2話 付喪神


 4月も今日で最後の1日となり、その今日ももうすぐ終わろうとしています。社は夕暮れに赤く照らされ、優しく闇に包まれていく最中でした。

 春と言えどこの時刻は肌寒く、私は縮こまります。澄んだ空気を肺に取り込み、変わっていく空の色をぼうっと眺めておりました。

 このまま静かに1日が終わっていくと思っていたのですが、どうやら最後の参拝者が訪れたようでした。


「こら走らないの!」


 遠くで女性の声が聞こえました。気が付けばいつの間にか小さな少女が私の目の前まで駆け寄ってきていました。大きな目を見開き、きらきらと光が揺らいでおりました。


「かわいい鳥さん! こんにちは」


 歳は4つか5つくらいでしょうか、屈託のない笑顔を私に向け挨拶をしてくれました。なので私も一つ鳴いて返事をしてあげます。すると、きゃあと悲鳴にも似た声を出して喜んでくれました。


「あいさつしたあ!」


 と、ここまでは普通の幼子の反応でした。少女はそうやって喜んだあと、自分のポケットに手を突っ込み何かを探り始めました。ややあって取り出したのは古びた万年筆です。

 驚いたことに、少女はまるで友人であるかのように万年筆に語りかけ始めたのです。


「あなたも鳥さんにあいさつして、まんねんひつさん」


 一種の擬人化をするお遊び、おままごとのようなものでしょう。人形やぬいぐるみなら理解できますが、筆記用具とはまた不思議な少女です。とりあえず私ももう一度挨拶をしようとするも、


「こんにちは」


 本当に万年筆がしゃべったので私は腰を抜かしてひっくり返ってしまいました。すぐに姿勢を正しくしてみたものの、尻を打ってしまったおかげで声を出すまで少し時間がかかってしまいました。


「貴方は話すことができるのですか」

「おや、付喪神つくもがみは初めてかな」


 まるで万年筆がしゃべるのが当たり前だというように堂々としているので、私の常識を疑ってしまうほどでした。

 いいや、私は間違ってはいない。筆記用具は会話をしない。


「付喪神とはなんですか」

「付喪神とはね、長年大切に使われてきた物に意思が宿った者のことだ。

 私はこの家族に100年以上もの間愛されてきたのだ。目覚めたのはつい最近でね、付喪神としては新米だが、君より沢山のものを見てきたつもりだよ」

「物に、魂が宿る……」


「鳥さんとお話ししているの?」


 大人しく様子を見ていた少女ですが、我慢できずに私たちの会話に割って入ってきました。どうやら少女には万年筆の声しか聞こえないようです。


「そうだよ、実に賢い鳥さんだ」

「いいなあ。あたしにはわからない」


 その時です。先ほどの声の、おそらく少女の母親であろう女性が現れて少女を抱き上げました。


「こら、ちゃんとおてて洗ったの」

「まだ!」

「じゃあ戻って一緒にやろう」

「はあい」


 そのまま抱きかかえられて少女は去ってゆきました。そして母親と楽しそうに作法通りにお参りをするのでした。私は笑顔あふれる二人の様を少し離れたところで見守り、手をつないで帰るまでを見届けていました。

 再び静かになった境内に一息ついて、やれやれ嵐が去ったと思った時でした。

 何か微かに聞こえてきます。それは誰かの声のようでした。しばらく耳を澄ましているうち、聞き覚えある声だと確信しました。声の主を思い出してはっとし、私は急いで駆け出しました。

 物の影や木々の間を探し回り、やっと拝殿の縁の下の砂利に転がっているのを見つけ出しました。すぐに建物の下に潜り込んでくちばしで咥え助けだします。落ち着けるようなところまで移動して地面に彼を置きました。


「いやあ一生あのままかと思った。助かったよ」

「貴方は少女の万年筆ですよね。どうしてあんなところに」

「彼女が母に抱えられただろう、その時に彼女が落として転がってしまったのだよ。母に夢中で気付いてもらえなかった。

 どうやら、もう立ち去ってしまったようだね」

「すみません、もっと早く気づいていれば」

「ああ、いや済まない。君を責めているのではないんだ」


 もしもあの親子が帰ってしまう前に気付けていたのならすぐに届けることができたのに、悔まれてなりません。失意に身を任せてがっくりと肩を落としそうになりました。けれどすぐに自分自身を奮い立たせます。私がこんなに落ち込んでしまっては彼をさらに傷つけてしまうでしょう。


「大丈夫ですよ。きっと探しに来てくれますから」

「そうだね、そう信じたい」

「すぐ渡せるよう鳥居まで移動しますね。私は境内の外には出られないので、そこまでしか行けないのですが」

「ありがとう、充分だ」


 私は万年筆に確認を取ってから飛び立ち、鳥居に下がる注連縄に乗りました。本当は鳥居の一番上にいた方が見晴らしは良いのですが、あまり高いところにいるとミコト様の加護が薄れてしまいとても不安な気持ちになるのでやめました。

