冷えていくのを感じます。
「ほれ、深呼吸じゃ深呼吸」
「おーおー愛されてるねえ」
そうやってしばらく深呼吸をして落ち着きを取り戻した私は、彼と向かい合わせになるよう座らされました。正座する私の隣にミコト様も腰を下ろします。
「…先ほどは取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「俺も悪かったよ、驚かすつもりはなかったんだが」
そういうと彼は右手を差し出してきました。私もおずおずと差し出すと、がっちりと握手をされました。成人男性特有の大きくてごつごつした力強い手です。頼もしくてうらやましい…とぼんやり思いましたが、そこで私はとあることにやっと気が付きました。
「私たちのことが見えて、触れるのですか」
「まあな。じいさんもそうだろ。俺も受け継いだんだよ」
「玲はこう見えて優秀じゃぞ。歴代でもそうそういない力を持っておる」
「こう見えて、は余計だな」
「そうなのですか…」
人は見た目によらないもののようです。双子といえど涼さまとは微塵も似ていません。神社には似合わない目つきの悪さに、何か企んでいそうな歪んだ口元はいかにも悪人の風貌をしています。ですが、思ったよりは悪い人ではなさそうです。先ほどまでの私の失態を少しばかり反省しました。あの行動もきっとなにか理由があったのでしょう。
「これは先日から神使となった百舌鳥じゃ。お主と違って初々しいじゃろ」
「春からこの社におります」
「そうか、今度の生き神使は百舌か。長い付き合いになるんだ、仲良くしようぜ」
勢いよく頭を撫でられて私の頭までぐらぐらと揺れました。力が強いのか、それとも力の加減をしない方なのか。
「春からってことは俺が出て行ったすぐ後なんだな。もう一か月以上か。早えもんだな」
「年寄りのような台詞を今から言うものじゃないぞ。…それにしても、今回はずいぶん大仕事じゃったようじゃのう」
「そりゃそうだ、なにせ時代が変わるんだからな。来年はもっと忙しくなるだろうなあ…過労死するかもしれん」
「まあお主は殺しても死なんから大丈夫じゃよ」
「おー、とんでもねえ雇い主だわほんと」
お二人の話についていけず、ただ茫然とお二人が楽しそうに会話を楽しむのを眺めている事しかできませんでした。私の知らない世界が広がっている。急に置いてけぼりにされてしまいました。
私には、まだまだ知らないことがたくさんあります。
「どうした神使サマ、暗い顔して」
「…私は何も、知らないので」
「そうじゃった。そなたには玲が来たときに色々話そうと思っておったのじゃよ。実例があった方が説明しやすいからな」
長い話になるぞ、とミコト様は深呼吸をして姿勢を正しました。私とおなじように玲さまもミコト様に注目して話を聞こうとしています。
「その昔、とある若者とわらわはとある契約を交わしたのじゃ。わらわの力を人のために使う代わり、その若者の体を依り代にする、と。その若者の一族は代々神に愛され強い力を受け継いでおってな、わらわはその体でないと力を発揮できないと駄々をこねたのじゃ。
それからその一族でわらわを祀り、わらわは人々を導く存在となった。その一族が永代の者というわけじゃ」
「俺や涼は責任重大ってことだな」
「そうじゃ、あとこの社を守る他にもう一つ役目があってな。それがこの男の仕事じゃ」
「役目、ですか」
「どうじゃ、話にはついていけてるかの」
顔色を伺うミコト様に私は大きく頷いて見せました。ミコト様はよしよし、と満足げに頷き、さらに話を進めてくださいました。
「それはこの世を占い導くことでな。
「ずーっとお偉い人間の中にいるのは性分じゃねえんだがなあ」
「えっと、お偉い方とは……」
「ここじゃ言えないようなそれはもう偉い組織や人々だ。まあ、俺の占いは年間の儀式みてえなもんだから、本当に導くほどの権限はねえけど」
「じゃがよく当たるものじゃから邪険にできんのじゃよ」
「このご時世に占いなんて表沙汰にはできねえが、まあそこそこ重宝されてるんだぜ」
つまり、涼さまはこの社を守り、玲さまはこの世を占っていたと。神職として位が高いわけではない玲さまが大きな組織に一目置かれているのは、やはり伝統と血筋、そして何よりミコト様の御力によるものなのでしょう。
「わらわが社から出なくとも、玲の体を依り代としてわらわが力をふるっていたのじゃ」
「つうわけで、俺は神の力を扱える巫女みてえなもんだな。で、力を使うとすげえ疲れる。力と精神の回復には神の氣が満ちてる本殿で寝るのが一番なんだよ」
「そうでしたか」
ようやく先ほどまでの玲さまの一連の行動が理解できました。どうやら私は長く誤解をしていたようです。彼もミコト様に立派に仕えている身だったのですから。
「もうそれは大事な大事な跡取りじゃからな。涼と玲には災いが起きぬよう厳重に加護をつけているぞ」
「跡を継いでから涼が元気になりすぎなんだよ。小言がひでえ」
「健康なのは良い事じゃよ。もうお主らは病気や事故の心配はしなくてもよいのじゃ」
「それって老衰で死ぬまで働かすってことじゃねえか……」
「人聞きが悪いのう、まあそうとも言うが」
「あれ、でも今の話からすると
涼さまはなぜ私たちのことが見えないのでしょう」
談笑し合うお二人にふと浮かんだ疑問を投げかけた時、まるで時が止まったかのように静まり返ってしまいました。私は余計なことを言ってしまったと後悔しましたが、もう後の祭りです。
「……それが、な。よく俺たちにも分からねえんだ」
「代々永代の者には、特に男児にはこの力が強く宿るのじゃが…。涼は長男じゃし、あって然るものなのじゃがな」
「片割れの俺が涼の分まで受け継いじまったのかとか、生まれつき体が弱いからとか、いろいろ考えたが、結局分からず仕舞いだ」
「そうだったのですか」
「涼には言ってやるなよ、あいつすげえ気にしてるからな」
「分かりました」
私が頷くと、玲さまはもうこの話は終わりだと言わんばかりに膝を叩いて勢いよく立ち上がりました。そして本殿の扉から顔だけを出して外の様子を伺っています。
「涼のやつ遅えな、夕拝の時間だと思うんだが」
「そう言われればそうじゃな」
「何かあったのでしょうか」
真面目な涼さまが時間に遅れたことなどありません。いつの間にか私とミコト様も同じように顔を出し、三つの頭がひょっこりと扉から飛び出す間抜けな姿勢になっていました。
耳を澄ますと人の声が聞こえてきました。二人分の声です。何かを言い合っているように思います。
「あちらから何か言い争う声が聞こえますね」
「涼の声だな、ちょっと行ってくる」
「わらわも行くぞ」
「あっ、ちょっと待ってください私も……!」
涼さまの身を案じたのは皆さま同じようで、初動の遅れた私は鉄砲玉のように飛び出していったお二人を急いで追いかけたのでした。
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