 この社は少し小高い所にあり、鳥居を抜けるとすぐ階段になっています。階段の先には道路や住宅が広がっており人々の生活を垣間見ることができるのです。

 私は目を凝らしてここから見える景色を隅々まで確認しました。しばらくそうしていると、なにやらここへ向かう米粒を2つ見つけました。判別はしにくいですが、きっと彼が待ちわびている人物に違いありません。


「良かったです。こちらへ来るようですよ」

「そうか、そうか……」


 彼は心の底から安堵したのでしょう。力が抜けたように弱った声で頷きました。


「でもまだ遠いですから、しばらく時間がかかりそうですね」


 小さな米粒は少しずつですが、それでも確実にこちらに近づいてきます。時間にして十分程度と言ったところでしょうか。


「貴方たちはこの社の近くに住んでいるのですか」

「ああ、私は最近ここへ来たばかりだが」

「……ずっとあの少女と一緒だったのでは?」

「いいや、彼女は受け継いだのだよ」


 米粒の親子を眺めるのをやめて、まだ咥えたままの万年筆に目を落としました。話をするのにこのままでは少し可哀想だと思い、私の隣の安定する場所に彼をそっと置きました。


「こうしてただ待っていても暇だから、少し話をしないかい」

「よろしくお願いします」


 私は体の向きを変え、万年筆の方に体を向けました。そういえば先ほどからこうして難なく言葉を交わしていますが、その見た目は何の変哲もない筆記用具にしか見えません。口も目もなければどこか動くというわけでもないのです。しかし確かに彼は景色を目に映し声を聞き、思いを口にしている。あやかしとは何なのか未だに良く分かりません。

 まあ、私も寿命があるとはいえ生き物の理から外れてしまっているのですから、私自身もあやかしということになるのですが。


「気になっていたんだ。君は神使なのだろう」

「はい、神使の百舌鳥もずです」

「百舌が神使とは長い暮らしの中でも初めて聞いた。神の使いと言えば鶏や鳩は良く聞くが、君もなにか縁があるのかい」

「それは……」


 初めて神使として目が覚めたとき、ミコト様にされた説明を思い出しました。なのでそのまま彼に説明することにします。


「この社の本来の神使は、本殿の前におられる二体の狛犬様なのです。私はまだ動いたところを見たことは無いですが。

 私の役目は神と人とをつなぐ橋渡し。神と人々の間に立ち、神への信心を保ちつつ親しみやすくする存在だとミコト様は仰っていました。

 だから私はあやかしでも生き物でもない中途半端なのです」

「それは色々難しいね」

「この“生き神使”の役目はミコト様が気に入った者に与えるそうなので、鳥という共通点以外の統一性はないようです。気に入った者がいなければ長い間存在しなかった時期もあるそうですし」


 思えば私はなぜ神使になったのでしょう。ミコト様に気に入られることをした覚えがありません。むしろ神使になる前の記憶が一切ないのです。


「ああ、なんというか。思ったより根が深い問題だったようで、失礼したね」

「いえ、そんな」


 よほど思いつめた顔をしてしまったのでしょう。彼に気を遣わせてしまったようです。話題を変えた方が良いと判断した私は、今度は彼の話を聞くことにしました。


「貴方はずっとあの少女のそばにいたのではないのですか」

「いいや、先ほども言った通り彼女は受け継がれたのだよ」


 そこでちらりと眼下の親子を見やると、先ほどより姿がはっきりと見えてきました。急いで走る少女を、母がなだめるように追いかけ抱き寄せています。それからは少女が一人で先に行かないように手をつないだようです。

 この様子だとここへ着くのはまだ時間がかかりそうなので、もう少しだけ私たちは会話を続けることにしました。


「私の始まりは彼女の曽祖父で、万年筆は当時珍しく持ち歩けるペンだったのだよ。私は大層大事に扱われてね、まるで友の様に時を共にした。

 彼の職には私が欠かせなかったからね」


 彼の表情は目に見えなくとも、遠い目をしてはるか昔を懐かしんでいるのが分かります。私は黙って話の続きを促しました。


「そこから彼女の祖母へ受け継がれたのだよ。彼女は日記を書くのが好きでね、毎日の記録に私を愛用してくれたよ。日記の中で、彼女とはたくさんの秘密を共有したね」


 長い間人に愛され、人のそばにいるものが付喪神なら。持ち主一人一人の長い人生を共に送ってきたことになります。その永遠に近い時間の重さを私が経験することはありません。私はまだ何も言えず、ただ黙って話の続きを聞いていました。


「その子供、彼女の母はあまり文字を書くのを好まなかったようで、しばらく祖母のそばにいた。しかしつい最近その祖母も帰らぬ人となってね。

そうして孫であるあの少女に受け継がれたというわけさ」


 彼の説明はひどく簡単なものでした。しかし、はるか昔に過ぎ去った日々を思い出すかのようにゆったりとした口調であり、彼がどれほど過去を愛おしんでいるか測ることができないほどの優しさに満ちていました。


「貴方は、人間が好きですか」

「ああ、そうだね。好きな方なんじゃないかな」


 こちらへ向かってくる親子の姿が表情までわかるほどはっきりとし、声も聞こえてきます。どうやら半ベソを掻きながら万年筆を探しているようで、可哀想に、彼女が社に到着したらすぐに渡してやろうと思いました。

 ということは、私たちのお別れの時はどうやらもうすぐのようです。


「君は生まれたばかりだというがね、神使くん」

「はい」

「君にも解る時が来るだろう。己よりはるかに短い命に触れるとき、それはもう儚く愛しく感じるものなのだよ。

 戻らない幸せを懐かしむのも、老いぼれあやかしの嗜みの一つというわけだ」

「……心に留めておきます」


 再び私は万年筆を咥え、地上へと飛び立ちました。泣きながら走って鳥居をくぐる少女の肩に着地をすると、驚いて「きゃあ」と短い悲鳴を上げながら尻もちをついてしまいました。


「(すみません、そんなに脅かすつもりでは……)」


 申し訳ない気持ちで顔色を伺っていると、思ったよりは痛くなかったようできょとんとしておりました。泣かなくてよかったと私は胸を撫で下ろします。


「ああ! まんねんひつさん!!」


 私の咥えた万年筆を見つけ、自分の相棒だと確信すると目を輝かせてそう叫びました。私に向かって両手を差し出してきたので、その掌にそっと置いてあげます。少女は大事そうにそれを受け取ると、万遍の笑みを浮かべました。


「とりさん、ありがとう!!」

「(もう失くしてはだめですよ)」

「恩に着る、若い神使よ」

「おかあさあああん! あったああああ!!」


 ほどなくして母も息を切らせながら到着し、少女の喜ぶ顔を見て安堵の溜め息を零しました。


「もう、この子ったら」

「とりさんがね、みつけてくれたの!」

「そうなの、じゃあお礼を言わなくちゃね」

「まんねんひつさんもさみしかったって」

「ペンは寂しがらないんじゃ……」


 ええ、ええそうですとも。私もほんの少し前までは筆記用具がしゃべるとは思いませんでした。しかしこうして実際に経験してみないことには分からないものですね。

 そう心の中で母に語りかけながら、私は親子と万年筆が仲が良さそうに手をつなぎながら去っていくのをいつまでも見送っておりました。



***



「どうした、もう今日は眠りについた方が良いぞ。夜も深い」


 私はあれからというもの、こうして今もまだ万年筆のことを思い出し、ぼんやりしておりました。もう日が落ちて辺りが真っ暗になってしまったというのに。

 本殿の外、扉のすぐそこでそうしていたものですから、ミコト様を心配させてしまったようです。中から顔だけをひょっこりと出して私に声をかけてくださいました。


「そう、ですね」

「なんじゃ、深刻そうな顔をして」

「それが……」


 あの万年筆は知ってか知らずか、自分と私を同類と認識していたようでひどく気にしてしまったのです。いや、確かにあやかしという点では同じなのですが、私は彼らとは決定的に違う点があるのです。目線を落として、自分のつま先をじっと見つめました。


「私は一体、何者なのでしょうね」


 そう疑問を口にした途端、ギシ、と床がきしむ音がしました。はっとして顔を上げた時にはすでに私はミコト様の腕の中でした。


「すみません、生き神使だということは充分理解しているのですが」

「そうじゃなあ。そなたはわらわが思っている以上に利口で、様々なことを考えているようじゃな」


 優しく頭を幾度か撫でられ、心地が良くなって私は瞼を閉じてしまいました。柔らかな眠気に誘われるままにミコト様に体を預けます。


「私にも、わかる時が来るのでしょうか」


 あの万年筆の最後の言葉が、私の深いところに刺さったまま離れません。私は万年筆たちの様に悠久の時を生きる存在ではなく、儚く短い命の側の存在なのですから。

 あやかしであって、生き物でもある。だからこそ彼らの間に立ち橋渡しになれる存在なのですが、どっちつかずで分類しようのない私の立ち位置を考えずにはいられませんでした。

 そして、はるか先の未来のことも。


 私はミコト様により生まれた命ですが、いずれはミコト様より早く土に還ってしまいます。あの万年筆のように、ミコト様も短い私の命を想って、遠い遠い時の流れの果てに懐かしんでくださるのでしょうか。

 そんな、いつになるのかも分からない先の未来を想像したら、少しの嬉しさと寂しさがないまぜになって瞼が潤むのを感じました。


 このまま、眠ってしまいたい。

 そんな願いが叶ったのでしょうか。ミコト様はそのまま私をよいしょと抱き上げて本殿の中へと連れて行ってくださいました。

 ありがとうございます。と言いたかったのですが、口は動かないまま微睡まどろみの中に落ちて行ってしまいました。


 意識を手放す寸前、ミコト様が何か仰った気がするのですが私には聞こえず仕舞いでした。




「さあ、もうおやすみ

 いとしく儚い我が子よ」

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